一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

名前の力

2009-09-25 01:12:26 | 旅行記・北海道編
23日(水・祝)は、釧路から「特急スーパーおおぞら6号」に乗り、10時03分、帯広で下車した。
帯広は、LPSAのホープ、渡部愛ツアー女子プロ(以下、プロと略す)の出身地だ。現在渡部プロは札幌在住だが、LPSA代表理事の出身地を訪れたからには、新人プロの出身地も訪れるのがスジというものだろう。
帯広駅は現在高架になっているが、10年以上前は、地上にレールが敷かれていた。高架化工事の際、構内の商店のバーゲンセールがあり、財布を3,000円で購入したことがある。ちなみにその財布は5~6年使ったので、じゅうぶんにモトは取った。
帯広で下車するのも久しぶりだが、段階的に行っていた駅前の再開発も何年か前に終わったようで、見違えるように綺麗になった。
しかしそれに伴い、失ったものも多い。昔は駅前のビルの一隅に、洋菓子専門店「柳月」があり、その喫茶コーナーでコーヒーとケーキのセットを食すのが定番であった。
そのビルは跡形もなくなった。代わりに新しいビルが建ったのだろうか。やはり駅前にあった2軒の古本屋も消えていた。バスセンターは当時「バスタッチ」という名称で、十勝バスが黄色い車体のバスを走らせていた。いまは場所を変え、建物も立派になっている。バスもラッピングされ、以前のイメージは一新されている。
書き遅れたが、「柳月」は、渡部プロの肉親がお勤めと聞いた。私は駅前の大通りをまっすぐ歩き、柳月本社に入る。しかし何も買わずにすぐ店を出、建物を写真に収める。周りからは、あのオッサン、なんであの建物を撮ってるんだ、というふうに映るだろうが、構わない。
帯広駅に戻り、「幸福駅」に向かうことにする。幸福駅は、かつて帯広から分岐していた国鉄広尾線にあった駅のひとつである。昭和49年ごろ、幸福駅と、その2つ手前にあった愛国駅とをペアにした「愛国→幸福行き」の記念切符が飛ぶように売れた。
しかしこの路線も、沿線の過疎化のあおりを受けて、昭和62年に廃線になった。現在はそのルートを十勝バスが走っている。
11時ちょうどのバスが、帯広駅前を発車する。廃線当時は「代替バス」という位置づけだったので、バスは廃線に沿った国道を忠実にトレースしていたが、いまはあちこち寄り道をする。それにしても大型スーパーが多くなった。廃線跡も何度か交差しているはずだが、新しいビルが建ったりすると、もう痕跡が分からない。
愛国駅前をすぎ、大正本町で数人の乗客が降りると、車内の客は私だけになった。
路線の廃止問題が起きると、地元の住民は反対する。しかし彼らが鉄道を利用しないことが、廃止理由のひとつにもなっているのだ。
幸福駅を前にして、バスの乗客が私ひとりでは、路線廃止もやむを得ないと思う。
バス停から500mほど離れた、旧幸福駅舎へ向かう。「幸福」は、「幸震(こうしん)」という地に、福井県からの移民が入植したから、両方の1字を取って「幸福」になった、と聞いたことがある。
幸福駅に着く。懐かしいが、ここもずいぶん整備されていて、驚く。以前訪れたときは、気動車が置かれている前後に、数十メートルの線路が残されていたが、いまは綺麗に剥がされ、土に還っている。
バスを利用したのは私ひとりだったが、ここはマイカーやバイクの旅行者が大勢いて、にぎやかだ。
ただのローカル線の何の変哲もない駅が、「幸福」という名前が付いたために駅舎だけが生き残り、いまも活況を呈している。
名前の力はおそろしいと思う。芸能人で、名前を変えて成功した人、失敗した人、例を挙げればキリがない。
女流棋士では、結婚しても姓を変えない人がいる。もちろん各人で理由があるのだろうが、名前の持つ力、イメージを変えたくない、という思いが主たる理由ではないだろうか。
たとえば中井広恵女流六段は「中井広恵」だからいいのであって、これが「植山広恵」だったら、ちょっとブランド力が落ちる。イメージがちょっとアレになる。
「泉忍」はいいと思う。ちょっとおしゃれで色気もあり、それでいて強そうな雰囲気がある。
相手の術中にはまってしまうが、駅舎前の売店で「愛国→幸福」の記念切符を買い、帯広へ戻る。ちなみに愛国駅で下車しなかったのは、愛国-幸福間のみ、バス料金がハネ上がるからだ。この区間のみ乗車をする観光客が多いから、そこだけ高い料金設定をするわけである。こうしたふざけたことをするから、乗客がいなくなる。
そういえば渡部プロは、愛国駅や幸福駅は訪れたことがあるのだろうか。地元に住んでいれば、一度や二度はあるだろう。愛国駅なんて、自分の名前の一部が入っているのだ……とここまで考えて、あっ!! と思った。
渡部プロが生まれたとき、広尾線はとっくに廃線になっていたのだ。それだけ私も齢を重ねてしまったということである。時の経つことの残酷さをあらためて思う。
帯広駅に着く。帯広始発の特急電車に乗り損ねてしまったので、市内で遅い昼食を摂ることにする。
駅の近くに、「ふじもり」という大衆レストランがある。ここは以前一度入ったことがあるが、店内は広く、お客もいっぱい入っていて、なにより店員がキビキビと働いていた印象がある。
私は同じ店を何度も利用する傾向があるので、今回も「ふじもり」に入ることにする。ドアを開ける前に、心の中で拍手を打つ。
店内に入ると、昼時を過ぎているにもかかわらず、そこそこのお客だった。店員も以前と同じく、キビキビと動いている。
昭和のころのデパートの、大衆食堂で働くウエイトレスさんを彷彿とさせる、黒と白の制服が妙に似合っている。「すし・そばセット」をオーダーすると、食前の飲み物として、ソーダ水をサービスしてくれた。
私の前のテーブルに、女子中学生の3人組がすわる。渡部プロも、このレストランには入ったことがあるのでは、と思った。
「すし・そばセット」が運ばれてくる。サラダや茶碗蒸しも付いて豪華で値段も手ごろで、私は大いに満足した。
満腹になって帯広駅に戻り、みどりの窓口で南千歳までの指定席を申し込むが、満席だと言われる。
そうか…私はまだ旅行を続けるが、大半の旅行者は、この日が連休の最終日なのだ。みな、釧路方面から新千歳空港や札幌へ向かうのだ。
14時53分、「特急スーパーおおぞら10号」が入線する。やむなく自由席車両に入るが、空席がある。
これはありがたい、と手近な席にすわり、あらためてドアのほうを見やると、「指定席」の文字が目に入る。
あれ? ここは…。自由席車両は、反対側だったのだ。私は恥ずかしさもあって、車内を駆け足で移動しようとする。と、グリーン車のデッキで、車内販売のお姉さんと鉢合わせになった。
「自由席がこっち側と間違えちゃいました。自由席のほうに行かなくちゃ」
私が慌てながら言うと、その綺麗なお姉さんは、
「ここにおられたほうがいいですよ。自由席の車両は満員ですから」
と、にっこり笑って言った。
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稚内→旭川→網走→北浜→釧路

2009-09-24 08:28:13 | 旅行記・北海道編
宗谷岬を15時08分に出発したバスは、定刻16時00分より4分早く、稚内バスターミナルへ到着した。あとは16時51分発の「特急スーパー宗谷4号」で、一路旭川へ向かうのみである。
頭がホンワカしたまま駅構内に入ると、観光案内所があった。
あっ!!
私は、そうだった!!、と案内所へ入り、係の女性に、ある観光名刺を渡した。
「これ、先日稚内の観光大使になられた中井広恵先生の名刺なんですけど、応募はここでいいんですか?」
私は慌てつつも、やや誇らしげに、そう言った。
稚内では今年の夏から来年の3月にかけてキャンペーンを行っており、将棋の世界では、稚内市出身の中井女流六段と中座真七段が、観光大使に任命されていた。私も中井女流六段から観光名刺を頂戴し、「ぜひ稚内に足をお運びください」と声を掛けていただいていたのだ。だから今回私が稚内まで足を延ばしたのは、中井女流六段の後押しもあった。
この観光名刺と引き換えに、日本最北端到着の記念品をいただける。同時にこれは地元の特産品(だったと思う)の抽選券も兼ねていて、月に1回、10名に当たる仕組みになっている。
大庭美樹女流初段にそっくりのその女性は、名刺を見るや、あらあ~!! と大仰に驚く。そんなにビックリすることでもないと思うが、大庭…いや、その女性は、
「私、観光大使の名刺で応募する人とお会いするの、初めてです!!」
と言う。聞けば、「大使」にも「観光大使」と「ふるさと大使」があって、「ふるさと」はわりと大量に行き渡っているが、「観光」は、出回っている数が少ないのだという。
女性はその名刺を傍らの応募箱に入れると、
「中井さんとはお知り合いなんですか?」
と訊いてくる。
「あ…はい、私東京に住んでるんですが、何度かお目にかかったことがあります」
「あらそうですか。じゃあショーギのほうも…」
「はあ、中井先生は教室を開いてらして、何度か教わったことがあります」
するとその女性は感激の体で、
「あらそうですか…じゃあねぇ、この名刺が抽選に当たるようにお祈りしておきますわ」
と言った。
観光案内所を出て、隣りの食堂でみそラーメンを食べたあと、表へ出て、日本最北端のレールを見に行く。
「ここが日本最北のレールです」の説明書きがある看板が設置されている。ここも隠れた人気スポットで、ライダーたちが代わる代わる記念写真を撮っている。
思えば遠くへ来たもんだ。
5月、JR最南端の終着駅である枕崎の地を踏んだとき、この先の地、沖縄へ行ってみたいと思った。
7月、沖縄・宮古島の地へ降りたとき、この先の地、八重山諸島へ行ってみたいと思った。
8月、八重山諸島を満喫し、次に機会があれば、今度は最北の地を再訪してみたい、と思った。
「願えば夢は叶うもの」と言ったのは林葉直子さんだったか。
私の夢なんてこんなちっぽけなものだが、私は無意識のうちに数ヶ月先の世界をタイムスリップして、その実現に向けて行動を起こしていたのかもしれない。
いま日本最北端の地を訪れてその夢が叶ったのに、私はなぜだか涙が出そうになった。

その夜は、旭川に行けば必ず立ち寄る寿司屋で舌鼓を打ち、宿を兼ねたネットカフェで強い衝撃を受けたあと、翌22日、「特急オホーツク1号」に乗って、網走方面へ向かった。
この特急が走る石北本線は歴史も古いが、いかんせん沿線に人が少ない。廃止になった駅もいくつかあって、列車のスピードも「特急」とは名ばかりののんびりムードだ。
遠軽(えんがる)で行き先の方向が変わるので、座席を回転させる。この遠軽は、駅の裏側にそびえる瞰望岩が有名で私も何度か登ったことがある。高校時代の悪友と北海道を旅行したときは、この頂上で将棋を指したものだ。
駅前にうまい蕎麦を食べさせる店があって、いつかあの味をまた堪能したい、と欲しているのだが、今回も時間の関係で下車できなかった。
網走に着く。いまさら網走監獄を見ても仕方ないので、昼食を摂ったあと、釧網本線に乗り換える。発車してから17分後、北浜駅で下車。ここはJRの駅の中で、オホーツク海を最も間近で眺められる駅として有名である。また駅舎はしゃれたレストランになっていて、クルマやバイクの人がよく利用している。
ホームに組まれている展望台に登る。ここ数年は冬の時期にしか訪れなかったので、景色は「白と流氷」のイメージしかなかった。いまはオホーツク海の波が、砂浜に大きく打ち寄せている。空はどんよりとした雲が一面で、風が強い。かなたに見える斜里岳にも雲にかかっていて、よく見えない。
とりあえず展望台を降りて、レストラン「停車場」へ入る。ここのマスターご夫婦は、雑誌に何度も登場し、鉄道マニアの間では有名すぎる存在だ。今日は奥様は不在で、夫婦と思しき男女が一緒に厨房で切り盛りしていた。
その女性、よく見ると中村桃子女流1級によく似ている。5月に下蒲刈島のある施設を訪れたときは、古河彩子女流二段によく似た女性がいたが、旅先で女性を見ると、無意識に女流棋士に当てはめてしまうのかもしれない。
香り高いコーヒーを味わったあと、再び展望台へ登る。「北浜」といえば、私の世代では、声優の北浜晴子を思い出してしまう。北浜晴子といえば、アメリカを代表するコメディードラマ、「奥さまは魔女」の主人公、サマンサの声で有名である。
そのサマンサを演じたエリザベス・モンゴメリーが、船戸陽子女流二段に似ている、とどこかで書いたことがある。
船戸女流二段には今回、言葉では言い表せないほど、わるいことをしてしまったと思う。以前も書いたが、船戸女流二段は、つねに周りに気を遣う、硝子のような、繊細な心の持ち主なのだ。
そんな船戸女流二段に私にできることは、悲しいけれど、何もない。ただ、指導対局に赴くだけである。
定刻に次の列車が入線し、乗車する。1両の列車だが、意外に人が多い。私は手前のロングシートにすわったが、知床斜里駅で何人か下車し、クロスシートが空いたので、そちらに移動する。
そこで改めて前方のロングシートの左隅に目をやる。私が北浜駅から乗車したときから気になっていた美人がいる。それにしても彼女、どこかで見たような…と記憶を呼び起こしていると、私がいま一番応援している、ある女優にそっくりなのだった。
あの抜群のスタイル、漆黒の髪、長い睫毛、すべてがそっくりだ。彼女が目を閉じて、眠る。その貌もまた、彼女を彷彿とさせる。
列車は湿原の中をゆっくりと走る。
陽も暮れて、漆黒の闇に包まれた中、列車は釧路の駅にゆっくりとすべりこんだ。
私は幣舞橋に足を延ばす。左右の欄干に、春夏秋冬、計4人の乙女の像が立っている。数年前に訪れたときは、だいぶ汚れが目立ったが、いまは綺麗に化粧直しがされている。ちなみに私は夏の乙女が好きだ。
何枚か写真に収めたあと、花時計のあるロータリーの右を抜けて、牛丼専門店の名前のような、大衆食堂に入る。
だいぶ昔、この先にある銭湯に行く途中にふらりと入り、みそラーメンを注文したら、これがことのほか美味かった。その美味さ、東京で出したら行列ができると確信したものだった。
店のオヤジさんは健在だった。数年前と同じく、みそラーメンを頼む。美味い。期待に違わぬ味に満足し、私はいま来た道を引き返す。
幣舞橋たもとの和菓子屋がなくなっていた。ここの和菓子も美味だった。傍に大きなリゾートホテルが建っている。廃業したのか、移転したのか。函館の天ぷら屋と同様、また私の馴染みの店が消えた。
末広町の歓楽街へ行く。このとあるビルの地下に、美味しいコーヒーを飲ませる店がある。釧路に行けば必ず立ち寄る喫茶店である。もう10回以上は足を運んでいる。
以前は品のいいママさんがコーヒーを淹れていた。前回(といっても数年前だが)は、ヒゲのマスターがカウンターにいた。おふたりの関係は分からない。
この店だけは健在でいてくれよ、と願う。ビルが見えてくる。看板の名前を見る。

「佛蘭西茶館」

あった…。無事でいてくれた。よかった…。
また涙が出そうになって、中へ入ると、カウンターにマスターがすわっていた。
ああ、数年前と変わらない。懐かしい。
私の指定席はカウンターの左から3番目だったが、今日はマスターがすわっていた。ほかに客は誰もいなかった。
私は奥のテーブル席に座る。これは初めてのことだ。定跡どおり、コーヒーとケーキをオーダーする。店内には60年代のアメリカンポップスが流れている。
コーヒーが運ばれてくる。
「ミルクはどうしますか」
「いただきます」
マスターが、「ミルク」を持ってくる。ここのミルクは変わっていて、ホイップされたクリームなのだ。これを入れなければ、「フランス・サカン」のコーヒーにならない。
ゆっくり流れる時間。
帰り際、前々から気になっていたことを訊いてみることにした。
「この店の名前の由来はなにかあるんですか?」
「いやいや、大した理由はないんですよ。ただね…」
私は次の言葉を待つ。
「フランソワーズ・サガンという作家がいましたでしょう。昔ですけどね。私、ファンだったもんで、あの名前に掛けてね…」
マスターはそう言うと、少しはにかみながら、ニコッと笑った。
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宗谷岬へ行く

2009-09-23 20:09:34 | 旅行記・北海道編
21日は、早暁5時30分ごろに札幌のネットカフェを出て、稚内へ向かう。
LPSA代表理事である中井広恵女流六段の生まれ故郷に参拝するためである。
稚内を訪れるのはもちろん初めてではない。学生時代に、幼馴染の悪友と北海道旅行をしたときに訪れたのが最初である。これは家族以外との、初めての旅行でもあった。
夜行列車に乗って早朝に稚内に着き、宗谷岬に向かうべくレンタカー屋へ行くと、ヒッピーみたいな格好をした男性がおり、3人で岬へ向かうことになった。この人が旅先の郵便局で貯金をする「旅行貯金」というものを教えてくれて、興味がわいた私は、その日に稚内郵便局で新しい通帳を作り、「725円」を貯金したのだった。
昭和61年7月25日のことだった。ちなみに、そのヒッピーみたいな格好をした男性とは、現在も年賀状のやりとりをしている。お互い変人同士、なにか通じるところがあったのかもしれない。
話を現在に戻すが、こんな早い時間にカフェを出たのは、前夜午後9時に入店したき、「ナイト12時間パック」で一夜を明かそうと目論んだのに、最長が「ナイト9時間パック」しかなかったからだ。まあそのままそこで時間を潰してもよかったのだが、9時間を過ぎて超過料金を取られるのはシャクなので、早々に店を出たわけである。私はヘンなところにケチなのである。
稚内へ向かう「特急スーパー宗谷1号」は、9時53分旭川発からの指定席しか取れなかったので、それまでに旭川へ着けばよい。
6時02分発の旭川行きの鈍行列車に乗る。車内で熟睡していると、「次は美唄。特急列車にお乗換えのかたは…」とのアナウンスがあり、ここでも咄嗟に降りることにする。
函館~旭川間は、函館本線の…、いやJR北海道のドル箱路線で、この区間は特急電車が頻繁に往来しているのだ。
8時13分に旭川へ着いたが、やることはある。例によって宿を決めていないので、朝のうちにめぼしいネットカフェを探すわけだ。翌22日は石北本線で網走方面へ向かうので、旭川で一夜を過ごすのに、都合がいいわけである。
居心地が良さそうな?ネットカフェを見つけたので、中を瞥見してから、市内をぶらぶらする。雰囲気の良さそうな喫茶店があったので中に入り、コーヒーを飲んで優雅な時間を過ごす。貧乏なのか金持ちなのか分からない行動である。
定刻の9時53分を1分ほど過ぎて、特急スーパー宗谷1号が入線する。この電車に乗ったことはあるが、ごく一部区間のみで、しかもデッキに立ったままだった。
今回初めて「特急宗谷」を味わうわけだが、なかなかいい座り心地である。
私はここ数年、冬の北海道ばかりを訪れていた。だからいつも雪景色で、緑豊かな北海道の大地を目にするのは久しぶりだった。
私が前夜稚内方面に近づかず、なるべく遠くから乗車したのも、この景色を観るためであった。
特急列車の冠をかぶっているが、どこかのんびりしたムードを漂わせながら、「スーパー宗谷」は、北の大地を快走する。
こうやって思い出すのは中井女流六段のことばかりである。
中井女流六段は、少女のときから林葉直子さんと鎬を削り、女流棋士の顔として、女流棋界を引っ張ってきた。そんな中井女流六段が幼少を過ごした稚内に、刻一刻と近づいているのだ。いままで何回も稚内を訪れて、そんな感慨に耽ったことなど、ただの一度もなかった。
車窓の左手に利尻島と礼文島が見え、幌延を過ぎると、稚内まであと一息だ。脳裏に、中井女流六段の優しい笑顔が浮かぶ。もし私が稚内を訪れたと知ったら、中井女流六段はどんな顔をするだろう。
定刻の13時28分を4分ほど過ぎて、スーパー宗谷は稚内に到着した。駅前の写真を1枚撮って、すぐにバス乗り場へ向かう。宗谷岬へ向かうためである。
この日は5連休の中日とあって人も多く、このバスも満員状態だった。しかし13時45分、定刻どおりに出発。
途中、「声問(こえとい)」というバス停を通過する。ここはかつて国鉄天北線が通じていたが、平成元年4月に廃線になった。
中井女流六段も、この路線に乗ったことがあるのだろうか。もちろん、あるのだろう。
私はかつて稚内から声問まで乗り、ここから宗谷岬行きのバスに乗り換えたことがある。エビ茶色の「キハ」は、浜頓別方面へ向けて、のろのろと去っていった。
あのとき宗谷岬などへは行かず、天北線に乗り続けていればよかったと思う。いったん廃止になった路線は復活しない。いつでも見られる宗谷岬からの景色など後回しにして、天北線を味わうべきだった。
定刻を1分過ぎて、14時32分、バスは宗谷岬バス停に到着した。岬の突端には、「日本最北端の地」と彫られた碑がある。マイカーで来た旅行者が、順番に記念写真を撮ってゆく。ここは絶対に、中井女流六段も訪れたことがあるだろう。女流棋士が訪れた地を、自分も踏む。すこし誇らしい気分になる。
私はヒトにシャッターを押してもらうのが好きではないし、ひねくれているので、最北端の碑のうしろに回る。ここが正真正銘、日本の最北端である。いま自分が日本のいちばんてっぺんにいることを自覚させてくれる場所だ。
しかし同じことを考えている旅行者は何人もいて、ここにもヒトがいっぱいいる。
私は辛抱強く人がいなくなるのを待ち、数分後、「日本最北端の地」で、40キロ先に見えるサハリンを写真に収めた。
振り返ると、「最北端」の文字があちこちに見える。
「最北端の宿」「最北端の食堂」「最北端の店」など、さまざまだ。
もう、なんでもかんでも「最北端」である。それならば、あそこにある公衆便所は「日本最北端の公衆便所」ということになる。あそこのガソリンスタンドも、ジュースの自動販売機も、なにからなにまで「最北端」である。
「日本最北端の公衆便所」に入って放尿すれば、日本のてっぺんでナニをした感じになって、さぞかし爽快であろう。こんなことなら溜めておくんだった。
小高い丘にある商店に入る。ここでも「日本最北端」のオンパレードである。日本最北端到着証明書の販売をはじめとして、「日本最北端の御守」、「日本最北端のお線香」なんてものまである。
そのとき、私はとんでもないものを見つけた。ジュースケースの中に、190ml入りの、瓶コカコーラがあったのだ!!
ケースの表には、「懐かしの190ml瓶コーラ!!」の吹き出しが貼ってある。あ、ああ…190ml瓶コーラといえば、船戸陽子女流二段である。いやいやいやいや…さすがに今回は中井女流六段一色で、ほかの女流棋士の出る幕はないだろうと思っていたが、またもや船戸女流二段の登場である。
私は震える手でケースから瓶を取り、105円を支払う。
「瓶を返してくれれば、10円返金しますから」と、店のおじさん。
「いえ、持って帰ります」と私。
「あ、そ」と、おじさんは一瞬イヤな顔をしたように見えた。
コーラが飲みたければ、120円を出して350mln缶を買えばよい。それをわざわざ瓶を買うということは、瓶を持ち帰ることを意味する。たぶん、私のようなケースが多いのだろう。
おじさんに栓を開けてもらい、店の外に出て、ドキドキしながら、一口飲む。
なんでこんなに動悸が激しいのだろう。
ごくふつうの、どこにでもある炭酸飲料を飲んで興奮する、一人旅のおっさん――。
これはどう考えても変態であろう。
私はコーラをじっくりと味わいながら飲み干すと、日本で2番目に北にある公衆便所でその瓶を洗い、旅行カバンの中に、丁寧に押し込んだ。
折りよく稚内駅行きのバスが来る。もう私の頭の中からは中井女流六段のことは消し飛び、船戸女流二段のことばかりを考えていた。
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釜めしをよそってもらう女流棋士は誰がいいか

2009-09-22 00:40:21 | 旅行記・北海道編
北海道旅行初日の19日(土)は、昼すぎに家を出て、東北新幹線と津軽海峡線を乗り継ぎ、函館に入った。ここ数年は新千歳空港からの北海道入りばかりだったから、このルートでの北海道入りは久しぶりだ。しかし函館駅前の雰囲気が変わっており、あ然とした。
定跡どおり函館山に登り、夜景を観賞する。しかしどことなく、景色が「硬い」感じがした。その正体は、下山して駅まで歩く道すがらで分かった。
ビルがやたら多くなったのだ。ロープウェイ入口の十字街電停から駅前まで、高いビルが林立している。この光がタテに伸び、「点」から「線」になったため、硬い印象を受けたらしい。
数年前に訪れたときに入った天麩羅屋は店を閉め、空き家になっていた。これは函館に限らず、各地で経験していることだ。旅行をしていて、さみしさを実感する瞬間である。

20日(日)は、駅前の朝市をぶらぶらしたあと、特急スーパー北斗3号に乗り、一路札幌に向かう。今回の旅行は実質丸6日である。北海道は札幌から先がよい。一刻も早く札幌入りしたい。
前日に夜更かしをしたので、車内で熟睡する。と、隣の席の男性に脚が触れたようで、起きた。そのとたん、「次は洞爺」と車内アナウンスがあり、「あ」と、下車することにした。
カンタンに旅程を変更する――。ここがひとり旅の最大の利点である。
実は18日(金)の将棋ペンクラブ大賞贈呈式のとき、船戸陽子女流二段から、洞爺湖にある某有名ホテルの食事が美味しい、という情報をもらっていたのだ。
その日の深夜帰宅した私は、早速そのホテルを調べたのだが、ランチを提供する日が決まっているうえ、その値段が私の想像をはるかに超えていた。
しかし、夜の楽しみの「コーヒーとケーキのセット」を昼にまわすのも悪くはない。船戸女流二段がせっかく勧めてくれたのである。ホテルの雰囲気だけ味わっていくのもいいではないか。それで、急遽洞爺で下車することにしたのだ。
駅前から路線バスに乗って洞爺湖温泉に着く。しかし、目指すホテルが見当たらない。怪訝に思い、近くのホテルで訊いてみると、そこはここから自動車で15分もかかる丘の上にあるという。しかもバス路線もないという。
旅では公共交通機関しか使わない、というのが私のポリシーなので、そのホテルはあっさりパスし、昼近くになったので、とある釜めし屋に入る。
私が食堂に入る基準のひとつに、「表の看板に、メニューの値段が記載されているか否か」がある。潔く「見積もり」を提示している店に、優先的に入るわけだ。
まだ旅行の序盤なので、いちばん高い釜めしを注文し、それが運ばれてきた。しかし釜めしというのは、自分で茶碗にご飯をつぐのはわびしいものである。
いつだったか、北海道の南東にある標津の焼肉店で、ランチの焼肉定食を注文し、生肉をひとりでジュージュー焼いたときも、虚しいものがあった。
それはさておき、では私のファンランキング3強の中で、釜めしをよそう姿がぴったりハマっているのは誰かと考えてみたら、真っ先に浮かんだのが中倉宏美女流二段であった。
やはりあの和風の顔だちは、和食にあう。
ちなみに船戸女流二段は、ローストビーフを切り分けて、デミグラスソースをかける姿がよく似合う。山口恵梨子女流1級は、ファミレスで「パッションジュースもってきたよー」と言う姿が似合いそうな気がする。
釜めしは美味だった。腹もくちて、温泉に入ることにする。あるホテルの立ち寄り湯に行くと、石高澄恵女流二段にそっくりな姐さんが、「券はお持ちですか?」と言う。
聞けば、今日は洞爺湖を半周(1周)するツーデーマーチという催しがあり、その参加者のために温泉を開放しているのだった。ただ一般客も入れそうなので壱万円札を出すと、おつりがないという。しかしこちらも帰りのバス代のため、もう小銭は使えない。
するとその姐さんが笑いながら、どうぞ、と手を横に出す。こっそり入れてあげます、というわけだ。その心意気に恐れ入った私は、小銭をかき集め、もちろん有料で、昼間の温泉を満喫したのだった。
しかし帰りのバスはかようなわけで、ツーデーマーチとやらに参加した年配の方々で満員となった。添乗員のように場を仕切っている方がいたから、てっきり貸切バスに乗るものと思っていたが、違った。この人、私が恐れるタイプの、ただのおしゃべり好きのオッサンだったのだ。
バスの中では、みんなが歩き疲れてゲンナリしているのに、オッサンはひとりでしゃべりまくる。聞きたくなくても自然と声が入ってきてしまうのだが、この人、相当各地を旅行しているようで、あちこちの地名が出る。しかしそんなもの、他人が聞いたっておもしろくもなんともないのだ。ただこのオッサン、ひとつだけいいことを言った。
「オトコが美味いと言ったものは、たいてい美味い」
異論はもちろんあろうが、男性はお世辞を言わない。だからオトコが美味いと言ったら、美味いのだ。ともあれその一言で、私はこのオッサンのおしゃべりを容認した。
けっきょく札幌には15時43分に着いた。その足で、今度は16時20分発の札沼線(学園都市線)に乗る。この線、途中の北海道医療大学駅までは頻繁に列車が出ているのだが、その先は完全なローカル線で、終点の新十津川駅は1日3本の発着という、完全なローカル線と化す。
いまでは少なくなった、文字どおりのローカル線であるこの路線が私は好きで、北海道に来て、時間に余裕があれば乗ることにしているのだ。
北海道医療大学駅のひとつ前の石狩当別駅で列車を乗り換え、18時56分、終点の新十津川駅に着いた。乗客は私を含めて4名。全員が鉄道マニアであった。
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18日の「将棋ペンクラブ大賞・贈呈式」(後編)

2009-09-21 00:33:25 | 将棋ペンクラブ
幹事指定の居酒屋へ入ると、大きなテーブルがタテにふたつ並んでおり、その右奥に、児童文学作家の川北亮次さん、湯川博士統括幹事がすわっていた。意外なことに、ほかには誰もいなかった。怪訝に思って振り向くと、うしろに控えている会員らは、尻込み?してか、誰も席につこうとしない。いつの間にか、私からすわる形になっていた。
ここは左のテーブルに着くのが得策ではある。しかしそれでは、湯川幹事をあからさまに避けることにならないか。
私は意を決して、湯川幹事の左隣りの席にすわった。このテーブルにだって、船戸陽子女流二段が来る可能性はある。渾身の勝負手であった。
しかし現実は厳しかった。こちらの席にはたちまちヘビーな面子が集まり、向こう側の席には、ライトな面々が集結してしまったからだ。
これはいま思い起こしても不愉快なのだが、このときの駒の配置…じゃなかった、参加者の配置をここに記す。

1八・湯川幹事、2九・私、3九・三遊亭とん楽さん、4九・窪田義行六段…
1七・川北さん、2六・石橋ママ、3六・湯川恵子さん、4六・アカシヤ書店・星野譲さん、5六・三上幹事…
向こう側のテーブルには、1四・森充弘さん、2四・船戸女流二段、3四・後藤元気さん…
1二・石橋幸緒女流王位、2二・不明、3二・T口氏…
そして入口に近い丸テーブルには、幹事のA氏とH氏、バトルロイヤル風間さん、岡本三三さんらがすわっていた。

なんなのだこの配置は…!! 私の側のテーブルに、重鎮が集まりすぎているのだ。重い…。重すぎる。
どうも同じことを感じた会員もいたようで、この配置はあんまりだ、船戸女流二段と一公を同じテーブルにしろ、という声が出て、T口氏と私の席を交換しよう、となった。それで私も腰を浮かしかけたが、T口氏があの細い目で、何かを訴えかけるように私を見るのだ。
(勘弁してくださいよ…)という無言の声を聞いた私は、再びそこへ腰を下ろすしかないのだった。
まあ船戸女流二段の席のことはよい。横にペンクラブ観戦記大賞の後藤さん、文芸部門優秀賞の森さんがすわったのだから、これは正しい配置である。
しかしこちらのテーブルの重量感、以前もどこかで感じたような…と考えたら、5月の将棋ペンクラブ関東交流会の二次会が、ちょうどこんな感じだった。
まわりを見渡すと私のほうも、湯川幹事としかまともに話をしたことがない。また湯川幹事も、ほかのメンバーとは旧知の間柄なので、いまさら話すことも無い。結果、湯川幹事が私を相手にいろいろと話をぶちまけることになった。
これがまた凄まじいオフレコ話のオンパレードで、いくら鈍感な私でも、とてもここには書けない。
「オレぁ、ギャラをもらう仕事は受けねぇんだ。だけどタダならやる!」
とか言っている。この発言だってかなりアブナイのだが、もう、このくらいしか載せることができないのである。
私も「はあ、はあ、ごもっともです」と相槌を打ち続けるしかない。あちらの席を窺うと、後藤さん、船戸女流二段、森さんが、いい雰囲気で話をしている。
こちらはというと、湯川幹事の弁舌は冴えまくり、そのマシンガントークは留まるところをしらない。私の席は「2九」なので、脱出もできない。ただ、収入の話になり、湯川幹事の年収に応えて、私が自分の手取り額を言ったときだけ、一瞬湯川幹事の動きが止まったような気がした。あまりにも私の月給が少なかったからだ。
しかしその後も湯川幹事の話は続く。
「とにかくね、キミはほかの女流の話を書きなさい!」
そう言われても、一将棋ファンに、そんなに書けるネタがあるはずもない。それでなくても私はこれまでに、LPSA設立イベントや1dayトーナメントのレポート、マイナビ挑戦者決定戦の観戦記など、船戸女流二段以外の話題も書いているのだ。
ただ以前も記したように、「ギャラの発生しない依頼は拒否しづらい」のだ。この逆説は、1円のお金も入らないのに、多くの人がこまめにブログを更新していることからも解る。まあ私も、「将棋ペン倶楽部」掲載用のネタはいくつか温めてあるが、さすがに女流ネタ、というか「船戸ネタ」は切れた。そうだ、いままで何回も「出演」いただいた船戸女流二段には、ここであらためて御礼を申し上げたい。
さて、なんだかんだ言っても湯川幹事の話はおもしろく、あっという間にお開きの時間となった。
しかし私も、このまま家へ帰れない気分である。本当は早く帰宅して、宿の手配をするなり、着替えの用意をするなり、やることがいっぱいあるのだが、なにかスッキリしない。
そこで私は幹事のA氏とH氏を強引に誘い。新宿へ流れたのだった。ここでは3人(私だけが?)とも、言いたいことを好きずきにブチまけて爆笑の連続だったのだが、その内容は書かないんだもんね。
オ・ワ・リ
コメント (5)
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