石造美術紀行

石造美術の探訪記

滋賀県 野洲市三上 御上神社縁束石

2008-03-30 11:50:13 | 台座・礎石

滋賀県 野洲市三上 御上神社縁束石

美しいコニーデ形の山容で近江富士として親しまれる三上山は、湖東のみならず、たいていの琵琶湖周辺地域からその優雅な山容を望むことができる。03孝霊天皇6年、ここに御上神社の祭神、天之御影命が降臨したと伝えられる。05三上山の西麓、神体山を拝する場所にある御上神社の創建は古代に遡り、平安時代には相当の社格で信仰を集めたことが確認される。おそらく先史時代の山岳信仰や磐くら信仰のようなプリミティブなところからスタートしていると思われる。楼門、拝殿、本殿が南北に並び、本殿左右に摂社がある近江でよく見かける典型的な社殿配置である。本殿、拝殿は鎌倉時代初め、楼門は南北朝期のものとされ、国宝、重要文化財に指定されている。近江はこうした古い神社建築が実にたくさん残っている点で奈良・京都に引けをとらない。優れた石造美術が多く残ることと様相が似ている。さて、三上神社の本殿は仏堂の要素をミックスした独特の社殿建築で、本地仏を阿弥陀如来とする神仏習合のなごりをとどめている。背面07を除く周囲に縁が設けられ、その柱を受ける束石(一種の礎石)は、石造美術として川勝博士により紹介されている。花崗岩製。直径36cm。本殿の4隅、左右に3個づつ、正面4個14、都合14個ある。平面六角形、側面は素面で上部は抑揚のある複弁反花で装飾されている。小花は見られず、一辺の中央に1弁、左右角に弁先がくるよう配されている。石灯篭や宝篋印塔などの石塔の基礎や台座と同じような意匠である。上端には円形の柱受座を刻みだし、その周縁部には連珠文を飾っていた痕跡がある。正面右端の個体の側面に横向きにして「建武二二年」(建武4年(1337年))銘があるとされるが半ば埋まってはっきり確認できない。この頃、本殿に縁部を補加したものと考えられている。三上山周辺の妙光寺山から東光寺山にかけて中世の寺院跡が集中し、戦国期に焼滅・退転するまでは神仏習合の一大信仰地域の様相を呈していたと推定されている。御神神社も応仁・文明の乱でしばしば戦場の巷となったらしく、近隣の寺社等の多くが焼亡したと伝えられる中、今日まで古い社殿が残っているのはまさに奇跡といえる。この他、鎌倉時代の木造狛犬が伝わる。これは石造の狛犬を考える上でも参考になる優品である。

参考:川勝政太郎 新装版『日本石造美術辞典』 250~251ページ

   平凡社 『滋賀県の地名』 日本歴史地名体系 25