( ドウロ川の上の白い雲 )
10月3日
今日は、「ユーラシア大陸の最西端ポルトガルへの旅」の最終日である。
朝、6時。窓のカーテンを開けると、外はまだ暗く、ドン・ルイス1世橋は、昨夜のままにライトアップされていた。
そして、窓の正面の空、真南の方向に、オリオン座がこぼれ落ちそうに輝いていた。
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ポルトのチンチン電車は、リスボンのそれよりさらに年代物のように見える。車体も一回り小さい。旧市街を3路線が走り、乗客はほとんど観光客で、運転手は女性。
( チンチン電車 )
今日の行動の始まりは、ポルトの河口から大西洋を見ること。
そこで、カイス・ダ・リベイラから出る1番のチンチン電車にに乗った。マップで見ると、1番の電車の終点は、河口に近い。とにかくそこまで行ってみようというわけだ。
トコトコと、ドウロ川に沿って、どこまでも走った ……。
終点で電車を降りると、遠くに突堤が見えた。突堤の先に赤い灯台も見える。あのあたりが河口だろうと、歩き始めた。
ヤシの木のプロムナードが続き、疲れがたまっているが、朝の光があふれて気持ちがよい。
(河口へ向かうプロムナード)
川岸で釣りをしている人がいて、さらに進み、突堤が近づくと、近所の人らしいおじいさんたちが、突堤で語り合いながら日向ぼっこをしていた。
(突堤で日向ぼっこする人たち)
大西洋と河口を隔てる長い突堤の上を沖の方へ歩いていくと、そこここに太公望たちがいた。
ここは、イベリア半島を延々と流れてきたドウロ川の水が、大西洋の海水と混じりあうところ。魚もよく釣れることだろう。
( 大西洋に向かって釣りをする人たち )
電車の終点から、突堤の端の赤い灯台を目指して歩いてきたが、その灯台の下の岩礁を大西洋の荒波が洗い、波しぶきを上げて渦を巻いている。その岩礁に身を乗り出すようにして、灯台のテラスから釣りをする人もいる。
( 大西洋の灯台 )
遥か昔、フランスのブルゴーニュの野からやって来た騎士たちは、どのような思いでこの海を見たのであろう。
ともかく、旅の最終日に、ポルトガル発祥の地のポルトの河口から、大西洋の水平線を眺めて、満足した。
突堤から内陸部の方へ少し歩くと、バスの停留所があった。そこからバスで旧市街へ向かった。
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ドウロ川の北岸の丘陵部に広がる旧市街の歴史地区は、世界遺産に指定されている。
バスは街の北側に着いたので、そこからドウロ川の方へと、歩いて見学した。
グレリゴス教会は、18世紀に建てられたバロック様式の教会である。教会の中の祭壇は、バロックらしく、金ぴかだ。
( グレリゴス教会の側面 )
( グレリゴス教会の祭壇 )
この教会の塔は76mの高さがあり、狭く急ならせん状の石段255段を昇りきれば、ドン・ルイス1世橋の上からの眺めとはひと味違ったポルトの景観を眺望することができる … と、ガイドブックに書いてあった。が、敬遠した。
ヨーロッパの旅で、「狭く、急な、石のらせん階段」を何度も昇った。フィレンツェのドゥオーモのクーポラに上がったとき、昇りきって周りをみると、20代の若者ばかりだった。翌日は筋肉痛になった。
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「リブラリア・レロ・イ・イルマオン」は、世界で最も美しい本屋の一つと言われている。
今は昔、本は、神を信じる者にとっても、神を信じない者にとっては一層、未知の世界への扉であった。クラシカルならせん階段やステンドグラスは、並べられている重厚な本とともに、知的な雰囲気があって、ゆかしい。
( 世界で最も美しい本屋 )
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ポルトの旧市街の中心は、リベルダーデ広場。正面に小さく見えている塔のある建物が市庁舎で、市庁舎からこちら側(南)へ、ドウロ川までが、旧市街である。
(リベルダーデ広場)
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昨日、トマールから乗り継いだ特急列車は、ポルト・カンパニャン駅に着いた。スーツケースが重いので、そこからタクシーでホテルに向かったが、そうでなければ、乗り換えて1駅、サン・ベント駅まで行く。サン・ベント駅が、ポルトの旧市街の中心部にある駅である。
世界で最も美しい駅の一つと言われる。ライトアップされた姿も幻想的とか。
しかし、ポルトを訪れるどんな観光ツアーも必ずこの駅に立ち寄るのは、駅舎の中の壁を飾るアズレージョが目的である。
( サン・ベント駅 )
ひときわ目を引く2枚の大きなアズレージョがある。その1枚は、「ジョアン1世のポルト入城」。
( ジョアン1世と王妃フィリッパ )
14世紀中ごろ、ポルトガルがスペインに併合されそうになったとき、リスボン市民とともに立ち上がったのが、キリスト教騎士団の団長であったジョアン。彼は市民軍を率いて、圧倒的なスペイン包囲軍を撃退し、推戴されてポルトガル王・ジョアン1世となる。
翌年、ジョアン1世は、アルジュバロータの戦いにおいて、再度、スペイン軍を敗走させた。(バターリア修道院の建設 ──「ポルトガルへの旅7」)
このあと、ジョアン1世は英国と同盟を結び、英国王族から王妃としてフィリッパを迎えた。
結婚式は、ポルトガル発祥の地ポルトで行われた。この絵は、そのときの様子を描いたものであろう。
ジョアン1世と王妃フィリッパとの間に生まれた3番目の息子が、のちの「エンリケ航海王子」である。
もう1枚のアズレージョは、「セウタ攻略」。その中心に立つのか、若き日のエンリケ王子である。
(中央に立つのが若き日のエンリケ航海王子)
イスラム勢を大西洋に追い落とし、レコンキスタは終了したが、そのあとも、ポルトガルの商船は、イスラムの海賊に苦しめられた。その根拠地の一つが、アフリカ大陸北岸のセウタである。セウタは、ジブラルタル海峡をはさんで、ジブラルタルの対岸にある要塞都市である。
1414年、ジョアン1世は、数万の軍勢を船に乗せ、セウタを攻略した。この戦いが、21歳のエンリケ王子の初陣であり、彼はポルトから船に乗って、南のラゴスに集結したようだ。
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ボルサ宮は、19世紀に建てられたポルト商業組合の建物である。当時のポルトの経済力を誇示しているかのように立派である。
(ポルサ宮とエンリケ航海王子の像)
その前の広場に、エンリケ航海王子の像が建つ。
近くに、エンリケの生家ではないかと言われている建物もある。サグレスの像と違って、まだ若々しいエンリケ航海王子である。
白い雲が美しく、この町に生まれ育ったエンリケ王子は、希望に満ちて、まさに青空に浮かぶようである。
(白い雲と若き日のエンリケ航海王子)
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ポルトの大聖堂は、もともと、12世紀に要塞として建てられた。この時代に建てられたポルトガルの大聖堂や修道院は、みな要塞だ。
17世紀に改修されたらしいが、さすがに大聖堂らしい風格を感じさせる。
( 大聖堂 )
大聖堂は丘の上に建ち、テラスがあって、ドウロ川と反対方向の展望がよい。ひときわ高い塔は、グレリゴス教会の塔である。
( ポルトの街並みとグレリゴス教会の塔 )
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大聖堂のある丘から、ドウロ川に向かって一気に下りの道となる。路地へ入ると、洗濯物を干した古い家々が並ぶ。
(大聖堂からの下り道)
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日はかなり傾き、足腰も疲れた。
今日一日の街歩きのフィナーレとして、ドウロ川の橋巡り遊覧船に乗った。
上流から河口近くまでの間に、ドン・ルイス1世橋を含めて、6つの橋の下をくぐる。
川から見上げる街の眺めも、また、いい。
( 遊覧船から )
( 遊覧船 )
船から見上げると、河口に近いとは言え、このあたりも、峡谷の一部であることがよくわかる。
(崖の上のお家)
岸辺にカフェテラスが並び、青空の下、大聖堂、サンフランシスコ教会、ボルサ宮がなどが積み木を重ねたように見える。
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最後の夜は、ドン・ルイス1世橋の下のカフェテラスで、ワインを飲んだ。
ホテルに財布を忘れ、小銭入れしかもっていなかった。オシャレでちょっと高級そうな雰囲気だったから、「10ユーロしか持っていないけど、グラスワインを飲めるか?」 と聞いたら、アフリカ系のマドモアゼルが、「大丈夫よ」と、ニコッと笑った。
(カフェテラス)
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翌日、8時40分発のKLでポルトの空港を発った。
ユーラシア大陸の西の果ての岬に立ってみたいと思い立った旅であり、世界史の大航海時代を切り開いたエンリケ航海王子を訪ねる旅でもあった。とても印象に残った。
今までのヨーロッパの旅の中でも、心に残る旅になった。 ( 了 )