この日、所沢方面に出かけました。
ゴルフではなく、昔の体験をお聞きしようと88歳になられる方を
お訪ねしました。
その方の昭和18、19、20年の体験です。

これは、『 キ67 四式重爆撃機「飛龍」』と言います。
問題というのか、なに考えていたのだろうか、となるのですが、
この機種で“特攻”を行おうと発想した人たちがいたんです。
特別攻撃専用型
フィリピンの戦いに際し、海軍の特別攻撃隊の戦果に触発された陸軍でも特別攻撃隊の編成が決定された。
陸軍では破壊力を高めようと、搭載力の大きな本機を原型とした特別攻撃専用機を開発することにした。
そのひとつがト号機と呼ばれた800Kg爆弾2発を内蔵した機体である。機首・背部銃座を金属整形し、
乗員数を2~3名に減らした。起爆用に、機首から信管が延長された。この機体を装備した特攻隊は
「冨嶽隊」と呼ばれて実戦投入されたが、戦果は確認されていない。
どう思われました。
機体が大きくなれば、特攻の成功確率は致命的に低くなる。
爆弾を大きくすれば、大きな艦船も1機で足りるという発想なのだろう。
現在の時点で、諸々の事情、歴史などを知っている、わたくしは暗澹たる
気持ちになりました。
もうひとつが桜弾機(キ167)である。
「桜弾」とは、本機専用の直径1.6m、重さ2.9tの対艦用大型爆弾(モンロー効果を意図した成型炸薬弾)である。
あまりに大型なため、そのままでは機体内部に収納しきれず、機体上部が膨らんだ形状に改造されている。
爆発威力は「前方3 km、後方300 mが吹き飛ぶ」と称されていたという。
大型爆弾搭載のため重量軽減が図られ、防御火器は撤去しており、燃料も片道分に減らした状態で運用された
という。乗員も4人に減らされている。しかし、それでも機体は重すぎて運動性の低下などが著しく、
熟練操縦者も減少していることから、本機での特攻攻撃は困難であるとの指摘が陸軍省内部からも生じていた。
完成したさくら弾機は飛行第62戦隊に配備され、沖縄戦に実戦投入し1945年(昭和20年)4月17日に
初出撃するも行方不明となる。その後、太刀洗飛行場から何度かの特攻作戦に出撃したが、
こちらも戦果は確認されていない。
「桜弾」は、“さくらだん”という。
「機体上部が膨らんだ形状」を別のことばで88歳の方は呼んでおりましたが、
ここでは掲載できません。
写真は残っていないのか、お聞きすると同行者が答えました。
「2枚ほどあるんだ」。
“88歳の方”には、ここでは触れません。悪しからず、です。
近くの所沢航空発祥記念館で、企画展「堀越二郎の生涯」を9月までやって
いるという。
最寄り駅は西武新宿線「航空公園」です。
わたくしは、この時、百田尚樹さんの「永遠のゼロ・0」を携帯していました。
帰宅して、宮崎駿監督の「風立ちぬ」のPRを見て、堀越二郎さんの半生を描いていると
知りました。

昭和37年、開発チーム。真ん中が堀越氏だそうです。
つづく。