ドナウ川の白い雲

ヨーロッパの旅の思い出、国内旅行で感じたこと、読んだ本の感想、日々の所感や意見など。

「アルプスの瞳」・ブレッド湖を観光する …… アドリア海紀行(3)

2015年11月21日 | 西欧旅行…アドリア海紀行

「ドナウ川の白い雲」は、今回で、第150号になりました。今まで読んでいただいた方々に、心からお礼申し上げます。人気のブログではありませんが、読んでいただいている方々がいらっしゃるということ ── そのことが、唯一の、そして最大の励みでした。これからも、応援をよろしくお願いいたします。今夜は (も?)、/

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10月24日 のち   

 今日は、午前中に、今、ヨーロッパ観光の中でも人気絶好調、「アルプスの瞳」と称されるブレッド湖を訪問する。午後はスロベニア共和国の首都リュブリャナの見学。

     

   ( ブレッド湖とブレッド城 )

< 小さな共和国・スロベニア >

 スロベニア共和国は、スイスよりもひと回り小さい。

 南側は、昨日、国境を越えたクロアチア共和国。旧ユーゴスラビア社会主義連邦から独立した国の中で、いちばん北に位置する。

 北はオーストリア、西はイタリアと長い国境線を接し、東側をわずかに接するハンガリーも含めて、いずれもカソリックの国。スロベニアもカソリック文化圏に属してきた。ちなみに、旧ユーゴスラビアのリーダー格であったセルビアの宗教は、セルビア正教である。

 それに、スロベニアは (クロアチアも )、社会主義時代から、風光明媚なアドリア海を目指す西側諸国からの観光客を受け入れてきた。何より、経済的に、旧ユーゴスラビア圏のなかでは豊かであった。

 そういうこともあって、1990年には自由選挙が行われた。翌年、クロアチアとともに独立を宣言。クロアチアは苦労したが、スロベニアはわずか10日間のユーゴスラビア軍との戦争を経て、独立してしまった。

 今は、EUに加盟しているだけでなく、旧ユーゴスラビア圏で唯一、通貨もユーロに移行している。

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< 「アルプスの瞳」と呼ばれるブレッド湖 >

 ヨーロッパアルプスは、フランスの南東部、スイス、イタリアの北部に高い峰々を築き、さらにオーストリアの西部からスロベニアの北部に稜線を延ばしている。

 スロベニア北部のアルプス山系をユリアンアルプスと言うそうだ。イタリア、オーストリアとの国境を成す。

 その最高峰はトリグラフ山。標高2864m。そう高くはないが、印象的な山だ。

 スロベニア国旗の中に国の紋章があり、紺碧の空を背景にした白いトリグラフ山と三つの星が描かれている。つまり、トリグラフ山は、スロベニア共和国の象徴である。

 そのトリグラフ山系を湖面に映す、ロマンチックな湖がブレッド湖である。

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< メルヘンチックな湖の上の教会 >

 首都リュブリャナから、のどかな田舎の景色を楽しみながら、観光バスで1時間。約50㌔。

 あいにくの曇り空だったが、バスを降りると、山々に囲まれた美しい湖面が広がっていた。静寂 ……。

 湖の中に小島があり、その小島はまるで、小さな愛らしい教会を建てるために、太古からそこに存在したかのようである。水に浮かぶ、青い屋根の白い塔が印象的な聖母被昇天教会……このメルヘンチックな教会のゆえに、景色全体が美しい。

 ( 聖母被昇天教会と手漕ぎの舟 ) 

 観光客はみんな島へ渡る。ただし、手漕ぎの舟しかない。昔ながらの手漕ぎの舟は、湖の静寂を保つためである。

 舟を漕ぐ船頭の仕事は、代々引き継がれるそうだ。今、ここは、日本人観光客も含めて人気絶頂の観光地だから、特に夏のシーズンは大いに稼げるだろう。しかし、1艘に10数人乗せて1人で漕ぐのは相当の力仕事である。

 美しい自然の景観や都市の歴史地区の景観を守るという点で、西欧は見事なほど徹底している。何よりも、その方が、そこで暮らす人々にとって誇りとなり、その上、その方が観光客を呼び続けることができ、経済的に地域が長く潤う。

 こういう点、成熟社会に入った日本も、学ぶべきだろう。

 若かったころ、高度経済成長の時代だが、あこがれていた信州の湖に行ったら、観光バスが何台も来ていて 、それは仕方がないとしても、湖畔に土産物屋が並び、大音量で演歌が流され、すっかり興ざめしたことがある。富士五湖も、湖の向こうにそびえる富士山を見に行ったのに、湖の向こうには旅館や飲食店が立ち並んで、わびしい。琵琶湖では水上バイクが暴走している。そのようにして客を呼び込み、仮にいっときの間は儲けることができたとしても、結局、一代もたたないうちに閑古鳥が鳴きだす。しかも、失われた景観、美しかったときのイメージは、もう戻ってこない。

 要するに、自分が生まれ育った国土を愛し、自分の国と郷土の、歴史や文化を大切にせよ、ということだ。そういう心が感じられるところに、結局は、観光客もやってくる。

  

  ( 舟着き場から教会へ上がる石段 )

 小島に着き、舟を降りると、教会の入り口へ続く石段がある。

 このメルヘンチックな教会で結婚式を挙げる花婿は、花嫁を抱いてこの階段を上がらなければいけないそうだ。

     ( 聖母被昇天教会の内部 )

 教会の中に入ると、外からみるよりも小さな教会である。

 現在の教会は、17世紀に土地の領主によって建てられた石造りの立派な教会だが、8、9世紀ころには、今よりもずっと小さく素朴な教会があった。だが、ここには、それよりもさらに遠い昔、まだキリスト教がこの地に及んでいなかったころに、人々が自分たちの神を祀った痕跡も残っているそうだ。ここを祈りの場としたいと思ったのは、キリスト教徒だけではない。

 鐘楼の鐘を衝く順番を待つために並ぶ。添乗員から、心に祈って鐘を鳴らせば願いがかなうと教えられたが、順番を待っている間にすっかり忘れて、ただ鐘を鳴らした。

 それにしても、一神教のキリスト教世界を何度も旅して思うのは、彼らがいかに迷信めいたことが好きかということである。到る所に、願い事をして撫でさすられ、すっかりピカピカになった聖人像の足だとか、頭だとかがある。「ロミオとジュリエット」のジュリエット像の片方のオッパイがピカピカだったり、金具や取っ手や鎖のたぐいもある。西欧人の観光客は、ニコニコ、多少照れながらも、みんなちゃんと撫でていく。もちろん、19世紀にマリアが現れて病を治し、奇跡をおこした泉だとか、そのあとに建てられた教会だとかというのもある。これはもう、迷信ではなく、信仰である。

< ブレッド城から望む「アルプスの瞳」 >

  ( 手漕ぎ舟と岩壁の上のブレッド城 )

  手漕ぎ舟に乗って、もとの舟着き場に戻り、観光バスで断崖の上のブレッド城へ向かう。

 曇っていた空が晴れ、雲一つない青空になった。

  

 

    ( ブレッド城からの眺望 )

  観光バスを降り、石段を少し登ったブレッド城の上は、頑丈そうな城壁と、石造りの建物がいくつかあり、そこは今、ミュージアムやレストランになっていて、 ── 別の建物の中では、修道士が中世風の印刷機で印刷したモノクロのブレッド城の絵や、客の名をその場で印字したワインを売っていた。

 城塞からの、湖の眺めは素晴らしかった

 あまりに好いお天気で、光の量が多く、それに、見た目にはわからないが、湖には靄がかかっているらしく、鮮明な写真が撮れない。

 が、しばらくはただ眺望を堪能した。

 

  ( ブレッド城からの眺望 )

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< 西欧の一員として ── 首都リュブリャナ >

 ユリアンアルプスから南東へ50㌔の盆地に開けた首都リュブリャナ。(この名前は、旅が終わった今も、覚えられない)。人口は27万人。オーストリア・ハブスブルグ家の影響下で発展してきた。

 町の中をリュブリャニツァ川が流れる。川の南東が旧市街、北西に新市街が開ける。

 旧市街を散策する。

 まず、ケーブルカーでリュブリャナ城に上る。

 13世紀初頭にこの地方の領主が築き、その後ハブスブルグ家のものとなった。今は、市が所有。

 一つの建物で結婚式が行われたらしく、着飾った人々が広場に出てきたところだ。

 眺望が良い。

  ( リュブリャナ城からの眺望 )

 町の向こうに、ユリアンアルプスが衝立のように立っている。その向こうはオーストリア。

 首都から見渡せる範囲に国境があるこじんまりした国は、国民が肩寄せ合うようで、落ち着けるかもしれない。

 しかし、あの近さで、ハブスブルグ帝国や、ハンガリーや、オスマン帝国などの大国と接し、圧倒的な大軍をもって侵略・併合された長い歴史を思うと、決して心やすらかというわけにはいかないだろう。その不気味さ、恐怖心は、憲法9条があるから安心と言う日本人には、ちょっとわからない。

 

  ( 旧市街から見上げるリュブリャナ城 )

 

    ( 旧市街の街並み )

  ( リュブリャニツァ川の遊覧船 )

 リュブリャナの旧市街の街並みは美しい。街並みを美しくしようという市民の意志が感じられる。

 それに、パリやミラノの有名ブランド店もあるが、町の職人の手作り、一点ものの店も多い。いつかは、この町から、ブランド商品の発信を。

 リュブリャニツァ川は、旧市街と新市街の間を流れ、セーヌのような滔々と流れる大河ではないが、観光客を乗せて遊覧船が町を巡る。中心部の川岸には、ずらっと飲食店のテラス席が並んでいた。今日は土曜日。若い市民の憩いの場なのだろう。

 西欧の「はずれ」にあって、しかも、或いは、それ故に、おそいスタートを切ったが、それでも西欧都市の一員として価値観をともにしながら、これから伸びて行こうというスロベニアの首都の志を感じた。

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 


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