( ローマを流れるテヴェレ川 )
塩野七生さんは、ローマのテヴェレ川の近くにお住まいであると、そのエッセイのなかに書いておられた。
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司馬遼太郎の『この国のかたち』は、総合雑誌『文芸春秋』の毎月の巻頭言を飾った文章をまとめたエッセイ集である。私は司馬さんが書いてこられた厖大な歴史文学もさることながら、このエッセイ集が好きである。日本の歴史のあれこれが深い造詣と彫りの深い日本語によって語られていて、日本国民必読の香気ある書だと思っている。
西洋史について何の知識も見識もなかった私にとって、塩野七生さんの諸作品はヨーロッパを旅する私の基礎教養となった。もし塩野さんの本を読むことなくヨーロッパ旅行に出かけていたら、ずいぶんと薄っぺらな旅になっていただろう。
その塩野さんが、司馬さん亡き後、『文芸春秋』の巻頭言として書いてこられたエッセイをまとめたのが、文春新書の『日本人へ』シリーズである。今回がその第4巻になった。
ローマから日本へ向けて書かれたこれらのエッセイを読んでいると、そのことごとくにわが意を得たりと思ってしまうのである。「友」とか「知己」とか言っては畏れ多いが、こんなに意見が一致し、共感できる人は他にないのではないかとさえ思う。
私は塩野さんのようには何ほどの社会的影響力ももたないのであるが、私もまた大和の片隅から、愛する日本にエールを送り続けている一人である。
さて、このエッセイ集の最後の章に、塩野さんはこのように書いておられる。
「今執筆中の『ギリシャ人の物語』の第3巻をもって、私の作家生活も50年になる。それで、本格的な、つまり勉強して考えてその結果を書くという歴史エッセイは、これで終わりにしようと決めた。
集中力が衰えた、のではない。1年もの間集中力を持続するには欠かせない、体力が衰えたのだ」。
ここでおっしゃる「歴史エッセイ」とは、歴史文学のことで、普通のエッセイはまだまだ書かれると思うのだが、この本の最後の最後が、「(歴史を書くことは、) … 一生の選択としては悪くなかったと思っている」という一文によって終えられているのを読んだとき、… なぜか自分が引退・退職して、職場を去った日のことが重ねあわされた。
異郷の地で自身の命を燃焼させて歴史を勉強し執筆された日々を想像し、心からお疲れさまでしたと申し上げると同時に、終わり方までカッコいいですねという称賛と、淋しさを伴った心からの感謝の気持ちを捧げたいと思います。
以下は、上記の書から私が共感した文章の抜粋。抜き出しているうちに、ずいぶん多くなってしまった。
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< 政治家のありよう…その1(ヒラリーの敗因) >
「生涯の大勝負に二度も、初回の相手はオバマ、二度目の敵はトランプ、で敗れたヒラリーの政治キャリアはこれで終わりだろう。それでもなお彼女の敗因を探るのは、野望に燃えている日本の女たちへの参考になるかと。
まず、ヒラリーにとっての最大の敵はヒラリー自身であることへの自覚の欠如。ガラスの天井とか男社会の壁とか、そんじょそこらのフェミニストが口にする薄っぺらな責任転嫁は、大統領を目ざした女ならば口にすべきでない。
第二に、『初めての女性大統領』を強調しすぎたこと。…
敗因の第三だが、何かをやりたいから大統領になるのではなく、何が何でも大統領になりたいという印象を与えてしまったこと。野心的であるのは、悪いことではない。だが、それだけというのでは男であっても見苦しい」。
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< 政治家のありよう…その2(コールの場合) >
「6月17日、ヨーロッパ各国のテレビはいっせいに、ドイツの元首相ヘルムート・コールの死を報じた」。
「その前年(1989年)、ベルリンの壁が崩壊した。これをコールは、ドイツ人の秘かな願望であった東西ドイツの統一を実現できる、好機と見たのだろう」。
「だがあの時期、ドイツ以外のヨーロッパ諸国は、ドイツ統一に賛成ではなかったのだ。第一次、第二次と2度もの大戦によるトラウマで、強大化する可能性大のドイツ統一を喜ぶヨーロッパ人はいなかったのである」。
「西ドイツ内でも、東と西では経済力の差がありすぎるという理由で、経済界が反対。労働界も、東独からの安い労働力が入ってくれば西独の労働市場が破壊されるという理由で反対。国民投票にかけていたならば、反対多数でポシャっていただろう。
あの当時の状況をリアルタイムで追っていた私には、西ドイツ首相のコールは孤立無援に見えた。だがここから、後年になって『外交の傑作』と言われることになる、『目的のためには手段を択ばず』と言っても良い手腕が発揮される。……」。
「国内では、経済界の反対にも、労働界の強硬な反対にも、耳を傾けなかった。
ドイツ連銀に至っては、反コール一色になった。コールが、強い西ドイツマルクと弱い東ドイツマルクを1対1で、つまり同等の価値での交換を公表したからである。
たしかにこれは、経済を無視した政策であった。しかしコールは、東西ドイツの統一を、経済ではなく政治の問題であると確信していたのにちがいない。もう一つ彼が信じていたのは、ドイツ人が胸中に抱き続けてきた祖国の統一への熱い想いであったろう。
こうして、あの当時はほとんどの人が不可能と思い込んでいた東西統一が、実現したのである」。
「次の総選挙では、コールは大勝する。だが、この直後からコールを、統一のマイナス面が一挙に襲う。経済力の低下、大量の失業者の発生、等々。
改革とは新しいことに手をつけることだから、それによるプラスは、初めの頃は出てこない。反対にマイナスは、すぐに現れる。だから時間と忍耐が必要なのだが、それを理解してくれる人は少ない。98年の選挙では、コール率いるキリスト教民主同盟は野に下った」。
「 今ではそのコールを、ヨーロッパ中が、『ドイツ統一の真の功労者』と称えるように変わっている。『使い捨て』にはされた。だが、使った後で捨てられたのだから、これこそ政治家、政治屋ではない政治家、の生き方ではないだろうか」。
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< 政治家のありよう…その3(メルケルの場合) >
「民主主義のリーダーにこそ、大いなる勇気と覚悟と人間性を熟知したうえでの悪辣なまでのしたたかさが求められると思っているが、実際上のEUのリーダーであるメルケルとオランドだが、この2人は右にあげた資格に欠けていることでも共通している。『やってはいけません』一筋のメルケルでは、まずもって気が滅入ってしまうからリーダーにはなれない」。
「少なくとも経済政策だけは自国内で規定する権利を堅持し続けるべきだという思いを、ますます強めている。やってはいけないと言われるままにやらずにいたら、有権者たちから愛想づかしされたのが、EU内の国々の現状であった」。
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「ドイツの首相メルケル ── EU第一の強国ドイツを率いる立場にありながら、自ら先頭に立って引っ張っていくという気概なり肝っ玉なりが、この人からはまったく感じられない。彼女の口から出る言葉は「ナイン」だけで、拒否するからには代案を出さねばならないのに、そのようなことはまずしない。強弱混じった国々で形成されているEUをまとめていくには、強国ドイツが犠牲を払う必要があるのだが、その必要をドイツ国民に納得させる言葉にも、まったく熱がない。メルケル自身が、その必要を感じていないのではないかとさえ思う」。
「これが、イギリスがEU脱退を決める前のヨーロッパの実情であった。脱退が決まった今、ヨーロッパ中が大波に振り回されるであろうと想像するのも、たいしてむずかしいことではないのである。
しかも、揺れ動くヨーロッパに、舵にしがみついてでも自分が、と思う政治指導者はいず、自分たちで、と思う国もないのだから哀しい」。
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( ローマのポポロ広場を埋めるデモ )
< EUの難民問題 >
「経済面での緊縮政策への不満と並んでヨーロッパ各国でEU懐疑派が台頭した理由の一つは、次から次へとやって来る不法移民に対して実効性のある対策を打ち出せないことにあった。人道的には、食べていけない国々から来る人々を助けるのは当然である。
だが、難民たちが食べていけると思われているヨーロッパでは、緊縮政策による不況もあって、そう簡単には食べていけない。イタリアの失業率は13%だが、若い世代になると2人に1人が失業者だ。また、政策当事者たち*は口をそろえて、移民はヨーロッパの新しい力になると言うが、この人々と直に接しなければならない層にとっては問題はそう簡単ではない」。
* 政策当事者たち = 今、EUの政策を立案・決定しているのは、優秀な大学を優秀な成績で卒業したブリュッセルにいるEU官僚たちである。選挙で選ばれたギリシャやスペインやイタリアの大統領は無力。官僚たちが顔色を窺うのはドイツのメルケルだけ…と言われている。(参照 : エマニュエル・トッド『問題は英国ではない、EUなのだ』文春新書 )。
「一般市民は言う。かつてのイタリア人は移民先でゼロからスタートするのを覚悟していたのに対し、今の難民たちは何よりもまず、イタリア人と同じ待遇を要求するのだ、と。それに難民たちにも職を与えねばならないが、失業率13%、若年失業率に至っては40%にもなる国で、どうやれば彼らに、イタリア人並みの待遇まで保証する職を与えることができるのか、と。
大学や大新聞から定給を保証されている有識者たちは、この種の、彼らにすれば次元の低い問題にはふれない。ごく少数のフリーのジャーナリストがとりあげるときがあるが、そのたびに彼らはファシスト呼ばわりされ、右傾化の先鋒だと非難されている」。
「ここに紹介した一般市民の意見は、視聴者参加の時事番組をテレビで見ていて、それに参加していたイタリアの普通の老若男女の意見を拾い上げた結果にすぎない」。「言いたかったのは、昨今言われるヨーロッパ人の右傾化も、有名メディアの報道だけに頼っていてはわからない、ということだ」。
「… それでも、一つのことだけは言えそうな気がする。どこからも強制されたわけではないのだから、外国人を20万人も入れるなどということは、軽々しく口にしないほうが良いのではないかということである」。
⇒ EUの一員であるギリシアには超緊縮財政を強いたメルケルは、その後、人道的見地から100万人の難民を受け入れると言い、さすがに今度ばかりはドイツ人をはじめ、EU内で反発が起こった。
それまでは、難民受入れに疑義を出せば即「極右」(「ナチズム」)のレッテルを貼られた。最近は少し控えて、「ポピュリズム政党」。だが、「100万人の難民を受け入れます」というほうが、よほどポピュリズムのようにも思える。
いずれにしろ、定義なしのレッテル貼りは、アジテイターのすることだ。人々を扇動してはいけない。
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< 一神教のこと >
「日本人の多くが抱いている、『宗教イコール平和的』という思い込みは捨てたほうがよい。宗教とは、それが一神教であればなおのこと、戦闘的であり攻撃的であるのが本質である。(彼らが)平和的に変わるのは天下を取った後からで、それでも他の宗教勢力に迫られていると感ずるや、たちまち攻撃的にもどる。そして代表的な一神教は、キリスト教とイスラム教とユダヤ教。」。
「一神教は、ただ一人の神しか認めていない。ゆえに他の神を信仰する人は真の教えに目覚めない哀れな人とされ、布教の対象になる。だがそれでもまだ目覚めない者は救いようのない『異教徒』(つまり敵)と見なされ、殺されようが奴隷に売られようが当然と思われていた」。
「一神教と多神教のちがいは、神の数にはない。古代のローマ人も、合計すれば30万になったという神々の全員を信仰していたわけではなかった。一人一人は守護神を持っていたが、それを他者に強制していない。それどころか、敗者になったカルタゴの神にも、勝者であるローマの神々の住まうカンピドリオの丘に神殿を建ててやったのだ。ローマ人の『寛容』の精神とは、他者が最も大切にしている存在を認めることにあったからである。日本人だって、お稲荷さんを信じていない人でも、境内に立つキツネの像を足蹴にしたりはしない。真の意味の寛容とは多神教のものであって、一神教のものではないのである」。
( カンピドリオの丘から見たフォロ・ロマーノ )
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< 中国へ行ってきました >
⇒ 塩野七生の『ローマ人の物語』は韓国、中国でも出版されている。それで、中国の出版社から招待されて中国に行った。
「私の見た中国人はコワモテやシタタカどころか、笑っちゃうくらいに矛盾に満ちた人たちだった。なぜなら、あの大気汚染の中で、喫煙できる場所を探すのが東京以上にむずかしかったのだから」。
「歴史認識については日を変え人を変えて何度となく質問された。こういう問題には私でも真正面から答える。即ち、歴史事実は一つでも、その事実に対する認識は複数あって当然で、歴史認識までが一本化されようものならそのほうが歴史に対する態度としては誤りであり、しかも危険である、と答えたのだった。うなずいていたから、一応にしろ納得したのかもしれない。譲れない一線は誰であろうと譲らない。いや譲ってはかえって、相手の知性を軽視することになると私は思っている」。
⇒ 中国共産党史観による歴史認識の統一。それを国民にばかりか、他国民にまで押し付ける強引さ。一種の一神教の国である。
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< 原発事故の処理に当たって >
「福島原発事故は、なにしろ起こってしまったことなのだ。起こってしまったからにはそれをプラスに転化する努力もしないでは、ホモ・サピエンスであるはずの人間を自称する資格はない」。
「それには、廃炉技術のナンバーワンに躍り出るのが一番である。日本は廃炉技術のエキスパートになって、その技術を世界中に売り出す」。
「それには、若い力の加入が不可欠だ。積極的で建設的な仕事ということになれば、若い人も入ってくると思う。それもしないで廃炉も含めた原子力発電全般の技術者の温存と育成もしないとなれば、日本人は単に、福島原発事故を起こしただけの民族で終わってしまうのだ」。
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< 福島からの避難児童へのいじめ >
「横浜の学校で起きた、福島からの避難児童へのいじめ」。
「食卓でこんな話が交わされる。母親が言う。『ウチは小さい子もいるし、福島産のお米も野菜も買わないことにしたわ。放射能やら何やら、バイ菌もついているかもしれないから』。父親は、それに賛成もしないが反対もしない。このような会話を聴いた子が学校で、福島からの避難児童に残酷に当たっても、誰が非難できよう。両親の会話には、『あの人たちって賠償金も相当もらったらしいわよ』、という話もあったかもしれない。『賠償金』なんて、小学生の頭から生まれる考えではない」。
「子供は、親をまねることで育つのである。だからこそ育児は、大変だが立派なしごとなのだ。子供の無知で残酷なふるまいは、大人の無知と残酷さの反映にすぎない。福島の原発事故の直後、東京にいてさえ、放射能を恐れ、子供連れで関西や九州に避難した女流作家が2人いた。"良識派をもって任ずるマスコミ" は、この2人の行為を称賛した」。
「日本人がよく口にする「キズナ」なんて、この程度のシロモノである。あれからの5年余り、福島の人たちがどれほどの風評被害に苦しんできたか。横浜で起きたいじめも、そのうちの一つだと思うべきである。
たしかに、学校の対応にも問題はあった。だが、学校側にだけ責任を負わせることはできない。にもかかわらず、市当局もマスコミも、非難を向けたのは学校側に対してだけで、加害児童の親たちの責任に言及した人は皆無に等しかった。日本の "良識派 " の中身を見る想いになる」。
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< 人口の半分の女性が働くこと >
「経済成長時代に生きた(働いた)日本人にとっての『安定』とは、終身雇用であった」。
「子供をもつ女にとって、安全で身近で子供を託せる場を保証されること以上の『安定』はない」。
「子供が生まれても、仕事は絶対につづけること。私が妊娠したとき、大先輩の円地文子先生に言われた。たとえ書く量が半減しても書くのを止めてはいけない、子育て期間の後に執筆を開始したときの苦労に比べれば、子育て中の執筆続行の苦労なんて軽いものよ、と」。
「一人でできる作家業でもこれである。仕事を持つ女性の多くは、組織の中で働いている。しかも今や、日進月歩のハイテク時代。たとえ3年の育児休暇を保証されたとしても、その後の職場復帰は現実的に無理、ということになるだろう。だから、『女性活用』を机上の空論で終わらせないためにも、保育システムの完備は、重要な国家政策にさえなりうるのだ」。
「暫定措置法でよいから、政府が決めてまずはスタートさせる」「保育士の資格などは不可欠ではない。育児の経験者ならば、誰でもできる。… 要は、泣かれたぐらいで右往左往しないことなのだ」。
「出勤と退社時の交通事情だが、1時間後の出勤と1時間前の退社を認める方法もあるし、育児中の女性専用の車両を加えるとか、頭を働かしさえれば解決策は見つかる。なにしろ、育児中に限っての措置にすぎないんですよ」。
「中高年世代も、… 20年後の年金の保証はこの子たちが働いて稼ぐことにかかっていると肝に銘じ、近所の保育園に週の数時間でもボランティアで働いてみてはどうだろう。赤ちゃんの甘い匂いくらい、子育て時代に戻らせてくれるものはないのだから」。
「子育ては、政府の対策を待つだけでなく、日本人全体で取り組むに値する問題だと思う」。
⇒ 私に言わせれば、「保育園おちた、日本死ね」はだめですよ。「お上」にしてもらうことばかり考えてはいけません。「お上」も努力しなければならないが、当の本人であるあなたも動かなければいけません。自分はじっとしていて、してもらうことばかり考え、不満ばかり言っていては世の中は良くなりません。保育園には地域的片寄りがありますから、職場と保育園を優先し、住むマンションを移動するというのも、一つの手です。私たちの世代は、保育園なんてほとんどありませんでしたから、地域に保育園をつくる運動から始めました。認可を得られない共同保育園から始めた人もいました。今ある保育園は、そういう、次の世代の人のためにもと思って頑張ってきた人々の成果であるという一面ももっているのです。あなたは、あなたの子どもの世代のために何を残すのですか。「日本」とはあなたそのものですよ。
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< 書き終えて、初めてわかる >
「ついに脱稿。とはいえ昨年から始めていた『ギリシア人の物語』3部作の2巻目を書き終えたにすぎないのだが、私の場合は、脱稿後に感じる想いは、書き終えたというより、わかった、という想いのほうが強い」。
「あるときのインタビューで、『学者たちとあなたではどこがちがうのか』と問われたことがある。それに私は、こう答えた。
『その面の専門家である学者たちは、知っていることを書いているのです。専門家ではない私は、知りたいと思っていることを書いている。だから、書き終えて初めて、わかった、と思えるんですね』」。
⇒ 疑問を抱いて旅を終え、そこから書き始める私のブログと同じです。旅 → ブログ(紀行文) → わかった!!
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< 大切なことは負けないでいること >
「なぜドイツ人は、落ちるとなると頭から落ちてしまうのか。おそらくドイツ民族は、あらゆる面で優れた才能に恵まれていながら、落下には慣れていないのかも」
「反対にイタリア人は、慣れすぎである。落ちても足から落ちられるんだからと思っているので、落ちないで済むための配慮さえも怠ってしまう」。
「単純素朴な愛国者である私は、わが日本が、このドイツとイタリアの中間を行ければと切に願っている。つまり、勝たなくてもよいが絶対に二度と負けないこと。安全保障問題とは、これに尽きるとさえ思う」。
「日本人の大半は、第二次世界大戦を知らない世代で占められるようになった。この彼らに対して、『なぜ日本は負けるとわかっていた戦争をはじめたのか』よりも、『どうすれば日本は、今後とも長く負けないでいられるか』のほうが、より関心を呼ぶテーマになっている」。
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( フィレンツェの花の聖母教会 )
< 歴史から知る危機克服の鍵 >
「今執筆中の『ギリシャ人の物語』の第3巻をもって、私の作家生活も50年になる。
それで、本格的な、つまり勉強して考えてその結果を書くという歴史エッセイは、これで終わりにしようと決めた。
集中力が衰えた、のではない。1年もの間集中力を持続するには欠かせない、体力が衰えたのだ。(塩野さんは年1冊と決めて書いてきた)
そういうわけかこの頃は、50年間西洋史を書いてきて、何を学んだのかと考えるようになっている」。
「それは次のことだ。長期にわたって高い生活水準を保つことに成功した国と、反対に、一時期は繁栄してもすぐに衰退に向かってしまう国があるが、このちがいはどこに原因があるのか、という問題である。
前者の典型は、古代のローマ帝国と中世・ルネサンス時代のヴェネツィア共和国。
後者の好例は、古代ではギリシア、中世・ルネサンス時代ではフィレンツェ。
1国の歴史は、個人の一生に似ている。上手くいく時期ばかりではなく、上手くいかない時期もあるという点で似ている。
そして前者と後者を分ける鍵は、上手くいかなくなった時期、つまり危機、に現れてくる。言い換えれば、危機をどう克服したかが、前者と後者を分ける鍵になるというわけ」。
「それは、持てる力や人材を活用する、ということだ」。
「人材が飢渇したから、国が衰退するのではない。人材は常におり、どこにもいる。ただ、停滞期に入ると、その人材を駆使するメカニズムが機能しなくなってくるのだ。要するに、社会全体がサビついてしまうんですね」。
「… 反対にギリシアやフィレンツェでは、サビを取り除くのを、リストラという方法に訴える。歴史的に言えば、国外追放。おかげでギリシア時代のアテネやルネサンス時代のフィレンツェでは、テミストクレスやレオナルド・ダ・ヴィンチのような、頭脳流出の先例を作ってしまうことになる」。
「この頃の難民問題が人道的な感情だけでは解決できないのは、難民とは国家によるリストラだからである」。「国家が黙認している『難民』なのだから、今や経済大国になっている中国も例外ではない。中国からの不法入国者がいまだに後を絶たないのも、その辺りに真の事情がひそんでいるからだろう」。
「リストラ主義だと短期に回復を達成できるが、それとて長くは続かない」。
「自分たちがもともと持っていた力と、自分たちの中にいる人間を活用するやり方の方が、最終的にはプラスになってくるのだ」。
「なぜこうも簡単なことを、学界もマスコミも指摘しないのだろう。あまりに平凡で簡単なことで、識者とされている人の口にすることではないと思っているのだろうか。
だが、歴史を書くこととは、人間世界ならばそこら中に散らばっている、平凡で単純な真実を探し出して読者に示すことでもあるのだ。有閑マダムもよいが、一生の選択としては悪くなかったと思っている」。
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( 海の都…ヴェネツィア )
『ローマ人の物語』全15巻も、『海の都の物語』2巻も、『コンスタンティノープルの陥落』『ロードス島攻防記』『レパントの海戦』3部作も、『神の代理人』も、本当に面白くわくわくさせられました。今は遅ればせながら『ローマ亡き後の地中海世界』の「下」を読んでいます。続けて『十字軍物語』3巻にもいずれ取り掛かります。
読書の楽しさを教えてくれたのも塩野さんです。ありがとうございました。
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