いいしらせのグッドニュース[パート・Ⅱ]

グッドなテーマを、グッド・テイストでお伝えします。

宇宙輸送船「シグナス」を載せた無人ロケット「アンタレス」が爆発。米ロが絡む。    10.31.

2014-10-31 16:20:36 | Weblog

       民間企業のオービタル・サイエンシズ社(中堅だそうです)は、「破滅的な失敗だ」という。
       搭載されていた千葉工大の流星観測カメラ「メテオ」もポシャッて「1年もかけて…」などという。
       セコイ、セコイ、である。
       リスクありは、前提でしょうに。


       



    アメリカの企業「オービタル・サイエンシズ」社が開発したロケット、「アンタレス」は、
    宇宙輸送船「シグナス」を載せて、28日午後6時22分すぎ(日本時間の29日午前7時22分すぎ)、
    アメリカ南部バージニア州にあるNASAのワロップス飛行施設から打ち上げられた。
    しかし、打ち上げられ上昇したあと、突然、下降し始め、その後、爆発した。
    (エンジン点火から10~12秒後に異常が起き(6秒後の見解もあり)、20秒後に安全のためロケットを
    指令破壊した、ということらしい)。
    原因は今のところ分かっていない。NASAによるとけが人などはいないということです。
    「シグナス」が物資を運ぶために打ち上げられたのは4回目だそうです。



       
       



       「米ロ絡み」とは、NASAのスペースシャトルなき後、宇宙ステーションへの飛行士の
       輸送はロシアのソユーズ宇宙船に頼るしかなく、物資輸送を民間に依存している。
       もうひとつ、「アンタレス」の一段目の主エンジンはかつてのソ連製らしい。
       (某新聞では、「一段目の下部には、旧ソ連時代に開発されたエンジンを米企業が改造した
       主エンジンが二基据え付けてある」とありました)
       民間企業のオービタル社の問題なんでしょうが、「最初の爆発は主エンジン付近で起きた
       ように見える」「主エンジンにトラブルがあった可能性が指摘されるが、何が起きたか
       分かるには1~2週間かかる」というんです。
       旧ソ連のエンジンが悪いんだという、口ぶりでありますね。


       ま、しかし、“米ロ”はさまざまなレベルで交流がなされていることがわかります。
       そういう時代になっているのですね。






“若造には負けん!” とブルース・ウィリスさんは言ったかどうか。 映画『RED/レッド』2010年。    10.28.

2014-10-28 18:36:23 | Weblog

       「“若造には負けん!”とばかりに老体にムチを打ち過激なアクションに挑む姿に胸が熱くなる 」
       ですって。ここ数年のアクション映画は、ほぼみんなそうです。
       アクション・スターさん達が、みなさん、否応なく歳をとられていらっしゃるわけですから。
       それと、「5分ごとに大スターが登場!」ですって。これもそう。
       老人ホーム(失礼)みたいに往年のおじさん(おじいさん)がどんどん出ていらっしゃる。
       つい最近見たこの映画の場合、


       
       


       アーネスト・ボーグナインさんです。懐かしい。
       役柄がなんだったかは忘れました。こちらもそうなのかな。
       ボーグナインさんは2012年7月8日に95歳で亡くなられていました。
       映画は2011年1月公開ですから、2010年の撮影だったのでしょうか。


       


       こちらは、モーガン・フリーマンさんです。かなり以前から老人イメージがありますね。
       77歳です。ご健在が嬉しい。


    『RED/レッド』2010年。オマージュ・コミックから出版された同名のグラフィックノベルが原作。
    タイトルは「Retired Extremely Dangerous」(引退した超危険人物)の略。
    ブルース・ウィリス、モーガン・フリーマンらが引退したCIAエージェントに扮し、
    彼らを抹殺しようとする巨大な陰謀の黒幕を追い詰めていく姿を描く痛快アクション。


       ということですが、
       映画自体が「引退した年金生活者」を描いているわけです。
       ちなみに、ブルース・ウィリスさんは59歳。


       

       オモシロかったですよ。
       右の女性も元CIAエージェントでバンバン撃ちまくります。名前わかりません。いいキャラでした。


       
       

       ジョン・マルコヴィッチさんです。彼も元CIAエージェントでした。
       あの偏執ぶりは相変わらず。マルコヴィッチ、60歳。


       
       

       リチャード・ドレイファスさんです。彼は悪役側でした。
       「未知との遭遇」をよく憶えています。あちらでは、どんな感じなんでしょう。66歳。


       シルヴェスター・スタローンの『エクスペンダブルズ』シリーズのことを書きましたが、
       『エクスペンダブルズ3 ワールドミッション』はまさに、こういうことです。
       若い目のアクション・スターがたしかに見当たらないですね。





九六式艦上戦闘機  吉村昭さんの「零式戦闘機」を再度読んで。    10.26.

2014-10-26 12:21:35 | Weblog

       
    「子供のころ96艦戦は零戦に比較して、オープンコクピット、固定脚、丸い尾翼にカウルなど、
    どことなく精悍さに欠けていてあまり好きな機種ではありませんでした。
    飛行機の事がわかる年代になり、96艦戦が日本の航空技術史を語る上で欠くことのできない
    機種であること、零戦と同じ堀越技師の作品であること、その後の日本戦闘機の運動性の
    考え方の土台を築いた事などを知り、認識を新たにしたものです」。


       


       上記の感想は、かなり大勢の「飛行機好き」に共通した認識だと思われ
       ます。
       わたくしもそれに近く、もっと言えば無視に近かったのではないでしょうか。


    設計に際し高速と空戦時の運動性に重点が置かれ、空気力学的洗練と重量軽減が追求された。
    堀越技師によれば、後の零式艦上戦闘機よりも快心の作であったと言う。


       
       三菱96式4号艦上戦闘機 A5M4
 


       「堀越技師によれば、後の零式艦上戦闘機よりも快心の作であったと言う」
       この堀越氏の発言にたいへん驚きましたが、 
       わたくし、このシルエットにも驚いてしまいました。
       日本では“ゼロ戦”に代表されるようなデザイン性を超えるものがない
       のではないか、と思っていました。
       まさに、ズゥーッと思っていて、それは他の領域にまで影響しておりました。
       九六艦戦の初飛行は昭和10年(1935年)です。
       昭和10年度の次期戦闘機競作審査に応募した、各社の試作機を見てください。
       三菱の「キ33」。中島の「キ27」。中島の「キ12」(フランス人技師が設計している)。
       この順序です。


       
       
       


       いかがでしょう。
       こんなようなシルエットの時期だったんでしょうか。
       日本の航空機が、まだまだ一人立ちできていない状況で、海外の模倣が多く、
       性能面も明らかな差がありました。
       が、『九六式艦上戦闘機』が突然、それを乗り越えてしまったわけです。
       日本海軍初の近代的金属製単葉戦闘機であり、日華事変で、中国空軍の欧・米製
       複葉機群を圧倒し、実証してしまいます。
       それは、昭和15年夏に零戦が就役するまで、大陸の空を支配し続けることと
       なります。


       
       昭和13年2月頃、中国・南京近郊、大校場基地の九六式二号一型艦戦。
       
       昭和14年、東シナ海上空の九六式四号艦戦。この型が主力生産型で、
       生産数の7割近くを占める。
       
       九六式四号艦戦を複座化した二式練習戦闘機。就役し始めた昭和18年には
       零戦二一型がまわされてきて、わずか20機の生産で打ち切られた。



       

       
       “九六式艦戦”の写真は、少ないようです。
       わたくしの愛蔵写真集には、この見開き2ページ5点しか載っていません。
       零戦の写真は、それはそれは豊かであります。
       

       中国大陸での輝かしい実績のあと、太平洋の戦線で“九六式艦戦”は
       ほとんど出番がありません。
       “零戦”の時代にすでになっていたわけです。
       “零戦”へと飛躍するための“九六式艦戦”であったわけです。


       本の再読は新しい発見の連続ですね。
       ここまでわたくしを“九六式艦戦”に引きつけました。





“ 高島礼子さま ”     10.25.

2014-10-25 18:50:36 | Weblog

       この21日の深夜(10月22日1時)、お会いしました。



       


       お久しぶりです。
       礼子さまは1964年生まれでいらっしゃる。
       こんなにカジュアルな格好でなにをしているのかというと、


       
       


       大化の改新あたりの時代を訪ねていらっしゃる。
       なぜかというと、その時代の斉明天皇の遺跡を探していたんです。


       


       なぜなら、斉明天皇を演じていたからなんですね。



       


       このころは、33歳前後だったようです。
       男子はみんな、憧れていましたよね。





気に入っている“家・そのデザイン”    2014.10.25.

2014-10-25 14:23:13 | Weblog

       



       バス通りに面したこの家、“ある時期”を想い出させます。
       “昭和”のある時期ということになりますが、わたくしには、昭和という括り
       はかならずしも強くありません。
       “デザイン性”とでも言うべきものへの思い入れです。
       戦後の物資が乏しい時期の仕方のない工夫から出来上がったデザインですね。

       このところ気に入っている“建物”があります。



       
       
       



       デザイン過多と思われるかも知れませんが、この4、5年気に入っています。
       手前の堤防が一段高くなっているので、見える黒い部分は3階です。
       半分白い部分は2階で、3つ目の側面の写真に1階部分が写っています。

       気に入っている1番の要素(デザイン)は、
       コンクリート造りの下部があって、その上に木造の部分がある、それも黒いひかえ目の
       造りになっている。
       ということなんですが、残念ながら黒い壁面は“木造”ではありません。
       こういう最近の素材が気に入りません。
       しかし、基本構成を気に入っています。



       
       
       



       反対側です。1階部分の玄関ですね。
       一車線の一方通行の路地ですから、このような角度の写真になります。
       かなり、豊かな造りだと思います。
       おそらく二世帯か、三世帯の住宅でしょうか。
       この面を上から見ると、



       


       こうなります。
       この豪華さに興味があるのではなく、デザイン性の豊かさを気に入っている
       です。

       いかがでしょうか。





アクション・スターの老後をシルベスター・スタローンが面倒みる。    10.23.

2014-10-23 18:51:28 | Weblog

       『エクスペンダブルズ』(The Expendables)、シルヴェスター・スタローン監督。
       2010年公開。R15+指定。タイトルは「消耗品」を意味する。
       続編『エクスペンダブルズ2』2012年公開。
       『エクスペンダブルズ3 ワールドミッション』がこの11月1日大公開!
       ということです。


       
       
        バーニー・ロス率いる傭兵部隊「エクスペンダブルズ」の皆さん。


       きのう、きょうで『1』と『2』を観ました。

       シルベスター・スタローン、68歳 。
       アーノルド・シュワルツェネッガー、67歳。
       このお歳と、その皆さんはアクションもので主役を張っていた(いる)方ばかり
       なんですよ。


       


       ブルース・ウィリスさんは、まだ59歳です。
       それぞれの方々にスタローンさんは、かなり気を使っていらっしゃる。


       


       かつての映画を想い出します。
       アクションの工夫とスピードが加わっていますけどね。
       それと、
       
       悪役も、贅沢 …、


       


       ジャン=クロード・ヴァン・ダム、54歳。       


       


       この方には、ハッとして嬉しかった。
       知ってますよね。
       チャック・ノリスさんです。74歳ですよ。


       スタローンという人はやはり・やっぱり昔からのプロデューサー・タイプですね。
       ブラッド・ピットさんみたいなタイプは内容をひたすら追求しているようです。
       近々の戦車の映画『フューリー』がいいらしい。





長門型戦艦「 長門 」  吉村昭さんの「陸奥爆沈」を読んで。    10.22.

2014-10-22 09:44:36 | Weblog

       「日本の戦艦で一番かっこいいのは戦艦長門だよな」などとブログで
       叫んでいるヒトもいました。
       陸奥の艦影を確認したいと思いました。
       これは「長門」ですが、全く同じだと思われます。


       
        これは、当時の絵葉書のようです。


       
        新造時の長門。大正九年十月二十七日、宿毛湾外にて公試中の撮影とされています。


       
        戦前の昭和初期を代表する、曲がり煙突時代の長門です。この改造は大正十四年に完成しています。
        このカタチが親しまれていたようです。
        改装、大改装が行われているので、三つの艦影・シルエットがありますね。


       
        近代戦に対応すべく、大改装されて一本煙突になった長門です。大改装は昭和十一年に完成。


       
        昭和19年10月、ブルネイでの「長門」。後方に「最上」、「武蔵」「大和」が見える。
        とあります。大和型の艦橋艦影は確認できます。


    完成後に連合艦隊旗艦となり、その任を「陸奥」と交代で務めた。第二次世界大戦後に有名になった
    大和型戦艦「大和」「武蔵」が戦中は存在そのものが極秘だったこともあり、戦前と戦中には
    長門・陸奥こそが日本海軍を代表する戦艦として国民から親しまれている。

       だから、「日本海軍のフラッグシップは一般国民にとっては、最後まで「長門型」な訳です」。
       吉村さんの「陸奥爆沈」で、火薬庫爆発による沈没を最もきびしい「軍機」扱いとする
       経緯が記述されています。
       その徹底ぶりのスゴさは想像を越えておりました。
       艦長夫人でさえ、沈没と殉職を知らされたのは七ヶ月経過してからです。
       しかし、沈没の事実は隠蔽され続けます。
       「作戦中、西方海上ニ於テ殉職セリ」と1121名の乗員遺族に殉職の公報が発送されたのは、
       九ヶ月後のことです。「柱島泊地での爆沈」は無論伏せられています。


       長門・陸奥についても、「陸奥爆沈」についても、これ以上触れません。
       なぜ今、「陸奥爆沈」を読んだのかは、一時期吉村さんにのめり込みかなりの分量を
       購入し、読みました。その一冊が目にとまり、おそらく二回目であったようですが、
       読んでしまいました。
       吉村さんの取材の緻密さ、徹底さに敬服します。男っぽい、小気味良さが、心地よく
       感じられます。
       誤解されますが、吉村さんは戦争、軍備、メカニズムに関心・興味はないとおっしゃっていられる。
       なぜ、陸奥ではなく、長門の艦影にしたのか、爆沈という事実を避けたかったからです。
       わたくしは、最近急激に「ゼロ戦」にも、「大和」にも興味が失くなってきております。



       


       戦艦「大和」の有名な一枚。
           
   



「MRJ」とは、「三菱リージョナルジェット」です。いよいよだ。    10.21.

2014-10-21 08:30:20 | Weblog

       「MRJ」が愛知県の三菱重工の工場で18日に初公開された。

    YS-11以来の完全な日本国産の旅客機となった。YS-11は、ターボプロップエンジン
    によるプロペラ機だが、MRJは、噴射式のターボファンエンジン搭載の機体である。
    それを採用したのは、1990年代半ばのリージョナル・ジェット (RJ) 革命がある。
    リージョナルジェット (Regional jet, RJ) とは、短距離輸送用ターボファンエンジン
    搭載航空機を指し、地域間輸送用旅客機と訳される。


       
       
       



       「半世紀ぶりに、日本の翼が復活」などのタイトルが見られます。
       国産旅客機として半世紀ぶり、国産ジェット旅客機としてはわが国初となります。
       わたくしの感想、ここには戦後(今ごろだが)が完全にふっ切れている。
       日本の飛行機、日本製のまっさらな新しい飛行機がここにあったと思います。



       


       その半世紀前の旅客機 YS-11です。正直なところ、当時かなり、ダサッと思いました。
       この飛行機が“戦後”を満載している、とそう知りました。

    連合国の占領下からGHQ SCAPによる航空禁止令が布告されて、日本にあるすべての飛行機を
    破壊され、航空機メーカーを解体され、航空会社を潰され、大学の授業から航空力学の科目を取り除かれた。
    日本が、1952年(昭和27年)にサンフランシスコ講和条約の発効で再独立した。
    日本企業による飛行機の運航や製造の禁止が一部解除され、この年の7月に航空法や航空機製造事業法が施行された。
    1957年(昭和32年)5月、理事長に新三菱重工副社長の荘田泰蔵が選任され、
    専任理事に木村秀政東京大学教授を迎えた「財団法人 輸送機設計研究協会」(通称「輸研」)が
    東京大学内に設立され、小型旅客輸送機の設計が始まった。

       
       


       敗戦国とは、こういうものなのかと。さらに驚くのは、その「輸研」の中の設計陣であります。

    輸研には、零式艦上戦闘機(ゼロ戦)や雷電、烈風を設計した堀越二郎(新三菱)、
    中島飛行機で一式戦闘機「隼」を設計した太田稔(富士重工業)、川西航空機で二式大艇や
    紫電改(及び紫電)を設計した菊原静男(新明和工業)、川崎航空機で三式戦闘機(飛燕)や
    五式戦闘機を設計した土井武夫(川崎重工業)、と戦前の航空業界を支えた技術者が参加した。
    航空業界では航研機の製作に携わった木村秀政(東京大学教授)を加えて、「五人のサムライ」と呼んだ。

       エエッと思いませんか。この驚くべき陣容 !?
       飛行機の運航や製造の禁止からの悲願の復活、などといいますが、リベンジではないかとまで
       思ってしまいました。
       わたくしの中の“ゼロ戦”、憧れのゼロ戦も、最近終了いたしましたが。

    1964年(昭和39年)8月に運輸省(当時)の型式証明を取得し、国内線向けの出荷と納入を開始した。
    9月9日には全日空にリースされた2号機が東京オリンピックの聖火を日本全国へ空輸し、
    日本国民に航空復活をアピールした。

       あの東京オリンピックに間に合っています。すべてが“戦後”でありますね。
       運用開始は、翌年の1965年(昭和40年)3月30日。



       


       「1990年代後半、カナダのボンバルディアとブラジルのエンブラエルが小型のRJを多数発表した」
       そういうマーケティングが始まっています。
       MRJ(三菱リージョナルジェット)は、初飛行:2015年第2四半期予定。
       運用開始:2017年第2四半期予定、です。ちょっと遅れていますが。
       日本の航空業界は、ここに復活したと言ってよい、と思います。




「人の歩かない堤防道」 新横浜・ご近所の景色。     10.19.

2014-10-19 09:48:44 | Weblog

       





       2014.10.15. 10:18

       舗装路を右側の緑が侵略(?)しています。
       舗装路の中央分離ラインをはるかに越えて進行しています。

       新横浜の北に位置する鶴見川の遊水地帯にあります。
       遊水湖、公園、野球場・サッカー場・テニスコートなどのスポーツ施設が、
       広大な面積の中に連なっている。
       新幹線の駅は妙なところに造られるものですが、新横浜駅も同様だった。
       しかし、50年も経てば街も整う。
       街の隣りに、こんなにも広い空間・それも流れと大量の緑をもつ空間が備わってしまった。
       この堤防道がなんのためかは、わかりません。






       






北野武(Takeshi名義)のハリウッドデビューとなった映画をみた。『JM』    10.18.

2014-10-18 13:50:00 | Weblog

       1995年公開だから、彼は48歳だったことになりますね。
       歳より若く見え、今よりはるかにスリムに見えました。


       


       
       主役は、キアヌ・リーブスさんです。
       北野武は、ハリウッドデビューながら、やはり、ヤクザの組長タカハシ役というもの。
       調べると、北野武・監督デビューとなる『その男、凶暴につき』は1989年であって、
       既に、そんなイメージが彼には出来上がっていたのかも知れません。
       しかし、外人スタッフたちが彼をこうイメージして起用したとすれば、それも愉快ですね。
       もう20年くらい前の話しでありますが。


       


    映画『JM』(原題:Johnny Mnemonic)は、SF作家ウィリアム・ギブスンによる同名の短編小説
    「記憶屋ジョニィ」を原案とした、1995年公開のサイバーパンクを主題とするSF映画。
    脳に埋め込まれた記憶装置に情報を記録する運び屋ジョニー・ニーモニックをキアヌ・リーブスが
    演じる。ヤクザの組長タカハシ役をハリウッドデビューとなった北野武が演じる。
    脚本は原作者であるギブスン自身が脚色しています。


       かなり乱暴な映画ですが、好みの領域のものですから、最後まで観ました。
       北野武組長は、クセのある手下に撃たれてしまいます。すぐには死なない。
       教会の牧師なのか、説教師がスゴイ殺し屋だったりする。
       キアヌ・リーブスを助ける美人はプロの用心棒稼業だったり、
       キアヌを助けようとする真っ当な医者ひとり、最終的に彼を助けるグループ、
       これが貧乏くさいがいいヤツラだ。


       
       


       この2枚の表紙絵は、P・K・ディック(Philip Kindred Dick)氏の著作です。
       映画の原作者ウィリアム・ギブスンを調べていて、『サイバーパンク』に行き当たりました。
       わたくし、不勉強でサイバーパンクの正確なところを知りませんでしたので。

    サイバーパンク(Cyberpunk)とは、1980年代に成立・流行したサイエンス・フィクションのサブジャンル、
    もしくは特定の運動、思想をさす。
    代表作としては、ウィリアム・ギブスンの小説『ニューロマンサー』などが挙げられる。
    Wikiによれば、大友克洋の漫画AKIRAや甲殻機動隊、映画MATRIXに強い影響を与えたとされています。

       わたくしの好きな作家、著作タイトル、映画タイトル、などが続々と出てきます。
       が、ギブスンの『ニューロマンサー』は買い求めましたが、読み切ることができませんでした。


       


       話しは映画。北野武さんのデビューの感想をいくつか。

       「彼は素晴らしい役者で、ほんといいやつだったな。」(キアヌの事)
       「サイバーパンクって呼ばれるジャンルのSFでいい作品だった。」
       「シナリオが魅力的でね、現代のインターネット上の違法コピー問題を先読みした
       ような話だったね。」などと。