石造美術紀行

石造美術の探訪記

滋賀県 野洲市三上 西養寺宝篋印塔

2007-01-17 22:15:24 | 五輪塔

滋賀県 野洲市三上 西養寺宝篋印塔

02御上神社の北西、三上の小中小路集落の中央に西養寺がある。無住のように見受けられる小寺院だが、境内の手入れは行き届いている。境内南隅の鐘楼を右手に見て山門をくぐると本堂向かって左手に無縁の石塔石仏類が雛壇式に高く積み重ねられている。最上段中央のやや大きい五輪塔を中心に、小型の宝篋印塔や多数の一石五輪塔があり、一石五輪塔のほとんどは、小型で白っぽくキメの粗い花崗岩の粗製のもので、近江では広く見られるタイプのものであるが、中段中央付近に、調整の丁寧な、一見すると四石組み合わせ式の五輪塔と見まがう程に整った一石五輪塔が2点並んでおり、注目される。花崗岩製と見られ、銘文があるようにも見えるが、雛壇の下からは確認できない。室町後期でもやや古い頃のものであろうか?

15_2山門の西側は細長い墓地になっており、南西隅の生垣に接して置いてある巨大な宝篋印塔の上部が一際眼を引く。笠と相輪のみで、塔身、基礎は見られないが、高さは目測で2mはある。笠の軒幅は1辺が約95cmもあり、復元すれば10尺余もあろうかという巨塔で、昭和40年代に広くこの地方の石造美術を調査された故・田岡香逸氏の昭和49年頃の知見によれば、近江最大の宝篋印塔(※)とされているものである。花崗岩製。笠下は埋まっているが、2段までは確認できる。笠上は7段で、5段の上にさらに2段を別石で載せている点はあまり例がない。規模が大きすぎて製作便宜上石材を分割したのだろうか。別石部の接合面下部に納入孔が設けられている可能性もありうる。隅飾は1個が欠損しているが、軒と区別して直線的にやや外反する三弧輪郭付、輪郭内には蓮華座上に月輪を陽刻し、その中に種子を陰刻している。種子ははっきり確認していないが、各面同一のものではなく、ウーン、バクらしいものがあるが不詳。相輪は珍しく完存している。宝珠、上下請花、伏鉢の曲線はスムーズで、九輪は凸凹をはっきり彫り出し、請花は風化により確認できないが、上が単弁、下が複弁と見られる。笠は全体として幅広で安定感があり、隅飾内の蓮座の蓮弁表現もしっかりし、相輪宝珠の完好な形状などを考慮すると、所謂典型的な鎌倉後期様式が完成期を迎えた最盛期ごろのものと考えられる。規模が大きく隅飾3弧で、蓮華座を伴う月輪内に種子を配する点や笠上を7段とする点などの特長を鑑み、細かい相違点はあるものの嘉元2年(1304年)銘の日野町十禅師の比都佐神社塔や正安3年(1301年)銘の近江八幡市上田町篠田神社塔などが参考になると思われ、具体的には14世紀初頭から前半のものと推定したい。

残存するのは笠以上のみだが隅飾1箇所を欠く以外は保存状態良好。規模が大きいわりに間延びしたようなところはなく、形状もよく整い装飾意匠も行き届いた優品で、基礎や塔身がないことは誠に遺憾である。

参考

※ 田岡香逸 『近江の石造美術3』 民俗文化研究会 72頁~73頁