『ドライヴ』は、ジェイムズ・サリスの小説を原作とした2011年公開のアメリカ映画。
日本に監督ニコラス・ウィンディング・レフン(44)の名を知らしめた映画。
この『トータル・リコール』は、2012年の米国製作。フィリップ・K・ディックが1966年に発表した
短編小説『追憶売ります』(We Can Remember It for You Wholesale)を映画化した1990年の映画
『トータル・リコール』と同一である。原作により忠実なプロットとなっている。
『風とライオン』1975年米。ジョン・ミリアス監督、脚本による。
ショーン・コネリーはこのとき45歳、キャンディス・バーゲンは29歳のようです。
ちょうど40年前の映画です。
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この絵は、ドイツ軍にとらわれた族長ライズリ(ショーン・コネリー)を、
救出すべくドイツ軍の駐屯地へ向かうイーデン(キャンディス・バーゲン)と
アメリカ海兵隊です。
殴り込みに向かう画面。「ワイルドバンチ」(1969)のマパッチ軍に向かう
あの4人を想い出しましたよ。
前記の二作の絵は用意してありませんが、おもしろかった。
ニコラス・ウィンディング・レフン監督の感性に、力量に、目が離せなかった。
が、最終のまとめがちょっとね。
「トータル・リコール2012」は、1990年の前作のグロテスクさがなくてよかった。
主役がイケメン過ぎたのが、不満。
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今回は「風とライオン」を取り上げます。
1904年、モロッコの港町タンジールでの出来事と設定されています。「血とコーランからなる」
砂漠の王者と、アメリカ第28代大統領セオドア・ルーズヴェルトが激突する、というもの。
主人公のライズリは実在したベルベル人の族長であり、米国がアラブを理解しようとした
映画でもあります。この当時の米国のアラブへの理解が21世紀の現在とどれほど異なっているのか、
とこの作品は時代史を紐解く貴重な作品だといえます。
ちなみに『アラビアのロレンス』は、1962年のイギリス映画。
60年代、70年代はアラビア・中東に目が向いていた時期なんでしょうか。
族長ライズリをイギリスの俳優ショーン・コネリーが演じ、アメリカの
女性イーデン(キャンディス・バーゲン)も、子供たちも彼に好意的であり、
尊敬に近い感情にまでなっている。
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ジョン・ヒューストン(右)も出ています。
セオドア・ルーズヴェルト大統領(中央)はブライアン・キース。
20世紀に登場した「海賊」たちの頭領はリーフ族の首長ライズリである。預言者ムハンマドの血を
引く砂漠の王者を自認するライズリは、列強が自治国であるモロッコへ介入する現実に我慢ができず、
国際紛争を誘発させ、甥であるモロッコの太守に外国勢力排撃の号令を出させようと目論んでいた。
ライズリの世界観は、男同士は面子の絡んだ喧嘩には命を懸けるというものであった。
人質の女主人が危険な火遊びの果てには破滅が待っていると忠告するが、自信家のライズリの耳には入らない。
非情な国際社会の力学はルーズベルトを勝者とする。大統領は顔を合わせずに終わった好敵手から
の書簡を読みはじめる。
『あなたは風のごとく、私はライオンのごとし。あなたは嵐をまきおこし、砂塵は私の眼を刺し、
大地はかわききっている。私はライオンのごとくおのれの場所にとどまるしかないが、
あなたは風のごとくおのれの場所にとどまることを知らない』
ライズリの声に、何かを考え込むように立ちつくす大統領。
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今、40年前の映画の視点がわかりにくい。
植民地主義的な覇権主義を否定はしているのだが。
“「血とコーランからなる」砂漠の王者 ”、
“ 預言者ムハンマドの血を引く砂漠の王者 ”、
などの言葉は今も、昔も変わっていない。