特に、強い意志があったわけじゃなくて、ちょっと肌合いが違うなくらいのものでした。
が、関東地区42.2%、関西地区45.5%と近ごろ珍しい高視聴率が出てしまいました。
“半沢直樹”さんですね。
「テレビはつまらない」といった批判が個人の感想レベルにとどまらず、可視化され共有されてきたことも事実だ。
ただ、「半沢直樹」が記録的な視聴率を出したことで「みんな何だかんだでテレビ見てるんだな」「ネットはテレビ
の敵ではなく(面白さの)『増幅装置』」(ツイッター)などと、それぞれの特性を見つめ直す声も出ている。
早稲田大文学学術院の岡室美奈子教授(55)=テレビ文化論=は「SNSで気の利いた考察が拡散されたり、発信
力のある人が作品を勧めたりすることが多くなり、ネットの『ドラマ批評』は充実してきた。ネットを通じて視聴者
の目は肥えてきたと言える」と指摘する。
「放送回ごとに感想を共有できる連続ドラマは、テレビならではの魅力がある」と話す。ネットを通じて作品が
「じぇじぇじぇ」なブームを呼ぶか、視聴者から「倍返し」されるか-。作り手がネットに期待と恐れを抱く時代で
あるのは間違いないようだ。
2013.9.27 12:37 [ネットろんだん]
つまり、ネットとテレビ(ドラマ)がやっとというか、ようやく見事にコラボしたっていう“例”、
それも“初めての例”なんじゃないのかな。
お互いのやるべき役目を再確認できた。
しかし、なんていう、分析・もの言いはつまりませんよね。
見ていないのでいろいろ調べてみたら、結構オモシロい。調べたのは“あまちゃん”だけです。
このドラマ・番組で、真っ当な人は宮本信子さん(夏ばっぱ)だけですね。ほかの人はすべて変人(?)
ばかり。あまちゃんは驚くほどフツウの子ですね。驚くほどです。半沢直樹の堺雅人さんも今までに
なかったタイプだと、これもホントそう思います。
ドラマの起点は2008年で、やがて不可避的に2011年3月11日を迎える。ドラマの舞台となる東北の海辺の街はどうなる
のだろう? 登場人物たちの運命は? 大震災への予感が、この明るいお笑いドラマを観る者に不思議な緊張感をもた
らしている。東日本大震災から2年半近くが過ぎたが、いまだこの戦後日本最大の災厄を正面から描いたテレビドラマ
は存在しない。それがNHKの朝ドラで、宮藤官九郎の脚本によって実現するとは感慨深い。
ちなみに宮藤官九郎は宮城出身、大友良英は福島育ちと両者とも東北に縁がある。
( 「あまちゃん」はなぜヒットしたか PRESIDENT 2013年9月2日号 中森明夫 )
もっとも驚いたのが、ここです。
失礼ながら、東北のある町に楽しい人たちがいて、とそのぐらいに思っていたのですが、
2008年の人たちが、2011年3月11日を迎えるのです。
見ていないのでこれ以上の詳細は言えません。(「あまちゃん」総集編は10月14日放送)
さて、3・11はどのように描かれたのか。
脚本の宮藤官九郎もNHKの演出陣も、実際の揺れの映像や津波の映像を一切使わなかった。
名手・宮藤官九郎の脚本とNHKスタッフの演出。その表現の見事さは本当に歴史に残るものだった。
「あまちゃん」は「テレビ」というメディアの魅力を再発見させてくれた画期的な番組だった。
(水島宏明 法政大学教授・元日本テレビ「NNNドキュメント」ディレクター 2013年9月3日)
水島氏は、たいへんに詳細な分析をされています。元テレビマンである氏は、テレビ番組、それもNHKで
あることも含めて大いに語られています。
前述の中森明夫氏は、芸能界全般の視点から語られております。引用は控えめで。
私が放送開始から『あまちゃん』に着目したのは、それがNHK朝ドラ史上初のアイドルドラマだからである。
アイドルが出演しているドラマという意味ではない。アイドルが重要なテーマになっているドラマなのだ。
『あまちゃん』は単にアイドルを描いたドラマではない。ドラマから現実にアイドルが、アイドルの楽曲が
次々と輩出されている。アイドルとは何か? アイドルという虚構を演じることだ。影武者と実体、虚構と
現実のテーマが『あまちゃん』には貫かれている。いや、ドラマ内の虚構(アイドル)をテコに現実を変革
しようとする強い意志が見える。それがNHK朝ドラの制作陣によって、確信犯的に意図されていたことに、
私は驚きを禁じえない。
(中森明夫氏。ここまで引用させていただきます)
すいません。またも引用です。
小泉今日子の実物との二重性 薬師丸ひろ子の実物との二重性
前の週からドラマは大きく展開していた。能年玲奈演じる天野アキは念願だった映画「潮騒のメモリー」で
主役の座を射止め、撮影は無事に終了。主題歌をアキが収録するスタジオで、母・天野春子(小泉今日子)
が手本の歌声を示したことで、女優・鈴鹿ひろ美(薬師丸ひろ子)は春子が長く自分の影武者として歌って
いた事実をつきつけられる。冷徹な敏腕プロデューサー荒巻太一(古田新太)も、かつて使い捨てにした
春子に対して初めて謝罪する。鈴鹿ひろ美も春子にわびて三者は和解した。わだかまりがすべて解けてハッピーエンド。
最後に脚本の宮藤官九郎さんについて、です。
映画『謝罪の王様』も彼(脚本)ですよね。のってる。
普通、台本にはセリフやト書きが書かれています。でも、そのシーンには“潮騒のメモリー”の歌詞が数ページ
に渡って書いてありました。ぼくは、それが(脚本家の)宮藤さんからのラストメッセージだと思えたのです。
『来てよ その“火”を 飛び越えて』というのは、多分『来てよ その“日(3.11)”を 飛び越えて』。
「また東北に来てね」ということだと思います。
(NHKの「あまちゃん」公式ホームページにチーフ演出の井上剛のインタビュー)
『来てよ その“火”を 飛び越えて』、これって三島由紀夫じゃないか。まあ、ふつうそう思いますよね。
しかし、そういうことだったらしいのです。
見てないから。
10月14日の総集編を見たら、また書きます。
あの1ch.NHKが新しい若年戦略で、こういうことが起こったっていうことになるのでしょうか。
おまけ。
が、関東地区42.2%、関西地区45.5%と近ごろ珍しい高視聴率が出てしまいました。
“半沢直樹”さんですね。
「テレビはつまらない」といった批判が個人の感想レベルにとどまらず、可視化され共有されてきたことも事実だ。
ただ、「半沢直樹」が記録的な視聴率を出したことで「みんな何だかんだでテレビ見てるんだな」「ネットはテレビ
の敵ではなく(面白さの)『増幅装置』」(ツイッター)などと、それぞれの特性を見つめ直す声も出ている。
早稲田大文学学術院の岡室美奈子教授(55)=テレビ文化論=は「SNSで気の利いた考察が拡散されたり、発信
力のある人が作品を勧めたりすることが多くなり、ネットの『ドラマ批評』は充実してきた。ネットを通じて視聴者
の目は肥えてきたと言える」と指摘する。
「放送回ごとに感想を共有できる連続ドラマは、テレビならではの魅力がある」と話す。ネットを通じて作品が
「じぇじぇじぇ」なブームを呼ぶか、視聴者から「倍返し」されるか-。作り手がネットに期待と恐れを抱く時代で
あるのは間違いないようだ。
2013.9.27 12:37 [ネットろんだん]
つまり、ネットとテレビ(ドラマ)がやっとというか、ようやく見事にコラボしたっていう“例”、
それも“初めての例”なんじゃないのかな。
お互いのやるべき役目を再確認できた。
しかし、なんていう、分析・もの言いはつまりませんよね。
見ていないのでいろいろ調べてみたら、結構オモシロい。調べたのは“あまちゃん”だけです。
このドラマ・番組で、真っ当な人は宮本信子さん(夏ばっぱ)だけですね。ほかの人はすべて変人(?)
ばかり。あまちゃんは驚くほどフツウの子ですね。驚くほどです。半沢直樹の堺雅人さんも今までに
なかったタイプだと、これもホントそう思います。
ドラマの起点は2008年で、やがて不可避的に2011年3月11日を迎える。ドラマの舞台となる東北の海辺の街はどうなる
のだろう? 登場人物たちの運命は? 大震災への予感が、この明るいお笑いドラマを観る者に不思議な緊張感をもた
らしている。東日本大震災から2年半近くが過ぎたが、いまだこの戦後日本最大の災厄を正面から描いたテレビドラマ
は存在しない。それがNHKの朝ドラで、宮藤官九郎の脚本によって実現するとは感慨深い。
ちなみに宮藤官九郎は宮城出身、大友良英は福島育ちと両者とも東北に縁がある。
( 「あまちゃん」はなぜヒットしたか PRESIDENT 2013年9月2日号 中森明夫 )
もっとも驚いたのが、ここです。
失礼ながら、東北のある町に楽しい人たちがいて、とそのぐらいに思っていたのですが、
2008年の人たちが、2011年3月11日を迎えるのです。
見ていないのでこれ以上の詳細は言えません。(「あまちゃん」総集編は10月14日放送)
さて、3・11はどのように描かれたのか。
脚本の宮藤官九郎もNHKの演出陣も、実際の揺れの映像や津波の映像を一切使わなかった。
名手・宮藤官九郎の脚本とNHKスタッフの演出。その表現の見事さは本当に歴史に残るものだった。
「あまちゃん」は「テレビ」というメディアの魅力を再発見させてくれた画期的な番組だった。
(水島宏明 法政大学教授・元日本テレビ「NNNドキュメント」ディレクター 2013年9月3日)
水島氏は、たいへんに詳細な分析をされています。元テレビマンである氏は、テレビ番組、それもNHKで
あることも含めて大いに語られています。
前述の中森明夫氏は、芸能界全般の視点から語られております。引用は控えめで。
私が放送開始から『あまちゃん』に着目したのは、それがNHK朝ドラ史上初のアイドルドラマだからである。
アイドルが出演しているドラマという意味ではない。アイドルが重要なテーマになっているドラマなのだ。
『あまちゃん』は単にアイドルを描いたドラマではない。ドラマから現実にアイドルが、アイドルの楽曲が
次々と輩出されている。アイドルとは何か? アイドルという虚構を演じることだ。影武者と実体、虚構と
現実のテーマが『あまちゃん』には貫かれている。いや、ドラマ内の虚構(アイドル)をテコに現実を変革
しようとする強い意志が見える。それがNHK朝ドラの制作陣によって、確信犯的に意図されていたことに、
私は驚きを禁じえない。
(中森明夫氏。ここまで引用させていただきます)
すいません。またも引用です。
小泉今日子の実物との二重性 薬師丸ひろ子の実物との二重性
前の週からドラマは大きく展開していた。能年玲奈演じる天野アキは念願だった映画「潮騒のメモリー」で
主役の座を射止め、撮影は無事に終了。主題歌をアキが収録するスタジオで、母・天野春子(小泉今日子)
が手本の歌声を示したことで、女優・鈴鹿ひろ美(薬師丸ひろ子)は春子が長く自分の影武者として歌って
いた事実をつきつけられる。冷徹な敏腕プロデューサー荒巻太一(古田新太)も、かつて使い捨てにした
春子に対して初めて謝罪する。鈴鹿ひろ美も春子にわびて三者は和解した。わだかまりがすべて解けてハッピーエンド。
最後に脚本の宮藤官九郎さんについて、です。
映画『謝罪の王様』も彼(脚本)ですよね。のってる。
普通、台本にはセリフやト書きが書かれています。でも、そのシーンには“潮騒のメモリー”の歌詞が数ページ
に渡って書いてありました。ぼくは、それが(脚本家の)宮藤さんからのラストメッセージだと思えたのです。
『来てよ その“火”を 飛び越えて』というのは、多分『来てよ その“日(3.11)”を 飛び越えて』。
「また東北に来てね」ということだと思います。
(NHKの「あまちゃん」公式ホームページにチーフ演出の井上剛のインタビュー)
『来てよ その“火”を 飛び越えて』、これって三島由紀夫じゃないか。まあ、ふつうそう思いますよね。
しかし、そういうことだったらしいのです。
見てないから。
10月14日の総集編を見たら、また書きます。
あの1ch.NHKが新しい若年戦略で、こういうことが起こったっていうことになるのでしょうか。
おまけ。