「マイ傘」増えてます、という記事がありました。
ようやっと年数を経て、ちょっと違うかなと気づいたのだろうか。
ビニール傘の出現はどのくらい前だったのだろうか。
30年くらい前か。ここが実は重要だと思うのだが、はっきりとわからない。
それにしても、腹が立つ。
モノに対する価値観が喪失したこれは出来事だったんじゃないのかと
思うからだ。
街のあちこちでうち捨てられたビニール傘を見かけるようになる。
平気で忘れる。否、捨ててくるのだ。
モノに対する敬意がなくなり、安易な価値観が生まれた瞬間がこれだった。
「使い捨て」というモノに対する敬意の喪失が始まったのだ。
使い捨ては「ライター」くらいでよい。
「もったいない」だ。
コンビニという気味の悪い文化などとおそらく一致しているように
思う。
過剰な便利さの追求と異常な周到さの結果のひとつだ。
モノをより安くする、この努力は必要だが、
このジャンルで適用されたのは明らかに間違いだったと思う。
傘というものに「使い捨て」を導入した発想が許せない。
コスト的に可能だったのだろうが、それはおそらく膨大なゴミの山を
生み出しただけでなく、モノへの人の気持ちまでも台無しにしてしまった。
「ヨーロッパでは、永らく傘は贅沢品であり、富と権力の象徴だったそうで、
遺言書に傘を誰が継ぐのか、を書くこともあったとか。
材料費が安く、比較的安価に手に入った和傘の日本人と比べて
傘に対する見方が違っていた。
日本でコンビニエンスストア等で売られている安物のビニール傘を見て驚く
ヨーロッパ人がいるそうである」。
「透明なビニールだから、前方に傾けても視界が遮られない。
この安全性で子供に持たせたり、
ヤクルトスワローズが得点した時、青や緑・ピンクの傘を広げて東京音頭を
合唱する」、このくらいでことは十分だと思う。
フォトは、練習試合の帰りらしい女子中学生の集団。
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