ドナウ川の白い雲

ヨーロッパの旅の思い出、国内旅行で感じたこと、読んだ本の感想、日々の所感や意見など。

ソーヌ川沿いの小さな町トゥルニュ……陽春のブルゴーニュ・ロマネスクの旅 8

2015年07月25日 | 西欧旅行…フランス・ロマネスクの旅

               ( ソーヌ川 ) 

< 午後はトゥルニュへ >

 午前にフォントネー修道院を見学した後、モンバール12時5分発の鈍行に乗る。この列車だと、ディジョンで乗り換えせずに、1時間半でトゥルニュに着く。

 この紀行の第1回「旅の前夜に」で、井上靖の『化石』を読んだときから、ブルゴーニュ地方の野の香りのする教会巡りをしてみたいと思うようになった、と書いた。

 『化石』を読んだのはもう40年も前のことで、作品の主題に感銘を受けたわけではないが、作品の前半部に出てくる、シャルトルの大聖堂の高い窓に輝くステンドグラスのことや、ブルゴーニュの野に佇む鄙びたロマネスク教会のことが、心に消えることなく残った。

 ブルゴーニュ地方への主人公の旅は、3人の同行者と、パリから車で、まずヴェズレーのサン・マドレーヌ・パジリカを訪ねて1泊し、2日目にはオータン、トゥルニュと回ってさらにもう1泊して、翌日、パリに帰ってくる。

 今回の私の旅は、主人公とは逆に、トゥルニュ、オータン、ヴェズレーの順である。

 それにしても、もし若いころに『化石』という小説を読んでいなければ、このような旅を計画していなかったかもしれないし、仮に計画しても、その中にトゥルニュを加えることは絶対になかったろう。

 なにしろトゥルニュは、人口6000人ほどの小さな町(村)で、観光知名度もアメリカの野球に例えればAかAAリーグクラスで、サン・フィリベール修道院も含め『地球の歩き方 フランス』で費やされている活字と写真の量は、1ページの半分にも足りないのだから。

 『化石』の主人公の感性にこだわって訪れることにした、いわば「付録」の町である。

        ★

< 小さな町トゥルニュの歴史 > 

 ソーヌ川は、フランスの北東部のボージュ山地に発し、ブルゴーニュの野を北から南へと流れて、やがてレマン湖から流れて来たローヌ川に注ぐ。

 そのソーヌ川の岸辺にできた小さな町の一つが、トゥルニュである。

 紀元前の時代には、既にガリア人の水運のための集落があった。BC1世紀には、ユリウス・カエサルのローマ軍の駐屯地が置かれている。

 サン・フィリベール教会は、鉄道駅から徒歩5分、ソーヌ川に沿う町の北端にある。

 9世紀、バイキングの侵入から逃れて北方からやって来た修道院の勢力が、ここに、サン・フィリベール修道院をつくった。

 修道院は周囲を城壁で囲んだ城塞風の構えをもち、その中で修道士たちの共同生活が営まれた。現在のサン・フィリベール教会は、元は修道院の付属礼拝堂だった。

 市民の住む区画は、修道院の区画に対立してその南側に広がっていた。川を利用し、交易をその生業としていた市民たちは、修道院勢力を喜んで受け入れたわけではない。基本的に自由を愛する交易の民にとって、彼らは歓迎されない異質な存在であったようだ。

   

  (サン・フィリベール教会の塔)

   駅から旧市街地区に入るとすぐに、サン・フィリベール教会の塔が見えた。井上靖は「四角な鉛筆の先を削ったような塔が見えた」 (『化石』)と形容している。

 塔の前の2つのイカツイ円塔は、おそらく修道院の城門を守る塔。

 司教や修道院長が領主でもあることが多かった中世において、修道院に城門や城壁があるのは、多分、珍しくなかったろう。

 今、見る教会は、1019年に献堂式が行われた初期ロマネスク様式のものだ。ただし、その後、いろんな様式によって手が加えられている。

 日本では、伊勢神宮でも、出雲大社でも、法隆寺でも、できるだけ昔のままの技法で、昔のとおりにリフォームされる。西欧では、どんどん新しい様式に直されていく。

< サン・フィリベール修道院の歴史 >

 初期キリスト教の時代の2世紀に、この地で、聖ヴァレリアンが殉教した。

 4世紀に、その墓に、小さな礼拝堂が建てられた。

 6世紀には、そこに修道院が建設される。歳月を経て、この修道院は衰退する。

 9世紀に、ヴァイキングに追われ、聖フィリベール (7世紀にノルマンディー地方で布教し殉教) の遺骸を携えた修道士たちがやって来て、跡地に新たに修道院を建てた。

  この新しい修道院は、初期修道院の系列であるベネディクト会に所属し、その後、ブルゴーニュ地方に台頭し全ヨーロッパに広がったクリュニー派の傘下に入ることはなかった。

 歳月がたち、1785年、フランス革命を前にして、修道院は解散した。

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< 井上靖のサン・フィリベール教会 > 

 教会の中に入ると、身廊には、存在感のある石の円柱が後陣へ向かって並び、さらに天井には円柱から伸びたヴォールトが横に張られて、天井の重さを支えている。

  

    ( 身廊部 )

 井上靖は次のようにその印象を語っている。……「古い石で囲まれた空間だが、少しも暗くはなかった。建物のあちこちに設けられてある小さい長方形の窓から、程よい量の光線が落ちている。光線の当たっている石の面は、それが床であれ、柱であれ、はっきりと、それが経て来た歳月の長さを表していた。石は老いていた」(同)。

 「石の柱のあらい面に、手を触れてみた。幽かに赤味を帯びた、もろそうな感じの石が煉瓦ようの大きさに切られ、積み重ねられているのである」(同)。

   井上靖が訪れたころにはまだ発見されていなかった床モザイクを、周歩廊の一角に見ることができた。床面の下から発見されたそうで、ガロローマ時代のものだという。ということは、先の修道院か?? 消えかかっている絵もあるが、中には非常に鮮明なものもあった。働く農夫の姿である。

  ( 床のモザイク )

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 この聖堂にも、クリプト(地下祭室)がある。

  ( クリプトへの通路 ) 

 多分、ディジョンのサン・ベニーニュ大聖堂のクリプトと同じように、ここを訪れる巡礼者たちが、聖フィリベール の遺骸の納まった石棺を順番に拝むことができるようにと造ったのであろう。

 11、12世紀は、人々が贖罪のために、聖遺物を求めて巡礼をした時代である。聖遺物とは、イエスが流した血や、聖母マリアの服の切れ端や、殉教した聖人の亡骸である。教会は巡礼者のためにさまざまなサービスを行い、彼らが落とすおカネはさらに大きな大聖堂建築の資金になった。そういう無数の人々のうねりが、ロマネスクからゴシックへという建築ブームの背景にあった。

 このように哀れな民衆はいつも、教皇・司教や王侯貴族に収奪されていたのだとする見方もできようが、他方、巡礼の「旅」と言い、巨大な聖堂「建築」と言い、暗黒の中世からゆとりが生まれ、人々の精神が自由に羽ばたきだした、と見ることもできる。

 もっとも、石棺の中に、本当に聖フィリベールの遺骸が納まっていたかどうかは疑問である。誰も、その中を見たことはない。

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 この教会建築の2階部分を見学することもできた。危なっかしい足取りで、梯子の階段を上がる。

 そこは、野太い石の柱、小さな窓、レンガのような石材があらわで、井上靖が言うように、「それが経て来た歳月の長さを表して」、石が「老いて」いることがよくわかった。

   ( 2階部分の老いた石材 )

        ★

  礼拝堂(聖堂)の側面の戸から、修道院時代に「回廊」があった中庭に出ることができた。「回廊」を囲んで建っていたはずの僧院建築群は、今はなく、廃墟の趣である。

 「現在は僧院の跡形はすっかりなくなっていて、汚い古い家に取り巻かれた中庭になっている。もっとも寺院側だけに回廊の一部が残っていて、それが僧院の名残りだと言えば言えないことはない」(同)。

    

     ( 回廊跡 )

 『化石』の主人公は、聖堂の中の「古い石で囲まれた空間」で安らかな死の世界を感じ、また、この僧院跡の廃墟の陽だまりの中で「知足」の「生」を感じる。…… パリの病院で、当時は死の宣告・癌に侵されていることを知った、初老の男の物語である。

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< ソーヌ川は流れる >

 フランスでも、日本でもそうだが、街並みの中を流れる川は魅力的である。

 教会の見学を終えたあと、ソーヌ川に向かった。古い街の中の狭い道を歩くと、すぐに川に出た。

 「ぶらぶら歩いて行くと、ソーヌ川の岸へ出た。……水量がゆたかで、川というより運河の感じであった」(同)

   橋があり、その橋の上から、街の風景を眺める。

 ガイドブックには、石灰岩でできたグレー・ピンクの街並みが特徴である、と書いてある。

 しかし、街中を歩いても、ここからの眺めも、やや雑然としていた。

 

    ( ソーヌ川の橋から )

 「やはり、ブルゴーニュの川ですよ。どこか、おうように、ゆったり流れている」(同)

  ブルゴーニュに限らず、ヨーロッパは大地の国である。小麦畑、ブドウ畑、牧草地が広がり、林があり、川が流れ、ゆるやかな丘陵がある。緩やかな地形だから、地平線が見える。ライン川も、ドナウ川も、ロワール川も、地中海或いは大西洋に向けて、ゆったりと流れる。

 日本列島は、7割が山である。山に降った雨は、日本海か、太平洋か、瀬戸内海へ向けて、急流となって流れる。

 ブルゴーニュ人から見れば、「あれは、滝か?」ということになる。

 国民性も、やや、そのきらいがある。お互いに。

 現代社会にスピードは重要だが、一方、大河の流れのように、営々と、積み上げていく視点もまた、必要である。10年や20年や一世代で、何ほどのことができよう。

 

 

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