ドナウ川の白い雲

ヨーロッパの旅の思い出、国内旅行で感じたこと、読んだ本の感想、日々の所感や意見など。

スルタンアフメット地区をめぐる … トルコ紀行(15)

2018年09月20日 | 西欧旅行…トルコ紀行

       ( スルタンアフメット・ジャーミー )

< ブルーではない「ブルーモスク」 >

 聖(アヤ)ソフィアを出ると樹木の茂る広場があり、広場をはさんで、聖(アヤ)ソフィアと対峙するように「ブルーモスク」が建っている。

 「ブルーモスク」は通称で、正式名称は「スルタンアフメット・ジャーミー」 。

 「スルタンアフメット地区」という名称も、このモスクの名からきている。

 スルタンアフメット地区は、観光でイスタンブールを訪れたら誰もがやってくる一画で、南から北へと、ブルーモスク、聖(アヤ)ソフィア、トプカビ宮殿が並んでいる。広大な敷地をもつトプカビ宮殿の丘の向こうは、金角湾とボスポラス海峡とマルマラ海が合流する海だ。

 スルタンアフメット・ジャーミーは、スレイマン大帝の4代後のアフメット1世の命により、シナンの弟子のメフメット・アーが1616年に建てたモスクである。ミナレットが6本もあることで、目立っている。

 今も現役のモスクだから、見学者は1日5回のお祈りの時間を避けて見学することになる。

    ( ブルーモスクの入口 )

 モスクの前の女性たちはスカーフ姿だが、非イスラム圏からやって来た観光客である。

 「ブルーモスク」は、ドームの直径が27.5m、高さは43mである。6本もミナレットを建てているが、聖(アヤ)ソフィアにも、シナンのモスクにも及ばない。

  ( メッカの方向を示すミフラーブ )

 このモスクについて、『地球の歩き方』や、ネットの旅行社のHPの記事でも、例えば「内壁を飾る2万枚以上のイズニックタイルは青を主体とした非常に美しいもので、… ブルーモスクの愛称で親しまれている」(『地球』)と説明されている。

 「陽春のスペイン旅行」(2013年ブログ)で、イスラム文化の繊細優美さに感動した経験があったから、今回のツアーで期待していた見学先の一つだったが、実際に見た「ブルーモスク」は、「美しいブルーのモスク」というイメージではなかった。

 どうやら一時期、内装を青を基調に塗り替えた時期があったが、その後オリジナルに近い色に戻され、特に青の印象はないというのが真実らしい。

 言葉とは不思議なもので、「ブルーモスク」が独り歩きし、ガイドブックまでもが洗脳されている。だから、そういうガイドブックの予備知識をもって訪れた観光客のなかには、先入観が頭の中で固定化して、「ブルーのモスク」を見たというイメージをもつて帰る人もいるのではなかろうか。

 

             ( 壁面 )

        ( ドーム )

映画の撮影にも使われた「地下宮殿」 >

 次に、スルタンアフメット地区の「地下宮殿」へ行った。歩いてすぐだ。

 「地下宮殿」などと言うから何のことかと思ったが、4世紀のコンスタンティヌス大帝によって造られ、6世紀のユスティニアヌス大帝のときに改造・修復された(のではないかと言われる)巨大な貯水プールのことである。「イェレバタン地下貯水池」。

 イスタンブールをバスで走っているときに、車窓風景としてでも見ることができたらと期待し、結局、今回の旅では見ることができなかったローマ時代の遺跡が二つある。

 一つは、テオドシウスの城壁。

 マルマラ海と金角湾に挟まれた陸側を防禦し、メフメット2世率いる15万の軍勢の猛攻に耐えた6.5キロに及ぶ城壁である。所々寸断されているが、今も、遺跡として残り、修復されて城壁の上まで上ることができる箇所もあるらしい。

 もし、個人旅行で来ていたら、半日は、その城壁に沿って歩いただろう。

 もう一つは、コンスタンティヌス大帝が、この町をローマに代わる東方の都として大改造したとき、その一環として建設が始められ、次のヴァレンス帝のAD378年に完成した水道橋である。

 水の確保は、為政者の重要な仕事である。コンスタンチノープルの20キロ先の森の水源から水路を造り、市街地の1キロほどは巨大な水道橋を建設して水を通した。石積みの水道橋は、今もイスタンブールの旧市街の真ん中あたり、現代の幹線道路の遥か頭上に架かっている。

 水道橋を通って送られた水は、今、「地下宮殿」と呼ばれるようになった巨大な貯水プールへ導かれた。16世紀のコンスタンティノープル陥落以後も修復して利用され、すぐ先のトプカビ宮殿を潤おしていた。

 地下貯水池の面積は143m×66m、高さは9m。28本の大理石の円柱が12列並んで天井を支える、まさに宮殿のような地下建造物で、ローマの土木・建築力というのは、本当にすごい。

 ( 地下宮殿の円柱群 )

 柱の土台の2か所はメドゥーサの巨大な首だ。一つは逆さを向き、もう一つは横向き。

 

 ( メドゥーサの首 )

 メドゥーサはギリシャ神話に登場する怪物。メドゥーサの目を見ると、石になってしまう。伝説によれば、半神の英雄ペルセウスによって退治され、首を切り落とされた。

 巨石に彫られた首は、この貯水池の泥に沈んでいた。発見されたのは1984年である。

 メドゥーサを柱の土台にした意味は、特にないと思う。コンスタンティヌス大帝は、信仰の自由を謳ってキリスト教を公認し、実はコンスタンティノープルを、異教的なローマに代わるキリスト教の新しい都にしようとした。だから、都の建設に当たっては、この町や周辺の町にあったギリシャやローマの神殿や神像なども取り壊して、石材としてこのように無造作に使用したのだ。キリスト教が皇帝権力を取り込んで、異教・異文化への迫害をする時代にさしかかってきていたのである。

 「地下宮殿」がまだ一般公開されていなかった頃、映画007シリーズの傑作と言われる『ロシアより愛をこめて』の撮影現場に使われたそうだ。昔、その映画は見たが、ここが登場する場面はまったく覚えていない。ツタヤで借りてもう一度、見てみよう。

 もう一つある。トム・ハンクス主演の映画『インフェルノ』。「インフェルノ」とは地獄編の意。『ダ・ヴィンチコード』『天使と悪魔』に続く3部作の3作目である。

 ここを4日間借切って、クライマックスの場面が撮影されたそうだ。もちろん、アクション場面は別の場所にセットが組み立てられた。『インフェルノ』には、聖ソフィアやグランドバザールも、少し登場するそうだ。

        ★

かつて東西貿易で賑わったグランドバザール >

 少し歩くと、グランドバザールがある。

 この町には、コンスタンチノープル時代から、東西交易によって、多くの商品と財が集まってきた。

 その繁栄の象徴が、中東で最大と言われるこの屋根付き市場。かつては奴隷も、宝石も、あらゆるものが取引された。

 イスラム世界では、中近世になっても、奴隷はいた。地中海沿岸のヨーロッパ側の町は、アフリカからやってくる強力なイスラムの海賊集団に絶えず襲われた。彼らは物を奪い、人(キリスト教徒)をさらっていく。人は奴隷として売買され、働かされた。(参考 : 塩野七生『ローマ亡きあとの地中海世界 上、下』)

 グランドバザールには、21の門があり、今も4400軒の店が入っているとか。

 21の門の1番は、ヌネオスマニエ門。立派な紋章で飾られている。

     ( ヌネオスマニエ門 )

 『地球の歩き方』になかなかの名言があった。今は、「買い物をする所というより、存在そのものが見どころとなっている」。

 金、銀、宝石、時計、アンティークなどの装飾品、絨毯、革製品、陶器、銅器、布地など、あらゆるものが売られているが、ここで買い物する気はない。歩いていると、日本語で盛んに呼びかけてくる。チャイニーズか日本人かとたずねてくるのは、最近はここも中国人観光客が席巻しているのだろう。

 ( グランドバザール )

 メインの通りを往復した後、近くのモスクに入ってみた。

 ヌネオスマニエ・ジャーミーだ。『地球の歩き方』によれば1755年に完成とあるから、比較的新しいモスクである。

      ( ヌネオスマニエ・ジャーミー ) 

 18世紀のオスマン帝国では、ヨーロッパ建築の影響を受け、バロック様式やロココ様式が流行ったそうだ。このモスクもバロック様式だという。確かにブルーモスクとは、随分、趣が違う。ブルーモスクは贅を尽くした権威主義で、こちらは軽やかで装飾的だ。

 以上で、今日の見学は終わった。

     ★   ★   ★ 

 明日は、遊覧船に乗ってボスポラス海峡を海から見学する。そのあとは、トプカビ宮殿へ。

 そして、イスタンブール発の夜行便で帰国の途につく。今夜が最後の夜だ。

 ホテルの窓から写した写真を2枚。

    ( ボスポラス海峡 )

 

   ( 遠く、マルマラ海 )

 

 

 

 

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