ドナウ川の白い雲

ヨーロッパの旅の思い出、国内旅行で感じたこと、読んだ本の感想、日々の所感や意見など。

日本のロマンティシズムと永世中立国スイスのリアリズム … 陽春のブルゴーニュ・ロマネスクの旅5

2015年07月20日 | 西欧旅行…フランス・ロマネスクの旅

     ( レマン湖畔 )

 初めてヨーロッパ (ドイツとフランス) に旅行したのは、1995年(平成7年)のことである。公的な視察団の一員だった。

 ドイツでの研修を終えて、フランスに移動するとき、たった1泊だが、ジュネーブに立ち寄った。

 ベルリンの壁の崩壊が1989年(平成元年)、ソ連の崩壊が1991年(平成3年)。東西冷戦が終結するという世界史的な大激動を経て、東欧圏の元ユーゴスラヴィアが四分五裂し、民族間の憎悪が憎悪を呼び、砲火が絶えず、ドイツもフランスも難民の受け入れに追われていた時代である。

 一行はチャーターしたバスの中から、国際連合ヨーロッパ本部や、赤十字国際委員会、国際労働機構(ILO)、世界保健機構(WHO)など、高校時代にその名を教わった施設を車窓から見て回った。

 スイスという小国の、ジュネーブというローカルな1都市に、主要な国際機関が集中していることに改めて驚かされた。

 旅行に出る前、にわか勉強で読んだ本の中に、犬養道子『ヨーロッパの心』 (岩波新書)があった。そのなかのスイスの章には、このようなことが書かれていた。

 「九州ほどの山岳国。……22の万年雪の大きな峠、31の小さな峠。無数の非情な谷。… 見た目は緑で美しいが、実は何も産しない痩地草原地帯 (アルプ) にばらまかれた3072の共同体 (ドイツ語圏でゲマインデ、フランス語圏でコンミューン)。例えば、我が家から2キロ先のジュネーブ(市)は、38のコンミューンから成っている。一応、ジュネーブ圏内コンミューンゆえ、住人はジュネーブ人と呼ばれるが…… 」。

 「ジュネーブ市民」という市民はいない。いるのは38の各コンミューンに所属する市民。

 「万年雪の峠」や「非情な谷」に閉ざされて生きてきたスイスでは、「共同体」を作って助け合い、自己完結的に生きていかなければ生きられなかった。各家庭の中は各自の勝手(個人主義)。しかし、一歩家を出れば、そこには共同体があり、生きるために各自がその一員として責任を果たし、助け合う。

 こうして、「スイス人」の自主自立の精神、市民精神が育った。

※ 菅直人の言う西欧型「市民」── 政党や労働組合などの組織に属さず、個人として、反体制、反権力で行動する人、という「市民」イメージとは、かなりかけ離れている。

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       ( レマン湖畔 )

 しかし、犬養道子氏の本よりも、ジュネーブの街の中を走る観光バスの中で、博学の添乗員M氏やジュネーブ在住の日本人ガイドのマダムからスイス及びジュネーブについて受けたガイダンスは、当時の無知な私にとって、さらに新鮮であった。    

 「スイスは永世中立国。しかし、日本と違って、自国を守るために、18歳から53歳までの男子による国民皆兵制度を取っています」。

 「彼らは、月1回、実施される射撃訓練に参加します」。

 「各家庭には、ライフルと銃弾が支給され、いざというときには、それを持って集合します」。    

 「スイスにも、殺人や傷害事件はありますが、支給された銃、弾薬を使った犯罪は、今まで1件も起こっていません」。

( 家には支給されたライフルがあるのに、わざわざ自分でピストル或いはナイフをどこかで調達して犯罪を犯すスイス人……という、律儀な犯罪者のイメージが浮かんで、ちょっと笑ってしまった )。

 「東西冷戦が終結した今の時代に国民皆兵制度は不要とする憲法改正案が出されましたが、僅差で否決されました」。

 「政府は戦争に備えて、1年分の食料を備蓄し、1年たつと、市場に出します。ですから、スイス国民は、美味しい『新米』を食べるということについては、我慢しています」。

 「核攻撃に備えて、新しいビルや家を建てるとき、その地下に必ず核シェルターを造ることが義務付けられています。この法はベルリンの壁が崩壊した今も継続しています。今、走っているこの美しいジュネーブの街の建物の下にも、『市民』が逃げ込めるだけのシェルターがあるはずです。スイスの核シェルターは、アメリカやソ連のそれらを、質量ともに上回ると言われています」。

 スイスが非武装中立でないことは知っていた。しかし、「永世中立国スイス ── 平和を希求する牧歌的な美しい国 ── 」というイメージが強かった。だが、話を聞いてみると、その立ち位置は、日本国憲法下の日本とは180度異なっていた。

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 ( ローザンヌの大聖堂 )

 あの視察旅行から年月がたち、世界は変化し、スイスも変化した。ここに改めて、永世中立国スイスの現状を簡潔に記す。 

<スイスの兵役について>

〇 東西冷戦体制の崩壊以後、スイスの皆兵制度は見直され、国民の兵役負担の軽減が図られた。その概要は以下のようである。

〇 19~20歳になると、男子(女子は希望者)は初年兵学校で15~17週間の新兵訓練を受けなければならない。そのときに受領した自動小銃は、自宅に持って帰って格納する。2007年から、弾薬は軍が集中管理するようになった。

〇 初年兵学校を終えると、予備役という有事動員要員として、20歳~42歳の22年間の間に、年3週間の訓練を10回受ける。

〇 新兵訓練、予備役の訓練は、たとえ海外で生活していても、帰国してを受けなければならない。拒否すれば、スイス国籍を剥奪される。

〇 一般に、日本と違って、スイス憲法の改正は容易であり、10万人の改正要求があれば国民投票が実施される。実際、憲法改正の多い国で、全面改訂された現行の1999年憲法も、その後の3年間で6回も改訂された。

 兵役についても、近年は他国から現実の脅威にさらされているわけではなく、カネの無駄遣いだとして、国民の一部から徴兵制廃止を求める声が出、2013年6月に国民投票が実施された。が、結果は反対多数で徴兵制廃止は否決された。

<スイスの国軍について>

〇 スイスの国軍は、職業軍人約4000人(将校と下士官)と予備役によって構成されている。有事に、即時(48時間以内に)、動員される予備役兵は約40万人と言われる。(注: この項、資料によって多少の違いがある)。

〇 スイスの軍備は、陸軍を中心とし、(空軍も陸軍に所属)、スイスの持つ技術力を生かして、かなり強力である。戦車や装甲車、砲など、やや古くなった日本の陸上自衛隊の装備を、質・量において上回るとも言われる。

<スイスの防衛体制について>

〇 他国での武力行使は一切禁止する永世中立国である。しかし、一旦、自国が有事の際には焦土作戦も辞さないとする国家意思を表明している。永世中立という立場は、このような毅然とした態度があって、初めて堅持される。

〇 軍事基地は岩山をくり抜いた地下に建設され、高度に要塞化されている。有事の際にはいつでも国境のトンネルや橋を爆破して国境を封鎖する態勢にあり、国境を突破されても主要な道路には、戦車を阻止する障害物やトーチカが常設されている。

〇 個人の住宅も、腰から下の壁は小銃弾の貫通に耐える強度になっており、家を建てる方向も、有事の際に監視できるよう、陣形的な形で計画的に配置されている。

〇 核シェルター設置法は、2006年に終了した。今、各自の家に核シェルターはほぼ100%完備し、有事の際、男子が出征した後の家庭の安全の拠り所となっている。 

〇 食料の1年間の備蓄制度は今も保持されており、そのため、スイスのパンは不味いという評判はかなりある。 

〇 仮に外国の軍隊の侵攻を防げず、スイスの存立が絶望的となる局面に陥ったら、外国軍隊がスイスのインフラを強奪し、使用することができないよう、火を放ち、爆破するなどの焦土作戦を行う。

〇 ただし、全土が占領されても、絶対に降伏はしない。全土が占領されるときには、亡命政府の存立のために、しかるべき国の銀行に資金を送る。   

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    ( レマン湖畔を行く列車 )

  戦後日本とスイスとの、平和に関する立ち位置の違いは大きい。

 日本国憲法前文には、「日本国民は、…… 平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼してわれらの安全と生存を保持しようと決意した」とある。その上で、9条がある。

 憲法下の戦後日本の立ち位置は、性善説に基づいた楽天主義、理想主義、浪漫主義だと言ってよいだろう。

 一方、スイスは、人口711万人(日本の17分の1)、国土は九州程度の小国であり、周囲をドイツ、オーストリア、イタリア、フランスという大国に地続きで囲まれている。

 第二次世界大戦のときのことだけ考えても、フランスがナチスドイツに降伏し、その結果、ドイツ、オーストリア、イタリア、降伏フランスという枢軸国に包囲されて、強い圧迫を受けた。戦争末期には、その隣国ドイツ、オーストリアに、遠くソ連軍が大挙して侵攻してきた。

※ スイスと同じく永世中立国と認められていた武装中立のベルギーも、非武装(軍隊を持たない)中立のルクセンブルグも、二度の大戦において、侵略・占領された。それ以前で言えば、国力衰えたヴェネツィア共和国は非武装中立を宣言していたが、ナポレオンによっていとも簡単に侵略・占領され、服従させられた。先日、テレビを見ていたら、沖縄の元国会議員がテレビに出て、「軍隊がいるから攻撃される。軍隊がいなければ攻撃されることはない」と言っていたので、念のため。

 小国スイスの立ち位置は、その長い歴史から、性悪説に基づいた徹底したリアリズムである。(各家に自動小銃を渡すのだから、国内に対しては徹底した性善説であるが)。

 非同盟中立政策を貫く以上、頼れるものはない。孤立無援。甘えが許されないことを国民は知っている。故に、自分の目で世界の情勢と近隣国の変化を注意深く見、自分自身の頭で冷静に判断する。もし、侵攻してくるものがあれば、それがどんなに強大な敵であっても、国土を焦土にしても戦い、降伏することはない。それは、現在の国民のためだけでなく、千年間、このスイスを守ってきた祖先と、未来を生きる子孫のためである。そう決意を表明しているのがスイスであり、スイスのリアリズムである。

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 慶応大学准教授・神保謙氏の「空と海、将来は中国優位」(6月25日、讀賣新聞)から

「中国の国防費は年十数%のペースで伸びており、海洋進出を止めるのは難しい。戦闘機や艦艇の建造、ミサイル増強を含めて、中国は将来、日本に対して優位に立つだろう。日本はいつまでも『航空・海上優勢』を保つことはできなくなる。台湾は既に航空優勢を失った。ミサイル防衛も難しい。今は『負けても、中国に完勝させない』という、劣勢を前提にした兵器体系に変わっている。台湾の安保政策は、日本の5年後、10年後の防衛政策の参考となる。深刻な事態には米国に対応してもらわなければならない。そのためにも、日本が協力できる態勢をつくらないといけない」。

      ( レマン湖畔 )

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 いずれ近い将来、近い将来であるが、日本も、大国中国の前には、小国になる。

 東西冷戦時代には、ソ連の軍用機がしばしば日本に向かって飛んできて、航空自衛隊はその都度スクランブルをかけなければならなかった。しかし、アメリカの核の傘のもと、いざというときにはソ連のアジアに配置された全空軍を迎え撃つだけの空軍力を、航空自衛隊は持っていた。

 今、日本列島の周りを中国の軍艦や軍用機が「わがもの顔に」遊弋する時代が来ようとしている。しかも日本は、いざというとき、これを撃退するだけの空軍力、海軍力を持てなくなる日が来る。

 小国の取る手は、二つしかない。

 「負けても、相手にいやというほど打撃を与える焦土作戦」、「全土を占領されても、絶対に降伏しないという気概」。だから、うかつに手を出せないと思わせる。つまり、 スイスや台湾のやり方である。

 小国ヴェトナムはそのような態度で、今、現在、中国の侵略に対して、必死に対抗している。

 もう一つの手は、集団安全保障である。アメリカとは言うまでもなく、オーストラリア、ヴェトナム、フィリピン、さらにはインド、裏側に回ってトルコなどとも手を結び、考えを共有して、覇権を目指す大国に対抗する。

 先日、フィリピンの大統領は日本を訪れ、ヴェトナム共産党の書記長はわざわざアメリカに渡って、オバマと握手した。

 憲法学者が、書斎で、ご神体を日本国憲法とし、日々、その一言一句を諳んじるほどに研究し、平和を念じるのは、それはそれで結構である。ただし、それを学問とか、社会科学とか、そういう言葉で呼べるかどうかは、別である。

 評論家が、「わかりますけど、それならまず憲法を改正するのが先でしょう」と、形式主義の議論を展開するのも、それはそれで結構である。彼らのメシの種だから。

 しかし、日本国の独立と安全に責任を持つべきプロフェショナルな政治家が、リアリズム精神を失い、現実に対応しようとする意思をもたず、国会で、ロマン主義や形式主義の議論ばかりしていたら、日本国は危ういと言うべきである。

 政治家とは、現在、そして、近い将来、この国の安全を根底から脅かす可能性のある勢力はどこにいるのかをしっかり見極め、その勢力の現在及び将来の力量を測り、それでは今、何をすべきかを考え、議論する、そういうことを仕事とする人たちのはずである。

  それにしても、まず、この国の主権者と言われる人たちが、もう少し成熟する必要があります。

 

 

 

 

 

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