石造美術紀行

石造美術の探訪記

滋賀県 東近江市(旧蒲生郡蒲生町)川合町 称名寺石造露盤

2007-01-21 08:57:32 | 滋賀県

滋賀県 東近江市(旧蒲生郡蒲生町)川合町 称名寺石造露盤

03_1 布施山南麓の願成寺の南方、願成寺に向かう参道が旧道と交わる東側に称名寺がある。立派な本堂の、向かって右手、鐘楼の北側に狭い墓地があり、無縁の石塔類をピラミッド状に積み上げた頂に近世の墓石か石仏の基礎と思われる方形の石を半ば埋め込み、その上に宝篋印塔の塔身を据え、その上に五輪塔の水輪を載せ、さらにその上に石造露盤が載っている。露盤とは宝形造の堂塔などの屋根頂部に設置され宝珠や相輪伏鉢の間にあるもので、石造美術の単独カテゴリーとして扱われる場合は、こうした木造建築物のパーツである。石製は珍しく、金属製や瓦製が多い。層塔や宝塔などの石塔でも屋根の頂部に露盤を刻みだすことがある。京都神護寺文覚上人廟、奈良大宇陀大蔵寺のものが有名であるが、例が少なく、滋賀県でも若干が知られるに過ぎない。
称名寺の石造露盤は、外観が扁平な四角柱で、上面は四柱に沿って緩い傾斜がつけてあり、頂上付近で傾斜がやや急になる。側面は二区に分け格狭間を入れている。頂部を2段に彫りくぼめてあるらしく(※1)、請花宝珠を挿し込んだものと思われるが今は亡失、三石五輪塔の空風火輪が載せてある。底面は水平ではなく浅く抉りが入る。幅約57cm、高さ約21cmの花崗岩製。
石造露盤は例が少なく、希少価値の高いものだが、例が少ない故に年代を判断する基準も明確になっていない。「蒲生町史」では鎌倉後期(※1)、川勝政太郎博士は室町(※2)、田岡香逸氏は鎌倉後期後半(※3)と諸説ある。小生は、格狭間がやや崩れぎみで、やや側面の高さがある点から、14世紀中ごろのものではないかと考えたい。
今は無縁墓石といっしょになって特に違和感もないものだが、かつてはお堂の屋根のてっぺんにこれが載せてあったのである。その様子を想像することも石造美術を味わう上での楽しみである。
なお、初めの方で述べた願成寺はここから至近で、正安4年(1302年=乾元元年に改元)銘の水船、石燈籠や宝塔、宝篋印塔の残欠類、五輪笠塔婆など中世石造美術が多数あり足を延ばされることをお勧めします。もっとも東近江市とその周辺は質量ともに日本一の石造美術地帯と言って過言ではなく、見所は枚挙に暇がないほどです。
参考
※1 蒲生町史編纂委員会『蒲生町史』第3巻 403~404ページ
※2 川勝政太郎『歴史と文化 近江』 136ページ
※3 田岡香逸『近江の石造美術6』 43ページ