石造美術紀行

石造美術の探訪記

「石造美術」という言葉について(その1)

2018-12-16 14:44:13 | 石造美術について

「石造美術」という言葉について
「石造美術」誕生秘話
 「石造美術」という言葉の誕生について、産みの親である川勝政太郎博士が述べておられるコラムがあるということを先達からお教えいただきました。筑摩書房の『言語生活』第158号(1964.11)という雑誌です。川勝博士が大阪工業大学で教鞭をとっておられた時分のことで、「石造美術といえば誰でも石で造った美術品のことだと理解されるであろう。そして古くからある言葉だと思われる方が多いが、実はこの言葉は私の研究上の必要から、三十年ほど前にはじめて生まれたものなのである」という書き出しで始まるこのコラムについて、少しご紹介したいと思います。
 それによると、川勝博士は、恩師の日本建築史の第一人者で石塔や石灯籠研究の草分けであった天沼俊一博士(18761947)の石造物研究を受け継ぎ「石造物専門の研究を推し進めてみたい」と考えられたそうで「石塔と石灯籠に限らず、もっと広く各種の石造物を総合して研究する必要のあることに思い至った」と述べておられます。そして石の工人が作るあらゆるものを総合的に研究対象にしないと、日本の石の文化を明らかにすることができないと考えたと言っておられます。注意してほしいのは、川勝博士が「石造物研究」「石造物専門の研究」「各種の石造物」という言葉を使っている点です。
 
その後、中野楚渓氏(?~?)の計画で『京都美術大観』12冊を、当時気鋭の中堅若手研究者が執筆することになり、そこに石造物研究の川勝博士も加えられたそうで、昭和7年の秋、ここからは特に重要なので原文を抜粋します「その時に書名を何とするかが問題になって、編集会議をその頃京都の河原町三条南入にあった一品香という中華料理店の階上で開いた席上で、いろいろと考えた。石造物、石造遺物などでは、いくら対象が石でも固すぎるというので、ついに石造美術とすることに決まった。こうして石造美術なる新しい言葉が誕生したのである。必ずしも美術的なものばかりではないにしても、それらを作った工人たちが、できるだけ形のいいもの、いい技術を示そうとしたものであるから、余りこだわらないで石造美術とよんで各種類を一括する名称としたわけである。」川勝博士をはじめ当時気鋭の研究者が集まった編集会議において「石造美術」という言葉が産まれたことが分かります。(続く)


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