ドナウ川の白い雲

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身はいかに / なるともいくさ / とどめけり……昭和天皇の御製歌

2014年09月11日 | エッセイ

 「昭和天皇実録」が公表された。(新聞報道は9月9日)。

 我が家は讀賣新聞だが、その内容を、新聞に書かれているだけ、読んだ。

 そして、改めて、昭和天皇の生涯が、我が国の歴史上のどの天皇よりも、苦難に満ちたものであったことを思った。

 二度と、国を亡ぼすような戦さをしてはいけない。

 傲慢は、国を亡ぼす。 隣国の傲慢さや憎悪(ヘイト) に対して、同じレベルで付き合ってはいけない。安倍首相でも我慢しているのだから。

   国も国民も、「スタンド・アローン」(NHKドラマ「坂の上の雲」の主題歌) でなければいけない。

 と同時に、貧しい国の人々や苦難にあえぐ国の人々から、感謝され、尊敬される、清らかな国にならねばいけない。あの東北大震災のとき、アジアのストリート・チルドレンまでが、小さなお金をカンパしてくれた。涙が出ます。

 大災害にあうことは不幸なことだが、こんなにたくさんの国のたくさんの人々からカンパを受けた国はないということ、そういうことにこそ、誇りをもちたいと思う。

   一旦、敗戦でご破算になってからも、その後もずっと、日本は世界に対して、地味な努力を積み上げてきているのだ。

     ( 野 の 花 )

          ★       

   さて、「実録」 の内容紹介の記事の中に、昭和天皇の御製歌も紹介されていた。そのほんのいく首かを、ここに紹介したい。

 海軍の青年将校らが犬養毅総理を殺害した5.15事件の翌年の歌会始めの歌

 天地の(アメツチノ)  / 神にぞ祈る 

  朝なぎの / 海のごとくに / 波立たぬ世を

 しかし、天皇の願いもむなしく、今度はもっと大規模で血なまぐさいクーデターが起きる。 2.26事件である。

 陸軍の青年将校たちが独断で部隊を動かし、首相以下政府の要人宅を手分けして襲撃・殺害し、東京を制圧した。青年将校たちの気持ちはわかるとして、すぐに鎮圧に動こうとしない陸軍上層部は、天皇に情報も入れず、天皇はやむなく自ら交番に電話をして、事態を把握されたという。そして、許すことのできないクーデター事件として、再三、早期の鎮圧を求めるが、軍部は動かず、天皇は、それなら自ら近衛兵を率いて討伐に向かうとまで言われた話は有名である。

 5.15事件の犯人に対する、軍部の甘い処分が、2.26事件を招いたと言われる。

 事件を起こした青年将校らも、断固として、これを抑えようという気概のなかった将軍たちも、その知性と感情において、井の中の蛙的で(世界からどう見られるかという複眼的視点のなさ=独善性)、若い天皇だけが大人の感覚をもって孤立奮闘しているかのようだ。

          ★            

    (駿河湾の富士山)

 あの8月15日の歌 

 身はいかに / なるともいくさ / とどめけり 

    ただたふれいく / 民をおもひて

   この歌は、

 爆撃に / たふれゆく民の / 上をおもひ

         いくさとめけり / 身はいかならむとも

という歌も含めて、いくつかあったなかで、昭和天皇の歌の先生である岡野弘彦氏に相談されて、「身はいかに」にされたそうだ。天皇の歌としてのちのちまで残るから、無難なものにされるのだろうが、実感としては 「爆撃に」のほうだと思う。

 当時の日本の状況だけでなく、ご聖断のときのやりとりなどを知ると、心に迫るものがある。

 以下、長谷川三千子 『神やぶれたまはず…昭和二十年八月十五日正午』 (中央公論新社)から

 「丘の上には ( 注 : 旧約聖書創世記の「イサク奉献」の話を寓意的に踏まえている)、一億の国民と将兵が自らの命をたきぎの上に置いて、その時を待っている。『日常世界は一変し、わたしたち日本人のいのちを、永遠に燃え上がらせる焦土と化すであろう』、その時を待ってゐる。

 ところが、『その時』は訪れない。奇蹟はつひに起らなかった。神風は吹かず、神は人々を見捨てたまふた … さう思はれたその瞬間、よく見ると、たきぎの上に、一億の国民、将兵の命のかたはらに、静かに神の命が置かれてゐた。

 この『第三の絵図』には、華々しいものはなに一つない。白馬に乗って丘をかけ上る大元帥陛下のお姿もなければ、天からふり下る天使の声もない。海が二つに割れることもない。ただ、蝉の音のふりしきる真夏の太陽のもとに、神と人とが、互ひに自らの死を差し出しあふ、沈黙の瞬間が在るのみである」。

 「歴史上の事実として、本土決戦は行はれず、また、天皇は処刑されなかった。しかし、昭和二十年八月のある一瞬 … ほんの一瞬 … 日本国民全員の命と天皇陛下の命とは、あひ並んでホロコーストのたきぎの上に横たはってゐたのである」。

   このような表現(見方)を昭和天皇が好まれるかどうか、わからない。もし長谷川三千子氏が、このような「とき」を、美しいと思って、かく描いているのなら、昭和天皇の意思に反していよう。

 ただ、国家の終末の切迫感と悲壮感は、よく出ている。

 だからこそ、そのような「とき」を二度と繰り返してはいけない。

 人の命に終わりはある。だが、国は違う。美しかろうが、醜かろうが、そんなことは二の次で、国を滅亡させるような国策は、下の下である。

          ★

 戦後、昭和24年の湯川秀樹博士のノーベル賞受賞は、敗戦に打ちひしがれた国民にとって大きな励ましであった。その報を聞かれて

 うれひなく / 学びの道に / 博士らを 

   つかしめてこそ / 国は栄えめ 

   最後に、昭和天皇還暦のときの歌

   ゆかりより / むそぢの祝ひ / うけたれど

    われかへりみて / 恥多きかな   

 昭和天皇の場合、「恥多きかな」には、あの戦争への重い思いが込められているのであろうが、そういう特別の人の歌としてではなく、ごくごく凡人の歌としても、この歌はいい歌である。

 若いうちは、年をとることを 「悟りを開く」、そこまでいかなくても、「枯れていく」 ことのように思うが、そういうものではない。

 長壽になった今の時代は、還暦よりもう少し後かもしれないが、「われかへりみて / 恥多きかな」という感慨を、いつしかもつようになる。生きるとは、そういうことだ。

 そして、それは、年とともに深まっていく。

  

     ( 美保関灯台 )

  


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