一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

新緑の北海道2014・5「緑の北海道」

2015-02-23 00:10:20 | 旅行記・北海道編
監獄歴史館を出ると、左手に二見ヶ岡農場がある。夏季のいまだから見られる施設である。
建物の中にはこれまたリアルな人形があり、いまにも動き出しそうだった。



その先、つまり敷地の最奥にあるのが、「五翼放射状平屋舎房」だ。中央の見張り小屋を中心に、半円状に五本の舎房が伸びているのだが、これが網走刑務所の代名詞と云えるかもしれない。1984年まで実際に使われていたというから、感覚としては現役に近い。
とはいえ、この木の古さが歴史を感じさせる。雑居房の出入口には鎖がかかって入れないが、一部鎖がないところもある。
私はこっそり中に入り、囚人の視点で外を見るが、あまり気分のいいものではない。廊下にはストーブが置かれているが、厳寒の冬では効かなそうだ。
房のひとつには、全国的に有名な人形がある。天井を見上げると、独房を脱獄している囚人(人形)がいる。これが昭和の脱獄王、白鳥由栄である。
気付く人だけ気付けばいい、というこの展示方法が私は好きだ。



平屋舎房を出て、大浴場、独居房、教誨堂などを見学する。独居房は身動きできるスペースがなく、こんなところに放り込まれたくないところだ。
最後は産業物産館・売店があり、よほどお土産を買おうと思ったのだが、見送った。
これにて、博物館網走監獄の見学は終わり。約1時間半だったが、それでもかなり、駆け足だった。ここに行かれる人は、少し余裕を持ったほうがいいと思う。

網走駅前行きの網走バスは、博物館前から17時ちょうどに出た。
駅まで戻りバス代を払う段になったのだが、料金が分からない。運転手さんに言われるまま330円を払ったのだが、これ、230円じゃなかったか!?
まあいい。次の石北本線は17時39分で、30分ほど時間がある。近くの蕎麦屋に入った。もりそば600円は限度額ギリギリだったが、まあまあ美味かった。よく考えたらここは、むかしもお邪魔したことがあった。
石北本線に乗る。初夏の陽は長く、まだ車窓からの眺めを堪能できる。女満別、美幌、愛し野など、色っぽい駅に停車して、18時53分、列車は北見に到着した。
北見はハッカの町だが生産量は減少し、現在は玉ネギの生産地として有名である。
なお、根室本線の池田から出ていた北海道ちほく高原鉄道は、ここ北見までを結んでいた。
きょう泊まるホテルは「東横IN北見駅前」である。宿泊料は朝食付5,800円で、これは私の上限額をはるかに越えている。が、レンタルパソコンをやっているところはここぐらいしかなく、やむを得なかった。
そのレンタルパソコンだが、昼に電話で確認したときは、レンタル料を「1,080円」と言われ、ひっくり返った。
これ、3月までは1,000円だったんじゃないのか!? それで消費税が3%アップして、1,080円は、便乗値上げじゃないか!?
しかし文句があるなら利用しなければいいわけで、すべてを承知で宿泊・レンタルしているのだから、文句は言えない。
近くのコンビニでタルタルチキン弁当とむぎ茶、スナック菓子に、生めんカップうどんが半額で売られていたので、これも買った。この買物が余計なのだが、分かっちゃいるけどやめられないのだ。
ホテルでは有料ビデオが500円と安かったので購入したが、これもおカネを遣った分だけ、損したかもしれない。まあ今回のビデオ群はとりあえず、波多野結衣を推しておこう。

翌22日(日)。早くも北海道の最終日である。しかもきょうは、オホーツク紋別空港を13時10分に立つ便で帰らなければならない。これは紋別-羽田間は1日1便しかないうえ、周辺の空港はどこもマイレージ使用の便が取れなかったことによる。紋別空港便は、全席マイレージ使用が可だったので、チケットを取ることができたのだ。
ともあれ実質的には、きょうは観光のうちに入らない。

朝09時12分、特別快速きたみに乗った。車窓からは木々の緑がまぶしい。36分、留辺蘂着。
ここにはむかしユースホステルがあって、そこのペアレントさんと、将棋を指したことがある。何局指しても私が勝ち、しまいには私が角を落としたのだが、それでも私が勝ってしまった。
「おかしいなあ、おかしい」
とペアレントさんは訝りつつも笑顔で、私もとても、楽しいひとときだった。
列車は走る。10時14分、遠軽着。ここで下車する。
遠軽は名寄本線の始発駅だったが、全138.1キロが1989年に廃止された。当時は「本線」が廃止になるとは思わず、鉄道ファンの間には大きな衝撃が走ったものだ。
遠軽駅の裏には瞰望岩があり、展望台からの景色が素晴らしいが、まだ午前中だというのに、ちょっと観光の時間がない。
ここ遠軽は、駅前に美味い蕎麦を食べさせてくれる蕎麦屋があった。外見は普通の店だが、更級の蕎麦が妙に美味かった記憶がある。釧路の敵を遠軽でではないけれど、最後にグルメを楽しむつもりだった。
しかし…。駅前のバスターミナルの隣に蕎麦屋はあったが、ここではなかった気がする。しかもまだ、店が開いていなかった。
残念だが今回は諦め、バスターミナルの向かいの店で、赤胴焼なるものを買う。ふつうの今川焼と思いきや、皮の表面に赤胴鈴之助の顔が焼印されていた。
バスターミナルの待合室に入ると、その一隅が食事処だったので、そこでもりそばを頼んでみる。
ところがここの蕎麦が美味かった。期待半分だっただけにこれはうれしい誤算だった。
もっとも店は隣同士だし、蕎麦の仕入先は同じだったかもしれない。
北見バス11時10分のバスに乗る。オホーツク紋別空港を経由するのに、乗客は数人だった。
バスは旧名寄本線に近いところを走るが、鉄路の痕跡は分からない。両脇は草原で、緑が映える。今回の旅行は、景色のすべてが緑だった。
紋別空港には、定刻を1分遅れの12時17分に着いた。ANAの羽田行きは13時10分だから、余裕である。
紋別空港は典型的な地方空港で、規模はホントに小さい。土産物屋も、空港カウンターの一隅にあるだけだった。
と、羽田行きの飛行機が25分遅れるとのアナウンスがあった。
チッ…。これがもっと早くに分かってりゃ、瞰望岩に登る時間ができたのに…。まあよい、今回は2429D列車を完全乗車したことで、旅も目的は達成していたのだ。
ANA376便に乗る。機内から見た群青色の空が、美しかった。





(おわり)
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新緑の北海道2014・4「網走番外地」

2015-02-22 00:09:22 | 旅行記・北海道編
マスターおよび「停車場」は、旅行雑誌で何度も取り上げられ、有名である。店内はテーブル席3つにカウンター。窓の上には網棚が設置されていて、レトロだ。私はカウンターに座り、お昼時なので、ポークケチャッププレートなるものをオーダーした。
これは文字通りポークソテーをケチャップ味にしたもので、肉はやや固めだったが、美味かった。
ホームの隅には展望台があり、列車が来るまで、そこで佇む。6月のオホーツク海が綺麗だった。



13時06分、北浜発。オホーツク海を右手に見やり、タイム18分で終着網走に着いた。
ここ網走からは、中湧別まで湧網線が通じていたが、前述の通り1987年に廃止された。私が途中下車をほとんどせずに来たのも、ここ旧湧網線をバスで行きたかったからだが、駅内の時刻表で調べると、中湧別まで行く直通バスがない。しかも、佐呂間から先はバスルートさえない。代替バスが旧湧網線を正確にトレースしていないのだ。
といって、佐呂間まで行って引き返すのも、時間的に厳しい。ウウム…。ここでの誤算は痛いが、網走には博物館網走監獄がある。でもバス時間を調べるのが面倒だったので、石北本線を左手に見やり、ぶらぶら歩いた。
空は雲が切れて、陽が射している。6月の北海道とはいえ、太陽が照れば暑い。
右手に網走刑務所が見えてきた。おお、こちらを先に観光?しよう。
網走刑務所は高倉健の映画の舞台だったこともあり、日本一有名な刑務所である。きのうは幾寅駅(鉄道員)を通ったし、2月には増毛(駅-STATION-)も訪れた。北海道に高倉健は欠かせない。
刑務所前まで来た。手前には網走川が流れており、そこに架かる橋を渡り、敷地内に入る。もちろん無料である。正門に来るが、煉瓦造りのその荘厳さに、身が引き締まる思いである。これは建築学的にも素晴らしい。ただ何ぶんにも「現役」なので、ハシャぐわけにはいかない。
正門のこちら側には「刑務所作業製品展示場」があり、入ると、受刑者が制作した木工製品などが売られていた。ただ、受刑者を色眼鏡で見るわけではないけれど、何か買おうにも、いますぐ欲しいものがない。
無添加の石鹸(3ヶ入り140円)があったので、これを購入した。

次こそ「博物館網走監獄」に行こうと思う。
ここからはちょっと離れているが、国道に出ると、そこ行きのバスが出たばかりだった。仕方ない、歩いていく。
道案内の通りだと、湧網線はここをまっすぐ走っていた。強引にイメージすれば鉄路が見えるが、いまはさまざまな障害物が並び、その痕跡はほとんどない。
左折してしばらく歩くと、右手に再び網走川が現れた。その先は網走湖だが、私は左手の石北本線の線路を渡る。丘を登っていくと、網走監獄の敷地が見えてきた。ここは学生時代に2度ほど訪れたが、こんな山頂にあったかと思う。
鏡橋を渡る。もちろん復元で、さっき私が渡った橋が、「本物」の鏡橋のようだ。
階段を上がると建物が見え、入館料は1,080円だった(後で分かったのだが、「インターネット入館割引」というのがあり、これだと110円安くなる)。
ゲートを抜けると、見覚えのある門があった。現網走刑務所の正門とウリ二つだが、博物館のは本家を模したものだろう。


網走刑務所


博物館網走監獄

本家網走刑務所は観光客がいなかったが、ここは人がいっぱいいる。早速観光と行きたいが、その前に今晩の宿を予約する。
本筋は遠軽駅前のホテルで値段も手ごろなのだが、ここにはレンタルパソコンがない。やむを得ず北見駅前のビジネスホテルを予約したが、ひとつだけ、不愉快な点があった。
さて、ゲートの先にある白い洋館は「庁舎」で、中に入ると、会議室や総務課があっこれは後述する。た。面会室にはリアルな人形があり、受刑者に親族が面会に来ている図などが再現されていた。
その反対側はミュージアムショップになっていた。資料的に興味深いが、買うまでには至らない。
庁舎を出て右を歩くと、長屋風の建物がある。刑務所職員の官舎で、「看守長屋」と呼ばれていたらしい。
その先には「休泊所」がある。受刑者が塀の外で作業し、刑務所に帰れないとき、この簡易小屋で一夜を明かすのだ。中は何体もの囚人(の人形)が布団をかぶって横になっており、その中の一体がグアッと起き上ってきそうで、不気味だ。
学生時代に友人と訪れたときは、私がこの布団にもぐって、お笑い写真を撮ったものだ。
隣の部屋に入るが、ヒトが立っていたのでギョッとしたら、これが看守の人形だった。
びっくりさせないでくれよ…。とにかくここの人形はリアルなのだ。これ、絶対に「ドッキリ」に使えると思う。
その先の丘を登ると、監獄歴史館がある。これは私が学生時代に見た記憶がないが、新築されたのだろうか。
内部はさまざまな資料があって興味深いが、傑作なのは自分をモデルにして撮れる「囚人写真」だ。受刑者が自分の名前を持ち、正面、ナナメの写真を撮影するアレである。300円とやや高めだが、これは大いに食指が動く。ただこういう類はみんなでワイワイ言いながら撮るもので、ひとりで撮っても虚しいだけだ。
一人旅は気楽だが、それゆえに不便なこともあるのである。
廊下には、刑務官の等身大パネルがところどころに立てられてあり、一般人でも緊張する。この演出の凝り方がスゴイ。私は苦笑するしかなかった。
ほかにも、明治時代の囚人服を着られたり、刑務所の歴史を語るシアターがあったりと、盛りだくさんである。ここにいると、時間の経つのを忘れるのであった。
(つづく)
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新緑の北海道2014・3「釧網本線の緑」

2015-02-21 14:32:15 | 旅行記・北海道編
気を取り直して、引き返す。幣舞橋の袂にある複合商業施設・釧路フィッシャーマンズワーフMOOに入る。ここは多くの飲食店が入居しているが、一般施設は午後7時閉店ですでに閉まっており、飲食店街に入るのに難儀した。
私は飲まないし、一人旅なので居酒屋関係はパス。必然的にラーメン屋の類になるが、ちょっと待て。同じラーメンを食べるなら、末広町の一軒家で食べたい。
それで、末広町に向かった。いろいろ迷ったが、創業ウン十年と思しきラーメン屋があったので、入る。味噌ラーメンを頼んだ。もちろん美味かったが、ちょっと脂がキツかった感じ。北海道のラーメンスープはおしなべて脂っこい。もっとも、これが体をホカホカにさせるのだが。
さて末広町に来れば、必ず寄る喫茶店がある。とあるビルの地下にある「佛蘭西茶館」だ。



店内は煉瓦造りで、この雰囲気が妙に落ち着くのだ。ママさんとマスターも味があり、贅沢なひとときを味わえる。かれこれ20年以上の「付き合い」である。
入ると、マスターが新聞を読んでいて、ママさんはいなかった。
私はいつもカウンターに座るのだが、きょうはテーブル席に座る。マスターには何となく顔を憶えられているので、私が常連気取りを避けた意味があった。
ブレンドコーヒーとチーズケーキのセットを頼んだが、これは私の見間違い。チーズケーキはなく、コーヒーだけ頼み直した(450円)。
コーヒーを味わいしばらく経つと、「こちらへはいつから?」とマスターが話しかけてきた。やっぱり憶えられていたか…。でもちょっぴりうれしい。
マスターはちっとも変っていないが、私は年々老けてきている。そして未来の希望も削られている。同じスポットを訪れると、時の経過の残酷さを思い知らされる。

店を出て、きょう宿泊のホテルへ向かう。それはここ北大通り沿いにあり、行きに確認していた。
その途中、和菓子屋があったので、草大福とシュークリームを買った。この買い食いが太るモトだが、ダイエットはこの旅行を終えてからでいい。
ホテルは「コンフォートホテル釧路」。実は自宅で楽天トラベルを調べていたとき、釧路某ホテルの「ワケありルーム」が、2,000円台で出されていた。半年前の私ならノータイムで予約しているところだが、現在はブログを再開してしまったので、レンタルパソコンが必須である。このホテルにはそのサービスがなさそうで、諦めたのだ。
それで別のホテルの、A.宿泊料5,000円+レンタルパソコン500円、B.宿泊料4,620円+レンタルパソコン1,000円を検討した結果、Aのコンフォートホテル釧路にしたというわけだった。
パソコンを借りて7階の部屋に入るが、肝心のパソコンが小型だった。しかも文字の拡大機能が分からず、すこぶる書きにくい。なるほどレンタル料が激安だったわけだ。
苦労しながらブログを書き上げ、何とか本日分をアップした。

翌21日(土)。私はまず、駅前の和商市場に行った。紀行番組で釧路となれば必ず紹介される「名所」で、市場内は、白飯にさまざまな海鮮を乗せる「勝手丼」が有名である。
以前何度か入った寿司屋があり、ここはタコの卵を食べさせてくれるなど珍味も多いのだが、上にぎり2,100円はけっこうな出費である。ほかの店は850円などの朝定食をやっているので、そちらを検討する。でもそのおカネさえ、もったいない気がしてきた。
虫の知らせで、家に電話を掛けてみる。と、私あてに、将棋ペンクラブの人から電話があったという。そういえば前日の朝、我がスマホに電話が入っていたが、あれがそうだったか。
そこにかけ直すと、幹事のM氏からだった。私は将棋ペンクラブ大賞の二次選考委員を仰せつかっているのだが、その中で湯川恵子さんの観戦記を評価し忘れていたという。
寸評で評価は分かるのだが、もちろん「優」である。さて、恵子さんはどうなるか。
結局朝食は摂らず、私はそのまま釧路駅に向かった。きょう乗るべきは釧網本線だが、本日の宿泊地は決まっていない。レンタルパソコンがあるか否かで検討しなければならないから、面倒なのだ。
釧網本線は、釧路湿原を堪能できる「ノロッコ号」が有名だが、その11時06分発ではタイミングが合わない。09時05分発の快速しれとこ号を選んだ。
列車はステンレス製の2両編成だが、パールピンクの帯が入っていて、愛らしい。定刻に出発した。
湿原は目にも鮮やかな緑色で、ここにも萌えを感じる。タイム20分で釧路湿原駅に着いたが、ここで下車すれば2時間待ちだから、そのまま乗り過ごす。ローカル線の旅はかくも不自由だが、そこから旅の行程を構築するところに、旅の醍醐味がある。
塘路の手前で、列車が急停車した。線路に鹿が侵入したようだ。北海道の鉄路に鹿はつきもので、轢断事故はよくある。私もむかし花咲線(根室本線)を旅していたとき、列車が鹿を轢いたときがあった。私はたまたま運転席の横にいて、その瞬間を見てしまったが、あれは後味がよくなかった。
鹿はレールに沿って走るため、どうしても轢かれてしまう。それを避けるには、運転手が早めに鹿を見つけ、急ブレーキをかけるしかないのだ。
09時36分、塘路着。ここは近くに塘路湖があり、冬は丹頂鶴が飛来する。冬に列車でここを通ったとき、地元の方から牛乳が振る舞われ、感激したことがある。
列車は走る。摩周、川湯温泉と途中下車したいのだが、いずれも時間的に無理だ。
11時19分、知床斜里着。知床半島への入口だが、やはり降りるわけにはいかぬ。今回はここの観光目的ではないので、仕方ない。と、6分の停車時間を利用して、車内販売のオジサンが乱入?してきた。こういう手筋は初めてで面食らったが、おつまみやお土産を購入している客がかなりいた。
列車はここから角度を変え、オホーツク海沿いを走る。かつては天北線、興浜北線、興浜南線、名寄本線、湧網線から絶景が窺えたが、これら路線はことごとく廃止になり、現在はここ知床斜里から網走までの一部区間からしか拝めなくなってしまった。
11時51分、北浜着。ここはオホーツク海を最も間近に見られる駅で、線路のすぐ向こうが海だ。
釧網本線は空き駅舎で飲食の営業をしている店が多く、別名「グルメロード」とも呼ばれている。ここ北浜もそうで、駅舎が「停車場」という軽食喫茶になっている。ここで下車する。
中に入ると、チョビ髭のマスターと奥さん(娘さん?)がいた。
(つづく)
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丸田祐三九段逝去

2015-02-20 00:22:14 | 男性棋士
2月17日、丸田祐三九段が亡くなった。享年95歳。
丸田九段は昭和21年四段、23年八段。タイトル戦登場4回、棋戦優勝10回。日本将棋連盟会長にも就いた、将棋界を代表する名棋士である。
丸田九段は歩使いがうまく、「小太刀の名手」と呼ばれた。また丸田九段といえば「ひねり飛車」での新手を抜きにしては語れない。昭和39年、山田道美八段との一戦で、従来は▲8五歩と打っていたところを、飛車を成れるものなら成ってみろ、と▲9七角と上がったのが画期的な新手。この将棋に快勝し、以降「▲9七角型」は丸田流と呼ばれた。
タイトル戦は、昭和27年度の第2期王将戦が熱戦だった。大山康晴名人相手にフルセットまで戦い、最終第7局も終盤まで優勢を保っていたが、最終盤で一失あり、大山名人の逆転勝ちとなった。投了局面ももう少し粘れそうだったが、ここで投了したのも丸田流である。
連盟では経理関係を長く担当した。私が20代のころ友人から聞いた話だが、税務関係の人が対局料の件で聞き込みに来た際、丸田九段が説明した給料システムがあまりにも複雑怪奇で、税務関係者は収穫なしで帰ったという。
また丸田九段はあの「陣屋事件」の真相を知るひとりだったが、沈黙を貫いた。結局、真相は墓場まで持っていってしまったようである。
ちなみに子息の祥三氏は写真家で、列車の廃線跡や街の廃墟を切り取った「棄景シリーズ」は、氏のライフワークとなっている。私は女優やモデルの写真集しか買わないのでこのシリーズには縁がないが、哀愁を帯びた作品群は一見の価値がある。
また祥三氏は5年くらい前に、「将棋世界」の表紙に作品を提供している。それは将棋会館の対局室で鎮座している、丸田九段の後ろ姿だった。
丸田九段の名局はあまり知られていないが、河口俊彦八段は、昭和36年に指された、第20期名人戦の第4局を挙げている。その「畢生の名局」をご覧いただこう。

昭和36年(1961年)5月25、26日
第20期名人戦七番勝負第4局
於:神奈川県横浜市「プリンスホテル」
▲名人 大山康晴
△八段 丸田祐三

▲7六歩△8四歩▲7八銀△3四歩▲7七銀△4二銀▲4八銀△6二銀▲7八金△3二金▲5六歩△5四歩▲5七銀△5三銀右▲2六歩△5二金▲6九玉△4一玉▲3六歩△4四歩
▲5八金△8五歩▲4六歩△7四歩▲9六歩△9四歩▲2五歩△3三角▲4七金△4三銀▲3七桂△6四銀▲1六歩△1四歩▲6六歩△7三銀▲7九角△6四歩▲6八銀右△6二銀
▲6七銀△5一角▲6八角△5三銀▲7九玉△3一玉▲8八玉△2二玉▲2九飛△8三飛▲5九飛△8四角▲5五歩△同歩▲同飛△7三桂▲5九飛△6五歩▲同歩△同桂
▲6六銀△6四銀▲4五歩△5七歩▲5六金△5三飛▲5五歩△6三飛▲2九飛△4五歩▲2四歩△同歩▲同飛△2三歩▲2五飛△7五歩▲同歩△7七歩▲同桂△5八歩成
▲同銀△7七桂成▲同金△7五銀▲6四歩△同飛▲6五歩△7六歩▲6七金△4四桂▲5七金引△5六歩▲7五銀△5七歩成▲同角△7五角▲同角△6五飛▲6六銀△7五飛
▲同銀△7七銀▲同金△7九角▲同玉△7七歩成▲7八飛△7六金
まで、108手で丸田八段の勝ち。

かなり昔のNHK杯で、対局者が丸田九段、解説が大内延介九段のときがあった。中盤、いろいろ手のあるところで、私などには次の指し手が皆目分からないが、大内九段は「ここは(丸田九段が▲6六の銀を)▲5七銀の一手。100%そう指します」と自信満々である。
果たして丸田九段は、くちびるをゆがめるお得意のポーズで、▲5七銀。プロの感覚はすごい、と唸ったものだった。
丸田九段はA級在位24年。B級1組も長く務め、私の記憶が確かならば、68歳まではB級1組を張っていた。晩年は大山十五世名人との対局で連勝し、腕に衰えのないところを見せた。髪も黒々として、いつまでも若々しかった。
ああ、棋界の最長老、逝く。いつかは訪れることだが、いざ現実のものになると、さびしい。いまごろあちらの世界では、升田幸三実力制名人や大山十五世名人など、重鎮がお出迎えしているのだろう。
心よりご冥福をお祈りいたします。
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新緑の北海道2014・2「2か月連続の別れ」

2015-02-19 00:28:28 | 旅行記・北海道編
十弗着。ホームには「十弗は10$駅」のコピーが入った10$札もどきの看板が掲げられている。もちろん「十弗」と「十$」が似ているからだが、それがどういう町興しになるのか、よく分からない。
その後も各駅に停まるが、駅舎は相変わらず味わい深い。根室本線は単線だが、列車は左側通行なので、左側に駅舎が多いように思われる。私は偶然左側のボックスに座ったので、難なく鑑賞できる。
16時過ぎ、常豊(つねとよ)に停車した。しかしこの駅は時刻表に掲載されていない。旅客営業をしていない信号場ゆえだが、それなのにホームには駅名標がある。全国的に珍しい例である。
…というようなことを、右ボックス席のオジサンが同行者に話している。
このオジサンは、鄙びた駅舎や時刻表があると、こちら側に身を乗り出して撮影する。この駅ももちろんそうで、私もウェルカムである。
そしてこのころから何となく、車内に鉄道ファンの一体感みたいな雰囲気が出てきた。
運転席の横では、鉄道女子がかぶりつくように、前方を眺めている。
直別から列車は海沿いを走り、太平洋がチラチラ見えるようになった。
その次の尺別で数分停車になる。上りの特急をやり過ごすためである。走行距離が308.4kmなのに所要時間が8時間25分もかかるのは、こうやって大小の駅で停車時間があるからだ。
16時51分、特急スーパーおおぞら10号が右車線を一気に走り抜けていった。
車内は100%、鉄道ファンになっている。まるで貸切で、普通列車でこの光景はすこぶる珍しい。2429D列車の面目躍如である。
17時06分、古瀬着。ここがまた板張りだけの簡素なホームだ。私の目の前にちょうど時刻表看板が来たので、右のオジサンが身を乗り出して撮影する。私もつられて見てみると、下りが4本、上りが3本しかない。そして下りはこれが「最終」である。古瀬駅、列車は通るが停車はしないという、いわゆる秘境駅で、所さんの番組で取り上げられそうな雰囲気がムンムンだった(帰京後、ビデオ録画しておいた「所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ!2時間スペシャル」を観たら、秘境駅のコーナーで古瀬駅が舞台になっていて、あまりの偶然にひっくり返った)。



17時23分、白糠着。ここはかつて白糠線が分岐していたが、1983年10月に廃止になった。国鉄再建法の施工により、特定地方交通線の廃止路線第1号となった線である。
そんなわけだから乗降者はいないと思いきや、数人の高校生が乗ってきた。近くに高校があるのだろう。
やや陽は陰ってきたが、いまはいちばん陽が長く、まだ明るさを保っている。西庶路を17時30分に発車して、あと30分余りとなった。庶路、大楽毛(おたのしけ)、新大楽毛、新富士、と停まり、次は終着の釧路となった。
乗客は、運転席上の料金表を撮影している。滝川から釧路までは5,720円であった。
18時02分、2429D列車は、釧路に到着した。朝に滝川を発ってから8時間25分の長旅だったが、北海道の景色が雄大で、ちっとも退屈しなかった。ありがとう、2429D列車。
私は改札口に向かうが、ここで最後のお楽しみがある。2429D列車を完全乗車し、この区間の切符を提示すると、「完全乗車証明書」がいただけるのだ。
これは2010年4月から期間限定で始めたサービスだが、好評につき現在も継続されているものだ。
私は遠軽までの切符を提示し、証明書をめでたく頂戴した。マラソンを完走して認定書をもらったような、何ともいえない充実感があった。





きょうは釧路で泊まるが、まずは晩ご飯である。釧路といえば、幣舞橋の先を行ったところに美味いタンメンを食べさせてくれる中華料理屋がある。今から10年以上前、銭湯を探している時にたまたま見つけて入ったものだが、東京なら行列ができる美味さだった。
4月に二子玉川で食べたタンメンも美味かったが、何てことのない店に名店が潜んでいる。
ともあれ今回、この時間帯に私が釧路にいるのは珍しく、久しぶりにお邪魔しようと思った。
幣舞橋に到着し、とりあえずは4人の美女を鑑賞する。いわゆる「道東四季の像」である。
私の好きなタイプは「春」。私の体調がよければ「夏」というところだ。
その右手の道を入っていく。数分歩いたところで、見覚えのある外観が目に入ったが、何かの鉄工所になっていて、中で男性が作業していた。
いやまさか…この店じゃないだろう? しかしあの出窓、見覚えがある…。
私は先に進むが、もう中華料理屋がある雰囲気ではない。そこで近くの理髪店で聞いてみると、案の定、先の鉄工所が元の中華料理屋とのことだった。
「4年くらい前に、閉店したよ」
店のオジサンは散文的に答える。私は気が遠くなるのを感じた。
先月の鹿児島・山ちゃんラーメンに続いて、またも閉店である。きっとここも、代替わりを果たせず、閉店のやむなきに至ったのだろう。
遅かった…。もう1回ぐらい、あのタンメンを食べたかった。
私は呆然と立ち尽くした。
(21日につづく)
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