石造美術紀行

石造美術の探訪記

「石造美術」とは何だろう

2007-01-10 16:15:44 | 石造美術について

「石造美術」とは何だろう。

昭和8年『京都美術大観』の石造美術編で「石造美術」という言葉を初めて用いた川勝政太郎博士(1905~1978)は、代表的著作のひとつである『石造美術入門』においてこう述べておられます。「要するに、飛鳥時代から江戸時代に至る歴史時代の、石を材料として作られた遺品で、その形が人工的に作られたものを指すが、自然石であってもその石面になんらかの形態彫刻を加えたものをふくめる」。そして、層塔、宝塔、五輪塔、板碑、石仏など25種類にカテゴライズされました。(石造美術の分類には諸説あって、博士自身も便宜上の措置であって拘泥しない柔軟なスタンスをとられています。)

また、博士は概ね次のような認識を示されています。歴史時代において、石を素材として工作したもののほとんどが仏教とその信仰を基本に持つもので、本来は信仰の上の必要から作られ、鑑賞的な美術品ということがふさわしくないような遺品もある。しかし「人間は本質的には美術的なものを作りたいという意欲を持っており」、これらには造形の上に、また装飾の上に、多少にかかわらず美術的意思が働いている。さらにこの認識に立って行なう研究は作品としての造形を中心に優劣や製作年代を評価・追及するもので、歴史考古学に直結していく。したがって石造文化財、石造物、石造遺品などの言葉によって、この分野を扱う場合もあるが、総合研究の名称として「石造美術」という言葉を用いる…と述べておられます。

また、「石造美術遺品は虚像ではなく、古人が心魂をこめて造り遺したその物が、現実に私どもの前にあり、貴族から庶民に至る広い階層の人たちの歴史につながっている。そしてそのほとんどは屋内に秘めれることなく、誰でもが親しく礼拝し、実見することのできる性格を持っている。そこにこれらの資料によって、人間の歴史のいろいろの面が研究される可能性が無限にあると信じる」とされています。そして歴史的文献の少ない地域でも、時代の新古を問わなければ石造美術遺品は、必ずしも貧弱ではなく、そうした資料を今まで放置していたのである。石造美術の研究は今までの状況を打破する道を開くものだ…!!とされています。

つまり、だいたいにおいて次のとおりと思います。①石に何らかの工作がされている、②歴史時代のもの、③主として仏教関係のもの、④美術的意思が内包されている、⑤身近である、⑥人間の歴史や思いを偲ぶものである、というようなことでしょうか。そして石造美術の研究は、現物主義的なスタンスから作品の優劣や製作年代を論じ、歴史や考古学などの手法を用いつつ相互に補完しあって地域の歴史や文化に光を当てようとするものといえるかもしれません。

川勝博士は石造美術研究の泰斗として著名ですが、仏教芸術や建築史など広範な人文分野に造詣が深く、京都大学では梅原末治博士の下で考古学の手法も学ばれた総合的な研究者で、若干25歳にして「史迹・美術同攷会」を主催し、石造美術も含め広く歴史的な文化財や伝統的な美術などの普及啓発に生涯を費やされた人物です。

かくいう小生も著作を通じて啓発されたひとり、もとより研究家などというものを志向することではありませんが、形の美しさや、面白さを鑑賞するのみにとどまらず、その内容や文化史的なこともあわせて関心をもった「奥行きのある鑑賞態度」で趣味の内容を深めていきたい思う石造美術入門者です。

川勝博士の没後30年にならんとしています。ひと頃の石仏ブームもどこ吹く風、博士の著作片手に訪ねる先々で実感するのは、その価値を省みられることなく忘れ去られ、依然として「放置」されたままの石造美術遺品の数々です。

とにかく、道端に転がる石の地蔵さんから博物館の展示ケースのガラス越しにしか見ることができない石造美術遺品に至る、さまざまな石造美術、「石」の造形を通じて古人の思いや人間の歴史、そして「石」の価値を、一人でも多くの人に再認識していただけるきっかけにでもなれば幸いで、それが川勝博士をはじめ先人の学恩にわずかでも報いることにつながるように思います。 恐惶謹言。

というわけで、これから追々石造美術を訪ねていきます。よろしく。