いいしらせのグッドニュース[パート・Ⅱ]

グッドなテーマを、グッド・テイストでお伝えします。

中川一政 という人に 圧倒された。

2013-02-26 22:52:26 | Weblog







真鶴の福浦突堤の中川一政氏です。
20年通いつめたという。

現在の突堤です。
だいぶ変わったようです。







この方が、中川一政氏です。
少々お若い時の写真ですが、あの方にそっくりと思いませんか。



小津安二郎氏です。

小津さん 1903-1963 60歳没。
中川さん 1893-1991 97歳没。







20年の、これは成果のひとつでありましょうか。

中川さんは、文化勲章も受けられていらっしゃる。









「非力な私は … 」とおっしゃる。
下の写真の手を見てほしい。

無骨なまでに、ひたすら、突きつめる。
なにをかいわんや、だ。







前回の「写真のこと」には、ここでは触れません。触れられません。
(前段のどさくさで云ってしまって、よかったかな)






写真 のこと。 [ ページ ビュー・PV が50万を超えたので ]

2013-02-26 16:42:39 | Weblog

ページビュー・PVが50万を先週超えました。
見ていただいています皆さまに感謝申し上げます。

2009年1月7日23時ころ発信したのが、ナンバーワンでした。
ことし5年目に入ります。
丸4年間というところですね。









当ブログは、写真に“チカラ”が入っています。
ヴィジュアルな表現をやめられない人間です。


先日、“ロバート・キャパとゲルダ・タロー”展を記載しました。
展示のパンフレットに写真家・長島有里枝(ゆりえ)さんが寄稿されています。


   写真の身体性は、絵画や彫刻の身体性とは異なっている。

   写真には、制作過程に横たわる身体性を示唆するもの、完成に向けて作家が費や
   したであろう膨大な時間、労力、試行錯誤の「しるし」が欠如している。写真家
   の中には――そのような身体性の欠如に対する負い目がある気がする。
   ときに写真家は、手垢のついていない自然や、人間が(あるいは自然が)引き起
   こした悲劇の渦中に赴いて、シャッターを切る。カメラの裏側、ファインダーの
   あるところにわたしたちは存在する。ようやく写真家にとって、画家や彫刻家が
   作品に刻んだ身体性との互換として存在する。
   やはり絵画や彫刻の身体性とは異なっている。








わたくしの写真、なぞを対比いたしますのは、僭越でありましょうが、
少し申し上げさせてください。


絵画などの、その身体性が重く感じるのであって、
わたくしには、写真のもつ距離感が適度に感じられます。
手軽なデジカメは、もはやメモをとるレベルとなっています。






これは、テレビ映像をデジカメで撮ったものです。







中川一政氏のこの重い言葉には敬意を払うものでは、ありますが。

いうべきことが混乱いたしました。出直してまいります。








プーチンの悩み。 隕石落下とチェルノブイリが 結びついたらしい。

2013-02-24 23:16:01 | Weblog




「軍が隕石を撃墜すべきだった」「直径17㍍の隕石を迎撃できずに、ミサイルの攻撃にどう対処できるのか」。           
まあ、そういわれてもしょうがないだろう。
あの隕石落下と、おまけの小惑星のすれ違いは、終わっていない。
むしろ、始まりか。
ロシアには、歴史上の実績があるのだ。1908年、シベリア・ツングースカで今回と似た空中爆発が起きている。
47年にも極東沿海地方でやはり大規模な隕石落下があったという。
宇宙からの脅威にどう備えるのか。この問題は、費用対効果などの面から態勢づくりが難しい。
隕石を発見し破壊するための、見つけるための施設と各種攻撃兵器を統合したシステムの構築には280億㌦
(約2兆6200億円)以上かかるのだが効果は薄いとみられている。
また、NATOにも共同対処する案を持ち掛けているが、NATOは極めて冷淡だという。





「強い指導者」であるべきプーチン大統領は、沈黙するしかない。さらにプーチンらロシア指導部が
神経をとがらせている深い問題があるという。
それは、ロシア人の宗教性と深く関係しているというのだ。





これは、あの佐藤優氏の指摘である。
1986年4月26日のチェルノブイリ原発事故にさかのぼる。この事故をロシア人は、合理主義の限界と考えたという。ソ連体制の構造的欠陥がみえてしまった。
ソ連社会はその後、内側から崩れ始めた。
チェリャビンスク州にも原発がある。隕石の爆発地点がずれていたら、事故が起きたかもしれない。
また、軍事関連の秘密研究所や工場もたくさんあったという。
ロシア人はさまざまな想像をしたであろう。ロシア人は不安を感じたのである。
それも、かなり深いところで感じたらしいのだ。





チェルノブイリとは、ロシア語で「苦(にが)よもぎ」の意味だそうだ。
「新約聖書」に、「ヨハネの黙示録」がある。その記述。
《 第3の天使がラッパを吹いた。すると、松明のように燃えている大きな星が、天から落ちて来て、
川という川の3分の1と、その水源の上に落ちた。この星の名は「苦よもぎ」といい、水の3分の1が
苦よもぎのように苦くなって、そのために多くの人が死んだ。
第4の天使がラッパを吹いた。すると、太陽の3分の1、月の3分の1、星という星の3分の1が損なわれたので、
それぞれの3分の1が暗くなって、昼はその光の3分の1を失い、夜も同じようになった 》(8章10~11節)

ロシア人が聖書に記されたこの世の終わりの天から落ちてくる星の名とチェルノブイリ事故を
結びつけたことが重要なのだ。





プーチン大統領は直接、隕石爆発事故対策に取り組んでいる。
隕石をめぐる流言飛語に対する監視をFSB(連邦保安庁=秘密警察)が強めている。


(2013年2月23日 SANKEI EXPRESS “佐藤優の地球を斬る”によります)
 佐藤さん、ありがとうございます。





22日、ことし(この冬)初めて ゴルフをしました。

2013-02-23 22:17:50 | Weblog




       この絵はアウト2番目のホールのティー・グラウンドです。
       北向きの斜面に、18日の雪がご覧のように残っている。
       ムズムズする人は、好きなヒトですね。
       虜になっているヒトです。
       ここは、ブリック&ウッドクラブといいます。
       房総の真ん中、少し南寄りか。



       2月22日、ことし初めてのゴルフをしました。
       天気予報ではこの日、最高気温8度というところで、風は弱いけれども
       かなり冷たい。風を感じるとやはり寒い。
       しかし、穏やかな18ホールでありました。

       2月は真冬、声をかけて集まった4人、ま、当然か。
       気温が5度以下だったら、やめるつもりでいました。
       この4人の中にかなりのお年の方もいらっしゃる。
       はるかにお若い方が、ヌクヌクと避寒されている。
       それはそれでよいのですが。

       わたくしは、わたくしなりのテーマを持って愉しみました。
       なかなか、真摯な姿勢でしょ。
       帰りの居酒屋もよかった。






       

寺田 寅彦さん、 ほか。

2013-02-21 21:09:33 | Weblog




寺田 寅彦(てらだ とらひこ)、1878年(明治11年) - 1935年(昭和10年)。57歳没。
物理学者、随筆家、俳人でもあり吉村冬彦の筆名をもつ。
戦前の日本です。


   




   寺田さんとは、全く関係のない絵です。
   でも、いいでしょう。踏切を駆け抜ける蒸気機関車です。

   寺田さんの本が一部(なのか)でうけているとか。
   わたくしも一冊買いました。
   少し読んで置いてあります。

   戦前の日本の部分です。
   必ずしも懐古趣味ではないつもりですが。





お願い!ランキング の " 美食アカデミー " が 面白いぞ。

2013-02-20 17:13:53 | Weblog

深夜、24時前後から2時くらいかな、早寝の方々には縁のないお話しです。
それと、"川越達也シェフ"に抵抗のある方々にも縁がないお話しですね。










左から、斉藤美穂さん、川越達也シェフ、横崎哲さんの3人。
それぞれ、それなりの経歴と実力の持ち主らしい。
キャラがそれぞれにかなり良い。"ちょいキビ判定員"と呼ばれる。
横崎さんが、青山有紀さんに代わることもある。きのうは青山さんだった。


彼らが判定するのは、ファミリーレストラン・ファミレスといったあたりの
チェーン店です。番組の今まではそういったものでした。
きのうは、関西方面からはじまった「マーメイド(だったとおもう)」という
パンのチェーンストアでした。












映像は、先週以前のものです。
きのうのパン屋さんですが、11年ひたすらパンをつくり続けた開発課長さんだったか、
おねえさんがきびしいコメントに涙ぐんでしまったり、最後のさいごに30点満点を
獲得したりする、なかなかオモシロい展開でありましたよ。










判定員と判定される関係者は別の部屋に居て、会話はできるようですが。
30点満点が出るとたいへんな喜び様の画面になりますね。


"ファミレス"などのぬるま湯的な領域にある基準を提示している。
などというと、大げさかな。
川越シェフが、お店によってこんな発言をしていました。
「ファミレスを目指すのですか、専門店を目指すのですか」と、料理長か、
開発主任の人に聞いておりました。
基準が変わるとの宣告ですね。








やっぱり、味が微妙にわかる・味覚の良さは才能ですよね。
才能が不足している人に料理はやって欲しくはありません。
世の中のお母さんたちは除外かな。
川越というシェフには、それがあるのでしょう。
1年くらい前だったか、川越達也シェフの顔とお薦めのコメントが印刷された
パスタソースをスーパーで見かけました。それも割高。
顔がまだ知られていない頃だ。だれが買うかと思っていたが、
最近、見つけた商品!








買ってしまった。






永 六輔さんたち のお話しを聴いた。 二度目です。 

2013-02-19 12:43:04 | Weblog



   永 六輔さんの話しを聴きました。
   ガンとパーキンソン病と骨折と、永さんは闘病とリハビリの身である。
   発声にも影響がある。
   しかし、仕事を可能な限りつづけられている。
   来年、80歳を迎える。


   去年の6月28日につづく2度目の“お話しを聴く会”で、
   1回目はひとりで、今回2回目は仲間と3人で行なわれました。
   永さんは、巧みな話術者というより、なんとも豊富な話しのネタを持つ話者と
   いうべきでしょうか。







   表情は、かなりこわい。
   しかし、話しは徐々にだが、盛り上がっていく。
   笑いも随所に散りばめられている。
   表情は変わらないまま、永さんのあたまの中では話しを構成し、棹さして
   進めていくのであろうと思われる。聞くときは、聞く。
   病気などのあとの永さんには、ある迫力を感じる。   


   小沢昭一さんが逝かれたことが、永さんの中でかなり大きいことであったようだ。
   何回か触れられていた。
   リハビリの苦しい話しが、オチのついた話しに発展して、病院のこと、医者のこと、
   看護師さんのことと展開する。
   昭和ヒトケタ生まれの3人の世代の話しまで、届く。





   会場は100人を超える参加者がいらしていた。
   永さんは、そういったことを見逃さない。
   人々が集まるという事実に、敏感なのだと思われる。
   こういう機会があったら、呼び出してくださいよという。


   会場は、シニア世代が中心となっている。
   わたくしは、“老い”ということをこの“会”では面と向かうテーマと
   感じるのだが、この日は若い(といっても40、50代だったりするが)人たちを
   結構、お見かけしました。





   かなり、お若い人もいらしていました。





ロバート ・ キャパ と ゲルダ ・ タロー の 人生をみた。

2013-02-17 20:41:04 | Weblog




       この写真があたまの中に残ってしまった。
       2月3日のあの番組からだ。
       この写真の作品名は「ナムディンからタイビンへの道、ヴェトナム」という。
       作品番号、「c-190」。
       横浜美術館で開催中の『ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 二人の写真家』
       [PARTⅡ] ロバート・キャパ出品作品リスト
       によります。

       横浜にきょう、行ってきました。
       冒頭の写真を確認したかったからです。
       “あの写真”もあるし、ノルマンディもあるし、ナチスの協力者を糾弾する写真もあるよね。
       だが、冒頭の写真が気になる。

       映像は3日のテレビからの取材です。









       あの番組は、沢木耕太郎さんが「崩れ落ちる兵士」(1936年)の謎を解明しようと
       いうものでした。タイトルは「運命の1枚 “戦場”写真の最大の謎に挑む」です。
       興味深い仮説に到りました。





       この写真が、展示にはなかったと思います(正確にはわかりませんが)。
       右のふたりがロバート・キャパとゲルダ・タローさんだそうです。

       ロバート・キャパ、本名アンドレ・フリードマンという。1913-54年。
       ゲルダ・タロー、本名ゲルタ・ポホリレ。1910-37年。

       「ロバート・キャパ」という名前は、二人によって創り出された
       “架空の写真家”だったといいます。
       「キャパ」の初期の活動は、二人の共同作業であったという事実です。
       1936年の時点では、キャパ・22歳。タローは25歳、という無名の時代でした。





       こんなに美しい人でした。







       この写真、パートナーであったことを感じさせます。




     

    
       ゲルダ・タローの死。あの写真が掲載される直前でした。
       1937年、LIFE・7月12日号に掲載されて、時代の寵児に、反ファシズムのシンボルとなります。

       この年に、キャパは写真集を出します。
       その冒頭です。





       「きみは … まだそこにいる」。

       しかし、この写真集にはあの写真は載っていなかったそうです。







       8年後。1944年、ノルマンディ上陸作戦、上陸用舟艇でのキャパです。
       
       沢木耕太郎さんは、本当の戦場で30歳の彼は、あの1枚と決着をつけた。
       といいます。







       5つの戦争を体験・取材したキャパは、平安の時代に入ってしまう。

       ヘミングウェイ、ゲイリー・クーパー、ピカソ、ヒッチコック、
       大統領とかの要人の写真もある。
       ピカソのあの写真は、キャパだんたんですね。知らなかった。
       日本にも来ている。やはり、人を撮っていますよ。
       (3月いっぱい横浜で、ご覧になれます)

       日本のあと、ヴェトナムに向かう。





       1954年5月25日のこのシリーズを撮ったあと、
       キャパは地雷を踏む。
       この写真、なんだかきれいなんだよね。
       (遺作はカラーの写真だそうです。それは、会場には見あたりませんでした)


       「ちょっとピンぼけ」を、会期中にミュージアムショップに買いにいくつもりです。





隕石の 落下(衝突) と すれ違い。 わくわくです。 15日から16日。

2013-02-16 12:52:01 | Weblog




     15日の午後5時ころだったと思う。
     TBSラジオが、ロシアで隕石が落下したらしく、100人くらいのケガ人が
     出たという。
     ええっ、ケガされた方々には申しわけありませんが、
     わたくし、わくわくしてしまった。
     「これは映画ではありません」なんていうプロパガンダがありそうだ。









     これらは、通過後の煙(?!)なんでしょう。
     ロシアらしい映像がありました。








     わたくし好みといっては不謹慎ですが、わくわくです。

     現実に戻される。












     が、思い出した。16日のことを。きょうです。








     そうなんだ。わたくし、きょうは寝ないね。

     ロシアの落下の映像を得ました。














     後半の2枚が暗くなっているが、これはカメラのせいで
     そんなに暗くはないはずです。

     さて、その落下物はどうだったのか。








     どうも湖に落下したらしい。空中でバラバラになったというから、
     採集できるのではないか。

     明日の朝、きょうの朝だが、…、
     どうでありましょうか。
     わくわく。
     この2つの関連は、当然あるんでしょう、と思う。思いたい。
     さて、さて。

     これは映画ではない。





変 人 の テ ス ト 。

2013-02-13 20:57:42 | Weblog

   最近にしては珍しい変人アーティストがいるという。
   「会田誠」とおっしゃる。
   茂木健一郎氏が彼を解明したいという。









   会田誠さん、知らなかった。
   ご存じでしたか。


   なかなか、いい飲み屋でおふたりは語り合う。
   やや、おずおずと、ぽつぽつと、話し合いをはじめる。


   会田さんの作品と活動が紹介される。
   今いちボリュームに欠けるけれども、彼のコンセプトはわかったように
   思える。


   既成の、学校で決められた水着で、滝で戯れる、中高生くらいの少女たち。20、
   30人はいるのかな。
   標的は、やはり、AKB48らしい。
   塵の山がある。遠目にはきれいだが、寄ってみると、いわゆる、サラリーマンの
   山なんですね。サラリーマンとは、ダークスーツだったり、もちろんネクタイで、
   Yシャツだったりする。
   反サラリーマンのデモを呼びかける、荒っぽい絵もあった。


   このあたりの個展、いや、展覧会をあの六本木のタワービルの上の方にある
   美術館でやっているそうだ。
   この美術館・ギャラリーを嫌っているが、まあ、増しか。




   



   ひっかかったメッセージは、このあたりでした。


   「無理してると 幸福になれないよね」