石造美術紀行

石造美術の探訪記

滋賀県 東近江市長勝寺町 長勝寺宝塔

2007-09-08 08:38:30 | 宝塔・多宝塔

滋賀県 東近江市長勝寺町 長勝寺宝塔

旧神崎郡能登川町の東方、愛知川の西に和田山がある。和田山は旧五個荘町にまたがる標高約180mの独立丘陵で、観音寺城の支城和田山城跡の遺構が残っている。ピークから西に伸びる尾根上にある長勝寺(臨済宗妙心寺派如意山長勝禅寺)へ向かう長い石段の参道を登ると、中腹に花崗岩製の石造宝塔が立っている。03_7 石垣状の基壇は後世のもの。基礎は側面3方に輪郭、格狭間内に三茎蓮華文を配する。背面のみ素面。基礎は背が高い印象だが基礎底面は不整形でどこから高さを測るかにより幅:高さ比のパーセンテージは変わるだろう。輪郭幅は薄く、三茎蓮華文は宝瓶を備えいずれも概ね対称的だが、3面それぞれ少しずつデザインを変え、なかなか凝っているが、格狭間に関しては、脚部が長めでハ字に開き、花頭中央が狭く、連続する弧から側線につづく曲線もややぎこちなく、意匠的には洗練されているとはいえない。塔身は首部と軸部の間に匂欄部を配した一石作りで、軸部はやや下端がすぼまり、上部饅頭型部分の曲線は弱い円筒形で、首部に比べ匂欄が高い。軸部正面にのみ鳥居型を大きく薄肉彫するほかは素面。笠裏の斗拱型は2段で上段はやや薄く、下段は厚いが幅は軒幅に比べ狭い。四柱の屋だるみ、軒反りともにかなりきついが、軒先の厚みがそれ程でもないので軽快な感じである。隅降棟は断面凸状突帯で、隣接する左右が露盤下で連結する。露盤は高い。相輪は第1輪以上を欠損し、無縫塔の塔身らしきものが載せてある。伏鉢・下請花の曲線は良好で、下請花は複弁。田岡香逸氏によれば素面の基礎側面に「嘉暦二年(1327年) 六月日/願主 阿闍梨…」の銘があるといわれるが肉眼で02_22は確認できない。基礎、匂欄、斗拱部といったディテールを高めにしているためか塔全体のフォルムが縦長で安定感に欠け、落ち着かない印象の意匠になっている。相輪は大半を欠損しているものの残存部を見る限りその表現は優秀である。現高約2.2mで元は10尺塔と思われ、規模も大きい。紀年銘とあいまって鎌倉末期の指標となる貴重な遺品である。

 なお、石段登口に右手に「一字一石血書法華塔」碑がある。 近世のもので、小石に法華経の一文字を書いて納めた一字一石の経塚は少なくないが、このように血書と明記したものは稀である。大勢の結縁者がそれぞれ血を混ぜた墨で文字を書いたのだろう。(一人でやると貧血で倒れそう…)法華経の文字数である万個弱の小石がこの下に埋めてあるのだろう。祖先の信仰への思いを伝えるものとして注目される。

先に紹介しました旧五個荘町の河曲神社や下日吉の山の脇の宝塔とは1km内外の至近距離にあり、それぞれに個性があって、構造形式や意匠の相違点や共通点を見比べてみるとおもしろいと思います。あわせて見学されることをお勧めします。

参考:田岡香逸 「近江能登川町の石造美術」(1) 『民族文化』55号

   瀬川欣一 『近江石の文化財』 129ページ


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