奈良県 宇陀郡榛原町赤瀬 千福寺宝篋印塔
天満台西の団地の西のはずれに、墓地があり、その中央に小堂がある。無住で千福寺というらしいが、どこにも寺名を示すものは見当たらない。墓地はお堂の裏山に広がっている。お堂の向かって左、墓地の入口にあたる斜面に、僧形(弘法大師か?)を陽刻した石仏と隣り合って立派な宝篋印塔が建っている。周辺には小型の石仏や3尺サイズの五輪塔が数基並んでいる。訪れた時は、雑草が多く、石仏や五輪塔の多くは草の中に埋もれており、宝篋印塔も基礎下部は草の中ではっきり見えにくい状態であったが、基壇や台座はないようである。相輪は欠損して、五輪塔の空風輪が載せてある。笠上6段、笠下を四隅とその間に各々3弁の都合16枚の傾斜がなだらかで優美な単弁請花とし、軒と一体延べ造りとした隅飾は小さく、ほぼ直立して一弧無地。うち1つは完全に欠損している。塔身は四方に二重円光背を彫りくぼめ、蓮華座に坐す如来像を半肉彫している。(※ 顕教4仏)基礎は上を2段とし側面無地で、背面が大きく剥落している。銘は確認できない。安山岩製(※)(安山岩かもしくは類する室生火山岩系と思われる。表面がざらついた感じのもので、軽石のように多くの気泡と石英などの結晶を含んで火山灰が固まったような黒っぽい火成岩。黒色系の流紋岩質溶結凝灰岩とでもいうべきもの。)相輪を除く高さ124cm(※)で決して小さくはない。最大の特徴は笠下の請花で、田岡香逸氏のいう「特殊宝篋印塔」である。大和では、生駒市有里の円福寺南塔や弘長3年銘(1263年)高取町上小嶋観音院塔、奈良市菩提山町正暦寺東塔が代表例として知られるが数は多くない。笠下の特徴、小さく直立した延べ造りの隅飾、軒幅があって逓減率が大きく安定感のある笠石、全体のサイズ、塔身の四仏の像容などに古い要素を見る。清水俊明氏は鎌倉後期とされる(※)。
参考
※ 清水俊明『奈良県史』第7巻 石造美術 495ページ