(春の大和川と信貴山)
いささか時季外れだが、この春に撮りためた写真の中から。
(1) 遍照院の枝垂れ桜
この枝垂れ桜については、「まさをなる…(散歩道9)」で触れた。
信貴山の山の麓、旧村のりっぱな邸宅が思い思いに建つ、そのいちばん奥まったところに、遍照院という小さな寺院がある。その枝垂れ桜である。
(遍照院の門)
三郷町の指定文化財になっているが、あまり知られていない。というよりも、山里のため車で入ることができないから、自分がそうであったように、訪ねてみようという気にならないのだろう。
樹齢は、「推定250年を経過している」と、町の教育委員会の立てた看板にある。
ソメイヨシノより少し早く開花し、気品のある寺の境内に、春になると妖艶な彩りを添える。
昨年は、うまく満開のときに行き合わせたが、今年の訪問はかなり早すぎた。それでも、ちらほらと訪れる風流人はいる。そして、それなりに風情はある。
(昨年の遍照院の優艶な枝垂れ)
(今年の遍照院の枝垂れ)
(2) 八幡神社の杜 (モリ)
八幡社は全国津々浦々にあるが、わが家から徒歩15分の所にも、小さな社がある。この社については、「里の春…(散歩道7)」で書いた。
(八幡神社)
町の教育委員会が立てた説明板によると、かつて、本殿改修の折、棟木に「永正拾壱年甲戌九月十五日」の銘があるのが発見された。西暦1514年創建ということで、すでに500年を超えている。故に、村の小さな八幡社といえども、国の重要文化財である。
最近では、昭和25年に全面解体修理され、平成19年に屋根の檜皮を葺き替えた、とある。
日本の場合、地中海文明のような石の文明ではないから、かつての「夢の跡」が朽ちずに残るということはない。
しかし、伊勢神宮や出雲大社の式年遷宮に見るように、日本文化の特徴は、世代から世代への「継承→更新→継承」であるから、モノだけでなく心も一つになって、更新されながら幾世代もつながっていくことになる。
だが、日本列島に生きてきた人々の心は、社よりも、社の周りの杜 (モリ)にあった。杜があってこその神社である。
(八幡神社の杜)
(3) 信貴山寺 (朝護孫寺) の桜
信貴山寺 (朝護孫寺) については、「信貴山…(散歩道3)」で紹介した。
かつて、近鉄の「信貴山下」駅からケーブルカーが出ていて、ケーブルを降りると、「信貴山寺」に至る参道 (門前町) があり、年始年末は言うまでもなく、日頃からそれなりに賑わっていた。
近鉄が、採算が取れないとケーブルカーから撤退し、今は町営のバスが、かろうじて、上の住人と近鉄の駅や役場をつないでいる。
それで、観光客や、参詣に訪れた人々は、観光バスやマイカーで一気に信貴山寺の駐車場に至るから、参道 (門前町) は寂しくなってしまった。
今日は、車を、昔のケーブルカーの終点近くの駐車場に置いて、久しぶりに参道(門前町)を歩いてみた。
(参道と山門)
緩やかな上りの参道には、今も、旅館や食堂があり、ひっそりと営業している。
春、古武士の立ち姿のような山門は、桜で、ほのかに彩られていた。
山門近くに、草餅を作って売る店がある。草餅はスーパーでも買えるが、知る人ぞ知る、昔からここの草餅は旨い。年のせいか、洋菓子よりも、こういうものの方が旨いと思う。
やがて、信貴山寺の名物の張り子の大トラがある。その向うには、高く、本堂の毘沙門天堂がその姿をのぞかせる。いつもと違うのは、あちらこちらに桜、桜、桜で、華やいでいることだ。
(毘沙門天堂と張子の虎)
毘沙門天堂に上がると、右下方に歩いてきた参道、左手には桜の大和平野が見渡せた。
(毘沙門天堂からの眺望)
帰り道に、古来からの山桜を見かけた。ソメイヨシノは、江戸期の終わりごろに生まれた掛け合わせの雑種で、「桜と旅」を愛した中世の歌人・西行が見た桜は、このヤマサクラだ。
( 山 桜 )
花と葉が同時に出る。同じ場所の木であっても、開花に1週間くらいズレがある。ソメイヨシノより長寿で、巨木になる。
北面の武士で、武芸にも秀でた佐藤義清 (ノリキヨ) =西行が23歳の若さで出家したのは、高貴の女性に恋をしたからだと言われる。待賢門院説、美福門院説、上西門院説など諸説あるが、それが誰であるかを詮索することにたいして意味はない。
いずれにしろ、西行にとって、それはこの花のような感じの女性だったのであろう。
葉のやわらかい緑と、花の白さがコントラストになって優美であり、ソメイヨシノよりも一段と清楚である。
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(4) 桜
辻邦夫「詩人であること」から
「先日も旅の疲れを休めようと、信州の山小屋で谷の斜面を渡ってゆく風の音を聞きながら『山家集』を開いていたら、ふと、
吉野山 梢の花を 見し日より
心は身にも そはずなりにき
という歌が眼にとまって、半日というもの、しきりと『梢の花を見し日より』が頭について離れなかった。たしかに私たちの生涯のある一日、『梢の花』を見てしまうような瞬間があるのである。それを見たら、恋と同じくもうお終いであって、私たちは、日常の世界から、向こう側の世界 ── 花や雲や月の世界 ── へ移り住むことになる。心はこの世の興亡利害とは無縁となり、勝手に浮かれてゆく」。
大仏次郎「帰郷」から
「『年をとったのだ、俺たち』と、恭吾はつぶやいた。
『桜がきれいに見えるようになったのだ。桜、桜、と言うが、俗悪で、つまらぬ花だと思っていたがなあ』
『花と、人間の年齢とは、あまり関係ないだろう』
と、言うのに抗議して、
『いや、そうじゃない。若いうちは、花を見ることをたぶん知らずにいるのだ』」
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(5) 庭周辺に自生する草花からの拾遺集