石造美術紀行

石造美術の探訪記

滋賀県 東近江市上羽田町 円通寺宝篋印塔

2007-10-29 23:59:18 | 宝篋印塔

滋賀県 東近江市上羽田町 円通寺宝篋印塔

上羽田西方、田んぼの中にある共同墓地の中央にある無縁塚の頂上、三界万霊塔と彫られた近世の切石基壇に宝篋印塔が載っている。21花崗岩製。無縁塚は多数の中世末06期から近世初頭ごろの一石五輪塔や石仏などから構成されるピラミッド状で、昭和18年、境内の石造物を集積し、平成15年5月、集落内にある円通寺境内から移設された旨、石碑によりその経緯を知ることができる。基礎側面は四面とも輪郭を巻いて格狭間を配し、北側のみ格狭間内は素面、他の面は開敷蓮華のレリーフを飾る。格狭間は概ね整った形状ながら両肩が少し下がり、側線のカーブもふくよかさに欠ける。格狭間内はレリーフを中心にやや盛り上がる。基礎上は複弁反花式で抑揚感を抑え傾斜を緩やかにしている。17塔身は、月輪や蓮華座を省き直接金剛界四仏の種子を薬研彫する。字体は優れているが、14文字そのものは大きくない。西方弥陀のキリークが南面し、反時計回りに90度ずれている。塔身3面に刻銘があるとされ、肉眼での判読は困難ながら、少なくともキリーク面、アク面の左右の空間に刻銘があることが観察される。銘文は「有志者二親十/種子/三年追善□」、「造立也/種子/嘉暦元年(1326年)十月十一日(十月十一日は並記)」、「□□□」とされる。心なしか塔身が大き過ぎる気もするが、様式的に問題は感じないし、石材の質感にも違和感はないので寄せ集めとするには躊躇を感じる。笠は上6段下2段、隅飾は軒と区別し、ほんの少し直線的に外傾する二弧輪郭付。軒口はやや薄い。輪郭内は素面。相輪は伏鉢、上下とも複弁請花、九輪に逓減がほとんど見られず、先端宝珠が低く小さい点は異形といえなくもない。全体のバランスから相輪は若干小さく、風化の程度や質感も違うようにも見える。無縁塚に登り至近距離で触れて観察するようなことは控えたので何ともいえないが、高さ約143cmと5尺塔とするには中途半端に背が低い点も考慮すれば、相輪は後補の可能性を否定しきれない。総じて保存状態は良好で、非常によくまとまった印象を与える。(まとまり過ぎて却って個性的でないともいえる。)鎌倉末期の典型例・基準資料として貴重なものといえる。

参考:川勝政太郎 「近江宝篋印塔の進展(四)」『史迹と美術361号』

   八日市市史編纂委員会編 「八日市市史」第2巻中世 634~635ページ

(情報を頂き、早速行ってきました。円通寺の南方を捜しましたが見当たらず、諦めて布施町方面に抜けようとした時、田んぼの中にそれらしい共同墓地が目に入り、無事を確認できました。それにしても1326年は、宝篋印塔造立がちょっとしたブームだったのでしょうか。正中3年4月に嘉暦に改元されており、先に紹介した同じ東近江市(旧八日市市)野村町八幡神社宝篋印塔(正中3年銘)のほか五智町興福寺宝篋印塔(嘉暦元年銘)と同年の造立です。ほぼ同じ地域内にあっていずれもよく似た小・中型の作品ですが、逆に細かい相違点に注目して観察し、あれこれ考えてみると、おもしろいですし、様式観の涵養にもつながるのではないかと思います。)


滋賀県 東近江市上羽田町 円通寺の宝篋印塔に関する情報

2007-10-23 22:15:49 | 宝篋印塔

滋賀県 東近江市上羽田町 円通寺の宝篋印塔に関する情報

同好の方から情報を頂きました。どうやら境外地にある墓地に健在の由です。祝着至極です。その方が04年に訪れられた際、境外地南方の水田中の共同墓地内に無事にあったとのことです。嬉しい限りです。近日中に再度探訪し、この目で無事を確かめて報告したいと考えています。なお、天理市王墓山の宝篋印塔と層塔に関して、その方が95年に訪ねられた時にはきちんと揃っていたとのことです。盗難事件はそれ以降に起きたようです。返す返すも残念です。
情報を頂いた方にお礼申し上げます。また、同好の士の存在を何より心強く感じた次第です。今後ともよろしくご指導いただきますようお願いしたいと思います。恐惶謹言


天理市王墓山の宝篋印塔に関する情報

2007-10-16 22:20:22 | 奈良県

天理市王墓山の宝篋印塔に関する情報

奈良県天理市上総の王墓山の宝篋印塔2基はどこにあるのでしょうか?という記事を掲載しましたが、さる情報によると、どうも塔身が近年盗難に遭い、現在は容易に観察できない状況にあるとのことでした。(ショック!)屋蓋四注形の宝篋印塔の代表例として、しばしば諸書に取り上げられ、大和でも屈指の古い宝篋印塔として著名な石塔でしたが、これを盗もうなど、考えられぬ暴挙、遺憾の極みです。塔身が無事に戻り旧状に復することを切に祈念するとともに、盗人には必ず仏罰が降ると信じたいものです。

こういうことに備え、詳細な記録保存がなされ、また、その結果がオーソライズされておく必要性を痛感します。また、安易な「対処療法」によって身近な石造美術と善意の愛好者との距離がますます遠くなることを懼れる次第です。