石造美術紀行

石造美術の探訪記

奈良県 山辺郡山添村広代 菅原神社(天満宮)石灯籠

2012-02-07 00:44:39 | 奈良県

奈良県 山辺郡山添村広代 菅原神社(天満宮)石灯籠

名阪国道山添インターを降りて国道25号の旧道を東に向かうとやがて広代集落に着く。地図で見た印象より高低差のある地形で、思ったより山深い場所である。02大和の東山中でも東寄りで伊賀に近い。03国道から南に折れ、しばらく狭い道を登って行くと集落の南のはずれの尾根上に菅原神社(天満宮)がある。社殿前方、向かって左手に石灯籠がいくつか並んでいる。左から二番目が目指す石灯籠である。花崗岩製の四角型。『奈良県史』には高さ217cmと記されるが、現地の案内看板には193cmとある。おそらく方形切石の基壇(泥板)を含むか否かの差だろう。この基壇は当初からのものかどうかは定かでないが、中世以前の古い石灯籠は社殿や仏堂の正面に一基だけ置かれることが多いので、今立っている位置は本来の位置からは多少とも移動されていると思われる。

基礎は側面素面、上端は複弁反花で竿の受座を方形に刻みだす。部分部分の比が異なるので一目で石灯籠向けに作られたものとわかるが、基本的な意匠のパターンはよく見かける五輪塔の反花座と同じで、四隅に間弁を持ってくるのは大和の反花の特長である。竿は素面で向かって右側面に「建武五年寅戊十一月廿五日」の陰刻銘がある。彫りは浅く風化が進んでいることや光線の加減もあって肉眼でははっきり確認できない。建武五年は南北朝時代初め、北朝年号と思われ西暦では1338年、この年の8月には暦応に改元されており、11月は本当なら暦応元年になるべきところだが、05改元に気付かなかったのか、彫った時点で間に合わなかったのかは詳らかでない。もっともこのように改元前の年号を刻むケースは時々見られる。04中台は最下部に方形の竿受を設けて下端は覆輪付単弁の請花とし、側面は二区に枠取りして内に浅い格狭間を彫る。上端は二段にして火袋を置く。火袋は外側に狭い輪郭で枠取りし、井桁状に低い桟を入れて中央に方形火口を前後に穿ち、左右は蓮華座のレリーフ上の円窓とする。中央上段は二区の横連子、下段は素面の二区とする。笠は伸びやかだが、軒口の厚み、軒反とも力が抜け重厚感は感じられない。軒口に段を設けて桧皮葺屋根風とするのは、桜井市浅古会所の宝塔などとも共通する手法。笠裏には隅木と垂木型を薄く刻み出している。請花宝珠は一石彫成で、請花下端には裾広がりの頸部が見られ、隠れているが最下部には枘があって笠頂部の枘穴に差し込むものと思われる。請花には覆輪付単弁と見られる蓮弁がある。宝珠は先端の尖りまで良く残り、重心の低い完好な曲線を示す。

簡素かつ飾り気の少ない意匠表現で、際立った特長にも乏しい。基礎反花の蓮弁や宝珠請花の蓮弁などは彫りが浅く抑揚感に欠け、出来映えにも正直いまひとつのところもあるが、全体にすっきりしたデザインに上手くまとめて好感が持てる。四角型の石灯籠としては大きい部類で、笠の軒先の一部に少し欠損部があるものの、14世紀前半代の四角型灯籠で、基礎から宝珠先端まで当初の部材が全部揃うのは稀有の例である。特に火袋がよく残る点は貴重で、火袋の残る四角型の石灯籠としては大和でも在銘最古の基準作として注目される。

 

参考:清水俊明『奈良県史』第7巻石造美術

   川勝政太郎・岩宮武二『燈籠』

 

向かって左隣の石灯籠は、パッと見、そっくりですが、竿の正面に「常夜灯」と刻み、近世に建武のを模して作ったレプリカです。蓮弁や宝珠など細部を観察するとその出来映えの違いは明らかです。隣どうし並んだ両者をよく見て比べるのは作風や手法を知る上で勉強になりますね。

さて、案内看板があるのはとても結構なことですが、立っている位置が写真撮影や観察には少々近過ぎるようです。また、「改元後3年もつづいて以前の元号を用いている例は珍しい」と書いてあります。まさか建武が2年で終わると思ってるんじゃ…。建武は南朝年号でも3年2月まで、北朝年号ではちゃんと5年8月まであります。二重に間違いを犯しているかもしれません。看板を立てて石造美術をきちんと顕彰していこうというのは素晴らしい取組みですが、立てる位置といい内容といい、もう少し何とかなりませんかねぇ…。いや、これも石造ファンのわがままですね、口が過ぎたようです、ハイ。

 

 

四角型の石灯籠は、橿原市浄国寺の正和5年(1316)銘のものが在銘最古の遺品で、これに続くのが元亨3年(1323)銘の春日大社のもの。境内の御間道にあって今は春日大社の宝物館に移されている重要文化財で意匠表現の上からも四角型の最高傑作と言われています。これらはともに当初の火袋は失われています。実は大和は四角型石灯籠のメッカで、とりわけ春日大社には非常にたくさんの室町時代後半の在銘品が残されています。延慶2年(1309)に作られた『春日権現霊験記絵巻』という絵巻物に四角型の石灯籠が既に描かれており、鎌倉時代後期頃に神社向けにその形が考案され、春日大社で使われ始めたのだろうというのが川勝博士の説です。