今月13日に完了したと思われたこの事件は、
もしかすると“重大なおまけ”がありました。
フォトは暗い時間に撮ったものですが、
草花のない鉢に2羽の子バトが眠っています。
完了した13日の夕方に彼らは戻って寝て
いたのでした。
翌日、明るくなると親が迎えにきてどこかに
行ってしまいますが、夕方戻っているのです。
1週間くらい経つともう親は来ないで、彼ら
だけで出かけていきます。
そして、戻ってきて寝ているのです。
この2羽の子バトの棲み処、巣はここという
ことなのでしょうか。
親たちの巣、家はどこかにあって、そこで
いっしょに住まないのでしょうか。
彼らはまだカラダ全体がほぼ黒くて、成鳥の
ようなグレーの模様は出来ていません。
大きさは成鳥となんら見劣りしていませんが。
わたしたちも「帰ってきたよ」などと結構
なじんでいるのです。
いいんでしょうか。
これはある宗教団体の入口越しに撮ったものです。
白い柔道着のような衣装を着込んだ女性が2人、
ちょうど正午で、ある方向に向かって姿勢を正して
いるようでした。
かなり広い入口ロビーには受付とその周辺に10人前後
のそうした衣装の人たちがいました。
少し前、「1Q84」という小説を読んでから“カルト”が
また気になっています。
その現象などに興味が起こったという意味です。
ムラカミハルキ氏がロイターのインタビューに応じた記事が
25日出ています。
「何を価値、軸として生きていけばいいのか。今、特にこれと
いう軸がない。カルトというものはそういう人たちをどんどん
引きつけてゆくことになると思う。僕らができることは、それ
とは違う軸を提供することである」と語っています。
四丁目交差点の和光の裏手になるのかな。
“和光”と書かれたビルの入り口・上に
この時計はありました。
やるもんですね。
外国ブランドのビルばかりが目立つ中、
かましたんでしょうか。
だれの作かは調べてありません。
銀座も、どこも、しばらく行かないと
街は変わってしまいますね。
11月の後半だが、ご覧のとおりの緑だ。
中小河川の小河川のいわゆる河川敷に
この小さな池がある。
整備された堤防は、この視線のところにある。
あの地点には行けないようになっている。
彼らは護られていると言っていい。
美しいんじゃないだろうか。
潜高型(せんたかがた)という艦級に属する旧日本海軍の潜水艦、伊号第二〇一潜水艦(伊201)のCG画像と残された写真。
旧日本軍の水没潜水艦調査を取り上げたドキュメンタリー番組「Hunt for the Samurai Subs premieres(サムライ潜水艦を探して)」が、米ナショナルジオグラフィック チャンネルでこの11月17日に放送されたらしい。もとより、わたしには確認できない。米国海洋大気庁のハンス・バン・ティルブルフ氏によると、ハワイ沖の海底には日本の潜水艦が複数沈んでいるらしい。彼はこんなコメントを続ける。日本の潜水艦が沈んでいるが、サンゴ礁や野生生物と同様に、今後も保護を続けるべきだ。「ここは潜水艦の安息の場だ。暗く冷たい海中で深く静かに眠らせておくのがサムライ達には相応しい」と。
しかし、表題の「伊号第二〇一潜水艦」は戦後米軍に接収され、調査や試験の後に水没させられたものである。ことし2月に米国考古学者チームによって発見された。
そのチームによると、「この艦級の潜水艦は、第二次世界大戦時の最速潜水艦であり、時速35キロで水中を航行できた。また、当時の日本随一の潜航深度を誇り、最長1カ月にわたって水中にとどまることができたと。 画像中央部には水中抵抗の少ない司令塔と甲板に格納できる機銃2挺が見える。画像には写っていないが、このほかに格納式の潜舵も備えている。伊201の浮上と潜航はこうした特徴に支えられており、極限の速さが生まれたのである」。National Geographic News November 13, 2009
本当であろうか。「伊二〇一型潜水艦は、連合国の対潜水艦戦闘能力向上にともなう日本潜水艦の被害拡大に対処するため水中速力を重視した型である」とされている。
「1938年に建造され1941年まで試験された水中高速実験潜水艦第71号艦や甲標的などの開発経験を元に 1943-44年のマル戦計画により太平洋戦争末期に建造された潜水艦」であり、「23隻が計画され、8隻が起工、1945年(昭和20年)3隻が就役した時点で終戦を迎えた」。「終戦後は2隻がアメリカによって運ばれ調査の対象となった」。ここで徹底的に調査分析されたのだが、考古学者チームはご存知ではないようである。ただ、その高速性はあるレベル達成されていたようだ。以下
「水中高速航走性能の追求のため、極力の抵抗低減がなされた。船体や艦橋は流線化設計され、外舷で使用する機器や儀装装備などの突起物は起倒式にする、もしくは簡素化が図られた。1943年10月当初、軍令部の要求により水中速力25ノットを予定していた。しかしながら減速ギアの騒音問題が解決できず電動機直結としたこと、また当時の水中高速航走時の動的安定性の問題には未知な分野が多かったこと、さらに後に艦橋上にシュノーケルや対空用の22号電探などの水中抵抗を増す装備が追加された事もあり、計画水中速力は20ノットと引き下げられ、最終的には計画水中速力19ノットに変更された。完成後の水中速力試験では速力19ノットを記録したが、実際の運用においては主機の故障、前述の水中高速航走での安定性の問題もあり、17ノット程度であったされる」。
「しかしながらそれでも、戦後建造される海上自衛隊の初期の潜水艦よりも高速である。ちなみに実験艦を除いた現在の通常動力型潜水艦においても、25ノットの水中速度に到達した例は無い」。
当時の日本海軍には、潜水艦に対する戦略性のある発想はなかった。特攻に近い小型潜水艇、そして回天とつながる。
この伊201を米国が今このように取り上げることは米国の意識変化を確認することのひとつであるが、そのことをどう受け止めるかはそれぞれに委ねたい。
ラーメン屋です。
今はやり風のではなく、結構古いとか。
しかし、この『知ったかぶりのブタ』とは
お店の謙遜なのか、お客をおちょくっているのか。
ラーメンのブログでは、
「■とんこつラーメン 知ったかぶりのブタ @白楽■
六角橋の古株。お好みでチャーシューやネギなどトッピングを
組み合わせるシステムで、街道沿いのラーメン店の雰囲気。
クリーミーでクセのない豚骨スープに背脂を浮かせたもので、
麺は『酒井製麺』の中太麺。神奈川は背脂系が皆無かと思って
いたら、こういう店が存在していたとは勉強になりました。
横浜市神奈川区六角橋1丁目
すぐ近所には姉妹店の『知ったかぶりの子ブタ』もあります」
今回は入っていません。
その門構えのみ。
大体もっともらしく味を報告するのは、下品だよ。
とも思います。
『知ったかぶりのブタ』、このセンスはいいんじゃないか。