一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

「第24回将棋ペンクラブ大賞贈呈式」にお邪魔する(その4)

2012-09-25 00:19:24 | 将棋ペンクラブ
向かいに座った会員氏は、ペンクラブ交流会で面識があるが、名前を憶えていない。その会員氏は、現在社団戦を2部で戦っているという。そして1部のときだったか、8勝7敗で降級したという。社団戦の、というか1部の厳しさを如実に物語るものである。
Tag氏とは、10月21日(日)に行われる「将棋文化検定」の話になる。これが記念すべき第1回で、2級・4級・6級・9級が受験できる。私は受験しないが、Tag氏は受けるそうだ。
何か想定問題がほしいというので、「神谷広志七段の28連勝を止めた棋士は誰か」と出題する。6月の稚内ツアーで、中井広恵女流六段が作った将棋クイズにも出ていたものだ。
「室岡七段!」
すかさず西川慶二七段が答える。
「先生は答えないでください!」
私は苦笑しながら釘を刺す。
するとKun氏が、カバンから将棋文化検定の想定問題集を出した。将棋世界の付録にあったものだが、それを携行しているというのがスゴイ。Kun氏も立派な将棋バカだ。
私はその2級問題をTag氏に出題するが、3択まで言わなくても、正解を答えてしまう。しかもそれぞれ解説付きだ。西川七段が固まってしまっている。
今度は私がTag氏に、歴代最多連勝者を出題する。28、24、22、20、18…。Tag氏はその該当者をスラスラ答える。基本といえば基本だが、さすがだ。
私はさらに続ける。
「竜王戦の前身は?」
「十段戦」
「じゃあその前は?」
「九段戦」
「…。じゃあ天王戦の前身は?」
「…連盟杯?」
「正解。じゃあ天王戦は、どのタイトル戦に合流した?」
「…棋王戦?」
「正解。…Tagさんには常識問題だったな」
「じゃあ私からも出題。その棋王戦の予選として行われてた棋戦は?」
「…。名棋戦?」
「…正解」
「うん、確か最後は、北村昌男八段が福崎文吾六段を破って優勝したはずだよ」
西川七段が、(あんたたち…)という顔で、目を白黒させた。
いかん、と思う。Tag氏とこんなやりとりをしていたら、私まで将棋オタクに思われてしまう。
再び小冊子に戻る。「一番多い段位は?」で、3択は六段、八段、九段の3つ。むかし天王戦があったとき、七段はいちばん数が少なかったから、これはないだろうと思った。
ところが西川七段の答えは「七段」。これは意外だった。もっとも冷静に考えると、当の西川七段はじめ、植山悦行先生、大野八一雄先生は七段。また、私が応援する「七段」は、桐谷広人、武者野勝巳、室岡克彦、堀口弘治、神谷広志、中座真、野月浩貴、松尾歩とおり、各段の中で断トツであった。七段万歳!!
湯川博士幹事は、相変わらずあちらの席で熱弁をふるっている。
竜王戦の話になる。
私「ヤマザキ七段が挑戦者になってたら面白かったんだけどな」
Tag氏「ヤマサキです」
私「グッ……」
もう、Tag氏の2級合格は確実だろう。
「でもボクはダメなんですよ。棋士がどのクラスまで昇級したとか、全然知らないから」
とTag氏。私は言い返す。
「それはないでしょう、それは。将棋ファンなら知らなくちゃ。西川先生は、C1まで行きましたよ、ねぇ!」
「…私はB2まで行きましたけど…」
あっ! また失礼なことを言ってしまった! 私はすかさず言い繕う。
「あ、あ、すみません、そうだ西川先生はB2まで行きましたよね! そうだそうだった。でもいまはC2じゃ、ヤバイじゃないですか」
「……」
ああっ!! 私はまた余計なことを…!! 悪手は悪手を呼ぶ、とはよく言ったものだ。西川七段には失言ばかり。穴があったら入りたくなった。
木村晋介会長が退席するようだ。ではと西川七段も席を立つ。そのタイミングがあまりにもドンピシャで、私は再び頭を垂れた。
東京の将棋ファンには毒舌が多い、と妙な印象がインプットされなければいいのだが…。
空いた席に、LPSA所属の大庭美夏女流1級が座る。きょうは茶系のきもので、よく似合っている。けど、面と向かってホメる勇気はない。
また私は、最近はLPSAに全然お邪魔していないので、肩身が狭い。美夏1級も、そこを振ってくれればいいのだが、黙っておしゃべりを聞いている。
湯川幹事も戻ってきた。三上幸夫幹事が、Mo幹事をこちらのテーブルに呼ぶ。Mo幹事は寡黙だが将棋界の情報に詳しく、交友範囲も広い。そんなMo幹事の話は、一日聞いても飽きないほど面白いはずなのだが、Mo幹事の酒は真夜中型で、私とは活動サイクルが違う。とことんまで飲む機会がないのが残念だ。
私が、twitterの独り言を読む気はしない、と言うと、Mo幹事がfacebookを勧めてくれる。これは本名でやりあうから、私の特性にあっているらしい。
ただ私は、ネット上でもリアル上でも他人との会話が苦手だから、どちらもやらないと思う。
湯川幹事やTag氏の話も面白く、私は左右の耳をフル活用して聞き分けた。
いつの間にか10時半をすぎ、お開き。三上幹事が、美夏女流1級の帰宅方面に誰か同乗するよう促す。そしてそれはどうも、私が該当するようだった。美夏女流1級は千葉県在住。私は上野方面なので、秋葉原までご一緒できる。
お送りするのはやぶさかでないが、美夏女流1級は、帰りくらいひとりになりたいのではなかろうか。
JR四ッ谷駅の改札を抜けると、美夏女流1級は総武線方面に向かった。私は中央線方面に向かおうとすると、三上幹事が再び、「大沢クン!」。
結果、私は総武線ホームに移動することになった(ヒマな読者は、この辺りの路線図を確認してほしい。私の行動の意味が理解できるはずだ)。
「女流棋士とふたりきり状態」は、中井広恵女流六段以来。妙に緊張してしまう。何となくLPSAの話は避けて、当たり障りのない話をする。
美夏女流1級の娘さんが、バリバリ将棋が強くなっているという。何年か前私と対局したときは、娘さんは級位者だった。それがいまは、アマ二段だという。それじゃあ私と平手の手合いではないか! まったく、子供の上達は恐ろしいほどに早い。
御茶ノ水着。次の秋葉原でお別れである。
「来月のLPSAファンクラブイベントにも来てください」
と、美夏女流1級。
ついに来たか、と思う。私は苦笑いしつつ、電車を下りた。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「第24回将棋ペンクラブ大賞贈呈式」にお邪魔する(その3)

2012-09-24 00:20:57 | 将棋ペンクラブ
三浦弘行八段と目が合ったので、以前何かのイベントで、三浦八段の扇子が当たったことを報告しておく。きょとんとする三浦八段。
村山慈明六段が手持ち無沙汰のようだ。村山六段は、3年前に銀座で開かれた、「原田泰夫九段遺墨展」でお見かけしたことがある。その後私は当ブログで、「村山六段は体を絞れ」と書いたことがあり、村山六段がその文章を読んだんじゃないかと疑心暗鬼を生じた私は、声を掛けられなかった。
Hak幹事は鷲北繁房幹事とともに、カメラ係。私とKun氏の持っている米長邦雄永世棋聖の色紙に目をつけ、ふたりがそれを手にしているところを、1枚収めた。
その画像を確認したが、頭部中央の髪が薄く、暗澹たる気持ちになる。これじゃ中住まいの玉だ。△5六歩と突かれただけでしびれる。
金子タカシ氏に挨拶。金子氏は昨年「寄せの手筋200」で、ペンクラブ大賞の技術部門大賞を受賞している。氏は往年の強豪(失礼)で、アマ竜王戦の前身である、読売日本一で優勝の実績がある(のちにTag氏の指摘により、アマ竜王にも輝いていることが分かった)。
金子氏とは「LPSA木曜ワインサロン」でいつも顔を合わせていたが、言葉を交すことはなかった。今回1年遅れで、お祝いを述べることができた。
きょうはパーティー馴れしている棋士が多いのか、テーブルの食事があまり減らない。客自体も少ないのだろうか。
私は再びパスタを盛る。もっと高級そうな料理もあるのに、つい大衆料理にハシが行ってしまう。そして、こうして炭水化物ばかり摂っているから太る。
神谷広志七段にも挨拶。神谷七段といえば「公式戦28連勝」である。私はその話を振る。
「あの中には米長先生や青野先生に勝った将棋もあって、価値があったですよねえ」
しかし神谷七段は当時のことがあまり記憶にないらしい。私は話題を変え、浜松市周辺のローカル線の話を一方的に述べる。
さらにウナギの話。地元だからといって安く食べるツテがあるわけではないらしい。高級食はどこへ行っても高級食ということだ。
神谷七段は投げっぷりのいい棋士と思う。それを問うと、まあそうだね、という返事だった。
神谷七段は数年前の竜王戦で、佐藤康光現王将相手に互角以上に戦ったが、武運つたなく投了。しかしその局面で△4三桂と指せば、むしろ神谷七段持ちだった。
そのときのことを聞こうと思ったのだが、そこで長田衛幹事のお開きの声がかかった。う~ん、残念。これは次回のお楽しみとしたい。
ときに午後8時25分。今年の贈呈式は、式次第どおりスピーディーに進行して、とても内容が濃かった。
一番手に会場を出た私は、エレベーターに乗ろうとしたが、先客もあり、ちょっと躊躇する。結局乗らなかった。
そこへ、後ろから鷲北幹事が来て、二次会に誘ってくれる。
ここが運命の分かれ道。せっかくなので、参加させていただくことにした。
しばし受付付近で待つ。今年はこれだけの棋士が参加したにもかかわらず、一般客の参加は少なかったようだ。30人前後か。将棋ペンクラブは会員制だから絶対数は知れているが、もう少し参加があってもよかった。
ところで鷲北幹事によると、米長永世棋聖の揮毫は、きょうこの場で書いてもらったものだという。それが証拠に、落款がない。
改めて「無心」を見直して、実に力強い揮毫だと思った。
二次会会場は、スクロール麹町からスグの地下にある、沖縄料理居酒屋。店内には、まあ名前を書いても支障はないと思うから書くが、青野照市九段と上野裕和五段が先乗りしていた。といっても、これは単独の酒席のようだ。
私たちは奥のテーブルに座る。湯川博士幹事の向かいは遠慮させていただいて、ちょっと離れた場所に座った。
幹事は、1,000円で飲み放題のメニューを頼んでいた(ただしビールはない)。さすが将棋ペンクラブ、安い店を知っている。まずはハイボールで、そろっている者だけで、乾杯。
木村晋介会長、湯川幹事、西川慶二七段は落語談議。西川七段が落語好きだとは知らなかった。
15分後に湯川恵子さんやHak幹事が着席し、参加者はここまで。ではここで、席の配置を記しておこう(「不明」とは、名前が分からない人)。

   美夏 恵子 不明 鷲北
                 壁
   不明 不明 中野 Kan Mo

   不明  西川 木村 博士
Tag               壁
   Kun 一公 三上 Hak

総勢18人。そういえば今年は、A幹事の姿がなかった。
西川七段が右前に座ったので、挨拶。
「むかし『週刊将棋』で、芹沢博文九段の、若手棋士を斬る、みたいな企画がありましたよねえ。あれでホメられてたの、西川先生だけじゃなかったですか?」
目の前にどの棋士が来ようと、その人に見合った話題を出す。これが肝要である。
「ずいぶん古い話ですねえ。あとは阿部(隆)さんもほめられてました」
「ああ、そうですか。でも辛口の芹沢先生がホメるということは、それだけ期待していた、ということでしょうね」
「……」
何だか、微妙に失礼なことを言った気もするのだが、深く考えないようにしておく。
しばらくして、湯川幹事は青野九段のテーブルに向かう。両棋士は次期の理事候補、と私は期待している。湯川幹事は果たして何を語るのか。
(つづく)
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「第24回将棋ペンクラブ大賞贈呈式」にお邪魔する(その2)

2012-09-23 00:05:41 | 将棋ペンクラブ
しかし私は、口にめいっぱいパスタを頬張っており、さすがに声を掛けるのは憚られた。米長邦雄永世棋聖は、そのまま私の前を通りすぎる。このとき、私の千載一遇のチャンスは逃げていったのである。
もっとも、パスタを口に含んでいなくとも、話し掛けられたかどうか。高校のときの文化祭で、瀧野川女子学園高等学校将棋部部長にアタックできなかった。旅行で一緒になった女子に、声を掛けられなかった。イベントの席で、山口恵梨子女流初段に声を掛けられなかった。W氏と談笑している室谷由紀女流初段に声を…。誰にも声を掛けられず、グズグズしているのが私の人生なのだ。
お楽しみ抽選会が始まる。景品は棋士の直筆色紙や棋書。全員に当たることになっているが、早く当たるほど景品選択の自由があるのはいうまでもない。
鷲北繁房幹事がビンゴマシーンを回す。2人目でKun氏が当たった。次は「17」で私。LPSAイベントなどでは、いつも何がしかの景品をゲットし、その強運を恐れられた私ではあるが、その運はきょうも健在だったようである。
色紙コーナーに目をやると、米長永世棋聖のものがある。「忍」「無心」とはどこかで見た揮毫だ。茶目っ気たっぷりである。
Kun氏が悩んでいるので、私はお先に「無心」をいただく。Kun氏は「忍」を選んだ。
部屋の壁際では、大庭美夏女流1級が指導対局を始めた。挑戦者は木村晋介将棋ペンクラブ会長ら。私も一局お願いしたいが、いまはその時間を歓談に回したいところである。
木村一基八段とTag氏が歓談している。さしずめ○○同盟というところか。私も入れてもらいたい。
ノースリーブの美女が、抽選に当たったようだ。大阪の佐藤圭司氏の知り合いらしいが、選んだ景品を見せてもらうと、「米長邦雄の本」だった。なかなかいい選択である。
きょうは棋士が大勢来場している。入賞者以外の方にも、演台で一言いただくことになった。
青野照市九段「最近は雑誌に書く内容が過激になってまして…。今月はいじめの話だったですけど、来月はロンドンオリンピックについて一言書きます…」
今月号の「将棋世界」、「いじめは犯罪である」は名言だった。これは来月号も買う一手だ。
三浦弘行八段「きょうは対局だったんですが、どうしても大賞贈呈式に出たくて…。もし相手が長考するようなら、こっちが投了してでも、こちらに駆けつけるつもりでした」
これはうれしいコメントだった。三浦八段は、交流会でもサイン扇子や色紙を提供し、将棋ペンクラブに理解を示してくれている。ありがたいことである。
神谷広志七段、西川慶二七段は東京で対局があったが、滞在を伸ばしての参加とのこと。こちらもありがたいことである。
上野裕和五段「9月に著書を出しますので、来年は受賞者としてここに上がります」
これは頼もしい、受賞宣言が出た。
木村八段「受賞者は皆さん喜んでるんですけど、それはいいんですけど、ちょっと何というか…誇らしげというか、ほかの人とは違うんだ、って顔をしてるんですね。それが面白くないですね。私も今度棋書を出しますので、来年はよろしくお願いします」
千両役者・木村八段のユーモアあふれるスピーチだった。
その間にも私は、米長永世棋聖と何とか…とばかり、米長永世棋聖の動向を注視していたが、風のように消えてしまった。これが米長流なのだろう。「米長将棋勝局集」はよかった、と伝えたかった。
木村八段に、思い切って声を掛けてみる。
「いつも植山先生と大野先生にお世話になっている者です」
「ああはいはい」
木村八段は先刻承知、というふうだ。木村八段とは初対面のはずだが…と思ったら、3年前に新宿のホテルで行われた、天河戦第1局の公開対局のとき、私は木村八段に挨拶していたのだった。
しかし木村八段がそのときのことを覚えているはずがない。つまりこの気さくさが、木村八段の魅力ということだ。
「私、木村先生の四間飛車破りの、NHKの本を所有しております」
「ああ」
「でもちょっとあれ、図面に誤植が多かったんですよね」
「……」
私はいらんことを口走る。しかしその後も、会話は弾む。「本を出すときもタイミングがありましてね。あの本を出した後に渡辺竜王の『四間飛車破り』が出たときは参りました。喫茶店の前にドトールが出来たようなもんですよ」
客(読者)をすべて持ってかれた、ということか。しかし巧妙な比喩ではないか。「しかしまあ、私のほうも好評でした」
「今度機会があったら、指導対局をよろしくお願いします」
「はいはい。ボクは厳しく指しますから。植山先生と大野先生とはどの手合いで指してるんですか?」
「角です」
「勝ったことはあるんですか?」
「は? はい、何番か緩めていただきました」
「ほうそれはすごい」
「でも指導対局ですから…。木村先生とは飛車落ちで…」
これは失言した。植山悦行七段と大野八一雄七段に角落ちで、木村八段に飛車落ちを所望するとは、両七段より木村八段のほうが手強い、と暗に言っているようではないか。やはり木村八段には、角落ちで教えていただくしかないのか…。
湯川博士幹事が来て、「また(原稿を)書いてくれよ」と私に言う。さっきも鷲北幹事に言われたが、そんな簡単に書けるものではないのだ。
しかしこれはマジで、何か書かねばなるまい。
(つづく)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「第24回将棋ペンクラブ大賞贈呈式」にお邪魔する(その1)

2012-09-22 01:38:52 | 将棋ペンクラブ
21日(金)は、東京・四ッ谷で「第24回将棋ペンクラブ大賞贈呈式」があり、2年振りに参加した。
午後6時15分、JR四ッ谷駅麹町口に出る。以前も書いたが、ここ四ッ谷は私のサラリーマン時代の最寄駅だ。当時は会社でのいい思い出がなく、いまもそれを引きずっているが、とにもかくにも、四ッ谷駅を降りて会社に戻らなくてよいのは、精神衛生上よろしい。
「スクロール麹町」に入り、6階-7階-5階と迷いまくって、やっと着いた。
ときに6時20分。開演は6時半からだから、ちょうどいい。
受付で順番待ちをしていると、湯川恵子さんが、「かずきみさぁん」と声を掛けてくれた。「かずきみ」は私の本名だが、みなは私を「イッコー」と呼ぶ。正確に呼んでもらって、ちょっと照れくさかった。
続けて湯川博士幹事。「元気そうで…」と一言。恐らく私の名前は忘れているだろうが、顔を覚えていただいているだけでも、ありがたい。
受付を終え会場に入るが、ガランとしている。もらった式次第に書かれてあるナンバー(のちの抽選会のときに使う)は「17」。一般入場者がここまでで17人しかいないわけで、ちょっとさびしい。
と、大庭美夏女流1級が現われた。きょうのゲストで、指導対局を行ってくれる。さらに神谷広志七段が一般客として訪れた。神谷七段は5月の関東交流会でお話をさせていただいた。棋士らしくない、気さくな先生である。
そして谷川浩司九段(十七世名人)の入場。谷川九段は、詰将棋作品集「月下推敲」で特別賞を受賞している。しかし大阪からわざわざ来ないだろうと一人合点していたので、これにはビックリした。ちなみに私は、「ナマ谷川」を拝見するのは初めてである。
続けて米長邦雄永世棋聖が入場する。米長永世棋聖を拝見するのは、数年前の女流王位戦就位式、マイナビ女子オープン挑戦者決定戦の控室、将棋ペンクラブ関東交流会の席と、都合3度のみ。きょうはその米長永世棋聖に、私の存在をアピールできる最初で最後のチャンスだが、どうなるだろう。
後を追うように村山慈明六段。さらに広瀬章人七段が入場する。どちらも技術部門で、それぞれ大賞と優秀賞を受賞している。
さらに三浦弘行八段、木村一基八段が入場。こちらは純粋にお客としてだ。ただしペンクラブ側は、参加費は取っていないだろう。
一般入場客もそこそこ来たようだ。知った顔では、Kun氏、Tag氏ら。
定刻の6時半になり、選考委員・西上心太氏の講評からスタート。司会進行は長田衛幹事。
西上氏ご本人はスピーチは苦手だとおっしゃっていたが、そういう人ほどウィットに富んだスピーチをする。真面目な中にコネタを挟んで、私たちを飽きさせない。
そこに青野照市九段が見えた。あとで分かったのだが、西川慶二七段、上野裕和五段もいらしていた。
私も贈呈式にだいぶ参加しているが、これほど棋士が集まったのは初めてだ。将棋関係者も多く、これは棋士の集まりなのかと錯覚する。やはり米長永世棋聖、谷川九段の受賞が大きいと思う。
スピーチが終わって、表彰式。観戦記部門は激戦で、それゆえに大賞が出なかった。優秀賞が朝日新聞記者の佐藤圭司氏。
西上「今年じゃなければ大賞だったんだけど…」
佐藤「ええっ!?」
とかいうやりとりを交え、表彰式は粛々と進行していく。バックでは女性3人組によるピアノの演奏とコーラスが花を添えている。
続いて受賞者のスピーチ。
佐藤氏は、今回の受賞で、会社での自分を見る周りの目が少し変わった、とのこと。ペンクラブ大賞は権威があるのだ。
文芸部門大賞の米長永世棋聖は、「人間対コンピュータ」の今後について。来年も棋士とコンピュータの対戦があるが、棋士がコンピュータの強さを理解しないと、仮に棋士が10人出ても、10人負けるだろう、と大胆な予言をした。
同じく文芸部門大賞の橋本長道氏は、元奨励会員。いままでさまざまな苦労を重ねており、受賞のよろこびもひとしお。声にならない声が、それを端的に物語っていた。
村山六段「私はスピーチが苦手で…。(受賞作の「ゴキゲン中飛車の急所」に掛けて)『スピーチの急所』っていう本はありませんか」で爆笑を取っていた。
広瀬七段「タイトルが『勝局集』で、勝ち将棋ばかりで、ほかの棋士の皆さんに申し訳なかったんですけど…」で、これまた爆笑。
棋士はスピーチの名手ぞろいだ。
トリは谷川九段。その谷川九段がマイクを取り、ソソソと端へ移動したので、驚いた。
「米長会長はじめ、受賞の皆様方にお尻を向けて話すことはできませんので…」
私がきょう最も感動したのは、この一言だった。
谷川九段は文字どおり腰が低く、恐縮しきり、というふうだった。谷川九段は十七世名人の有資格者で、将棋界の大看板である。もっと堂々と振る舞っていいのだが、それを言ったらミもフタもないわけで、その謙虚な人柄に、ファンはしびれるのである。
ただその優しさが、現在の成績に反映されていないか。もっと図々しく立ち回れば、勝ち星も増えると思うのだが…。
谷川九段は詰将棋の創作中、盤上に駒を10枚置いたところを、何とか1枚減らせないかと考えて、1か月かかったこともあるという。
天才谷川九段にしてこの努力。私も現状で諦めず、さらに高みを目指して、精進しなければならない。
さらに谷川九段は、総評という感じで、ほかの5人に対しての所感を述べる。
佐藤氏は感激したようで、目頭を押さえた。
橋本氏は、井上慶太九段門下。したがって、谷川九段とは同門になる(正確には違う)。橋本氏もまた、こみあげてくるものがあったようだ。
ペンクラブ最年長氏の音頭で乾杯。しかし本当に、豪華な顔ぶれだ。
上野五段が佇んでいたので、声を掛けようと近寄ろう…としたら、鷲北繁房幹事に声を掛けられた。
「大沢さん以外に今回のレポートをお願いするとしたら、誰にする?」
「Kunさんでしょ」
私は右側を見た。Kun氏がビールを飲んでいる。
さっそく鷲北さんが、Kun氏に「交渉」する。しばらくやりとりがあったが交渉は成立したようで、Kun氏が私を見て、ニヤリと笑った。
「こんなことになるのなら、もっと早くからメモを取っておくべきでした」
レポートの類は会員の持ち回りで、誰もが経験するものである。しかし鷲北氏をはじめとする幹事は、のべつまくなし声を掛けているわけではない。「この人なら書ける」という確信のもと、交渉しているのである。そしてその目は、100パーセント正しい。
次号のKun氏のレポートが楽しみである。
さて、腹が減った。私は小皿にパスタを盛って元の位置に戻り、バクバク食べ始める。と、右から米長永世棋聖がやってきた。こ、これは、最大のチャンス到来か!?
(つづく)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私がいままで読んだ中で、ためになった棋書ベスト3

2012-09-21 00:10:23 | ランキング
私は将棋の書籍は滅多に買わないが、それでも数十冊は自宅にある。きょうはその中から、ためになった3冊を紹介しようと思う。

第1位「米長将棋勝局集」米長邦雄棋聖・王将・棋王著
講談社文庫。昭和59年発行。420円。

昭和51年に講談社から発行された、同名書籍の文庫版。「○○将棋勝局数」はシリーズ化されており、ほかに大山康晴十五世名人、升田幸三実力制第四代名人、中原誠十六世名人、内藤國雄九段が著している。冒頭にも書いたとおり、私は基本的に棋書は買わないが、本シリーズは廉価ということもあり、全冊購入した。
本書は、昭和43年から50年までの代表局11局を収めている。上記の棋士は20局近く収めているので、米長永世棋聖のそれはかなり少ない。しかしそのぶん1図面あたりの指し手が少ないので、将棋盤に並べなくても理解しやすい。これは「はしがき」で著者も触れているところである。
さらに本書は、文章自体が抜群に面白い。対局中の心理が詳細に記されているので、読者は楽しみながら、米長将棋の真髄を体得できるのである。
いまだったら、ライターが文章に起こしているんだろうな、と推察するところだが、いずれにしても本文には、米長永世棋聖の将棋観がいたるところに散りばめられている。当時は将棋も強く文章も面白い、米長永世棋聖の才能に舌を巻いたものだった。
「はしがき」では、「読者が電車の中でも、大駒一枚強くなる本である」と結んでいるが、これは大袈裟な表現ではない。
これからアマ初段を目指す棋客がいるならば、収録の将棋を繰り返し並べて、頭に叩き込むとよい。すぐに初段になれること請け合いである。
こんなに面白い本がわずか420円とは、本当に涙が出そうだった。

第2位「やさしい詰将棋」佐藤大五郎八段著
日本文芸社。昭和51年発行。新書版。650円。

昭和51年だったか52年だったか、家族でどこかへ出かけるときに、父に買ってもらった。もちろん選んだのは私だが、我ながらいい選択だったと思う。
本文は3手詰と5手詰がそれぞれ50題収録されていた。盤面はカラーだった。
移動中に解き始めたが、佐藤九段のヒントが丁寧で、解答意欲が沸いた。3手詰といっても侮れないが、解き進むうち、初手に大駒を捨てればよい、ということが分かり、スラスラ解けるようになった。
しかし5手詰になるとさすがに骨が折れ、時間がかかるようになった。その中で、どうしても解けない問題に出くわした。私はたまらずギブアップし、試しに父に聞いてみた。すると、3手目に玉方の金を取り、5手目にそれを打って詰ますのだった。相手の駒を取っていいの!?
「詰将棋は本将棋の指し手のルールに準ずる」を、私はこのとき学んだのだった。
帰宅するころには5手詰もあらかた解いていたが、ヒマを見ては再読し、詰手筋を頭に叩き込んだ。
というわけで、私の終盤力は、この本が根底にある。
あとで分かったことだが、佐藤九段は著書を35冊出しており、著作数は棋士で5指に入るほどだったという。

第3位「将棋の受け方」大山康晴名人著
池田書店。昭和41年発行。新書版。280円。

「大山名人の快勝シリーズ5部作」の第3弾として刊行された。私が購入したのは昭和53年ごろ。「快勝シリーズ」は何度か装丁(表紙デザイン)を変え、このころは竹林の表紙だった。定価は600円になっていた。
いまでもそうだが、「受け」主体の将棋本はあまりない。それがいまから46年も前に著されていたとは驚きである。そして数ある将棋書籍の中からこれを購入した私は、なかなかいいところに目を付けていた。
本書で大山十五世名人は、ただ受けるだけではダメで、反撃の受けを狙うべし、と繰り返し説く。
その中の一局面で、感心した手順がある。対原始中飛車で、後手が△5七銀と打ち込んだ局面。ここで▲6七金が絶妙の「かわしの受け」。以下△6八銀成▲同金上△5七銀に、▲5八歩がこれまたしっかりした受け。以下△6八銀成▲同玉で下手有利。ホレボレするような手順ではないか。
これは私のその後の実戦でもしばしば現われ、大いに勝ち星を稼がせていただいた。
本書も暇を見つけては精読した。池田書店発行の大山本は、定跡の類は参考にならないが、実戦解説は本当にためになった。いまとなっては、これもライターの手によるものと推察できるが、当時は本文すべてを大山十五世名人の金言として、深く胸に刻んだものだった。
私は自分の将棋を受け将棋だとは思わないが、受け将棋の植山悦行七段が、「私と棋風が似ている」というのは、このとき私が体得した「受けの力」が、根底に流れているからかもしれない。

というわけで上記3冊を探したのだが、「やさしい詰将棋」は裏の物置の奥深くに入っていて、取り出すことができなかった。「将棋の受け方」は見つかったが、その後古本屋で買った初版本は、これも段ボール箱の底に沈み、取り出すのを断念した。
また「米長将棋勝局集」も、部屋のどこかに紛れこんでしまった。いつか3冊とも引っ張り出して、再読しようと思っている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする