一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

「近代将棋」元編集長・永井英明氏を偲ぶ

2012-09-26 00:02:20 | 愛棋家
9月24日、「近代将棋」元編集長・永井英明氏が亡くなった。86歳。
「永井英明」といえば、「近代将棋」が代名詞である。昭和25年、英明氏が編集長となって、同誌を創刊。英明氏24歳のときだった。執筆陣には木村義雄名人、大山康晴八段らトップ棋士。すでに創刊されていた「将棋世界」とともに、この2誌は将棋専門誌のツートップとなる。どちらもためになったが、個人的には、硬派なツクリの「近代将棋」のほうが好きだった。
1980年代まで、「近代将棋」「将棋世界」は互角の勝負をしていたように思う。しかし「近代将棋」はその後、赤字将棋誌を引き受けたり、雑誌の判型を変えたりして、やや迷走を始める。
英明氏を語るうえでもうひとつ、NHK杯将棋トーナメントの司会を忘れてはならない。
英明氏は、NHK杯が50人制になった、昭和56年の第31回大会から登場。それまでNHK杯は、番組進行と将棋の聞き手は別々だったが、この回より統合。司会の重要度が各段に増した。
英明氏は、最初の2~3か月はオープニングでガチガチだったが、回を追うごとに固さも取れ、実に落ち着いた語り口になった。
「本業」の聞き手はお手のもの。英明氏は元奨励会員。その辺のアマチュアよりよほど強いのだが、それはおくびにも出さず、つねに初級者の視線に立って、棋士の解説を引き出していた。それゆえ視聴者の中には英明氏を、ただの将棋好きのおじさん、と見る向きもあったようだ。
英明氏が最も引き立ったのは、英明氏が敬愛する大山十五世名人の解説のときだった。
大山十五世名人は、自分で大盤の駒を動かさない。英明氏と視聴者の中間ぐらいのところに視線を合わせ、「4五歩、同歩、同桂、4四銀…」とやる。以前は、この解説に聞き手がついていけずまごまごする場面もあったが、英明氏は手馴れたもの。大山十五世名人の指し手に合わせ、テキパキと駒を動かした。その名コンビは、木村十四世名人と佐藤健伍六段のそれと双璧だった。
そんな英明氏が将棋を指すシーンを一度だけ観たことがある。NHKのお好み対局で、講師の引き継ぎの回だった。ペア将棋で、英明氏は青野照市八段と組んだ。青野八段、▲5五歩と仕掛け、後手ペア△同歩。ここで英明氏は▲5五同角。青野八段は▲4五歩と突いてほしかったふうだった。英明氏、指し手も中級者を演じていたようだ。
英明氏の司会は、10年続いた。これは異例の長さである。これも視聴者の強い支持の表れであった。
「近代将棋」は結局、平成20年、惜しまれつつ休刊になった。英明氏に心残りがあるとすれば、これであろう。執筆者や読者に迷惑を掛けたと、最晩年まで口にしていたようである。
「近代将棋」の父、永井英明アマ八段。
心よりご冥福をお祈りいたします。
コメント (7)
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