いいしらせのグッドニュース[パート・Ⅱ]

グッドなテーマを、グッド・テイストでお伝えします。

ことし・2013年のベスト・グッド。 当ブログの勝手であります。    2013.12.31.

2013-12-31 23:03:06 | Weblog

       ことしの[GOOD]をさがして振り返ります。


       [GOOD・10] 哀悼 マンデラ氏。 僭越ですが。 12.11.
       [GOOD・9]  健さんへ。 サブ「日本人に生まれて本当に良かった」。  11.4.
       [GOOD・8]  田中将大・マーくんをはじめとした 両チームの選手たちへ。  11.4.
       [GOOD・7]  小泉劇場氏のグッド。!!! 。 10.17.
       [GOOD・6]  マーくん よかったね。 優勝おめでとう。 9.27.
       [GOOD・5] 『 2020東京五輪 決定 』。 今朝、5時半までつき合ってしまう。 9.8.
       [GOOD・4]  三浦 雄一郎さん・15年間の挑戦  5.31.
       [GOOD・3] 広島高裁をはじめとした 「 衆院選無効 」判決に。 4.3.
       [GOOD・2] 「釜石小学校・校歌」 作詞・井上 ひさし 作曲・宇野 誠一郎  3.23.
       [GOOD・1] 大島 渚監督、 その全体を。  1.16.


       以上です。
       妥当であるか、否か。わかりません。当ブログの勝手であります。
       ことしの時々のわたくしがクレバーであったかは、自信ありません。
       マンデラ元南ア大統領、大島 渚監督のおふたりをみると、
       僭越すぎて、恐縮の至りですが、その時はなんとかしたい、敬意をなんとかしたいと
       思いました。しかし、個人を断定するという、釈然としない気持ちも当然ながら
       感じてしまいます。
       さらに順番をつけようというのでありますよ。
       なんだアンタは、ですよね。


       当ブログの勝手であります。
       順位なしで、3点選びました。
       2013年のベスト・グッドは、

       [GOOD・7]  小泉劇場氏のグッド!!!   10.17.

       [GOOD・4]  三浦 雄一郎さん・15年間の挑戦   5.31.

       [GOOD・2] 「釜石小学校・校歌」 作詞・井上 ひさし 作曲・宇野 誠一郎   3.23.

       であります。
       おざなりですが、よいお年を。




       おまけ。

       
             

       上の図面は十二試艦上戦闘機、
       下のものは零戦です。
       同じです。

     7月24日、「十二試艦上戦闘機」は多くの問題点を克服し、制式機としての採用が決定した。
     この年(昭和15年)は紀元2600年にあたり、末尾の数字を取って「零式一号艦上戦闘機一型(一一型)」と
     命名された。ここに、後世まで語り継がれる「零式艦上戦闘機(零戦)」が誕生したのである。

       ことし、零戦と堀越二郎技師がさまざまに取り上げられました。
       そうして、わたくしもようやく零戦を卒業できたようです。
       

    
       これは十二試艦上戦闘機のモデルです。


       


周辺の景色 ・7 ( 12月30日15時31分 )   12.30.

2013-12-30 18:29:40 | Weblog


     




     ここは、三叉路ではなく、十字路なんですが、
     こんな角度になっています。

     この3階建ての建物の左側1階は煙草屋さんで、
     品のいいおばあさんが座っています。
     周りも煙草の自販機だらけ。
     狭い店内には、少々のお菓子類も置いてありますが、
     お客さんを見たことはありません。




     




     12月30日、師走ということとなんら関係はありません。
     28日からの師走・お正月のお休みで
     人々の気持ちがゆるんでいますね。
     もちろんいい意味で。
     





年末の顔、“ 第九 ” です。   12.29.

2013-12-29 14:19:48 | Weblog

     


     これは、26日の深夜(27日3時すぎ)に放送されておりました。
     真夜中ですので、音量を下げて聴いて、見ていて、
     気がつきました。

     
     

     
     

     表情がなかなかにオモシロい。豊かというべきかな。
     ブログで取り上げても、ま、音はありませんから。

     
     

     


     読響です。

     
     

     
     

     ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの交響曲第9番ニ短調作品125
     ベートーヴェンの9番目で、最後の交響曲である(第10番は断片的なスケッチが
     残されたのみで完成されていない)。副題として「合唱付き」が付されることも多い。
     第4楽章は独唱および合唱を伴って演奏され、歌詞にはシラーの詩『歓喜に寄す』が
     用いられる。第4楽章の主題は『歓喜の歌』としても親しまれている。

     
     
     
     
     

     

     歌を歌う表情にそれほど、奇異には感じませんが、
     歌唱、クラシックの歌唱の場合は全身で全力で声を出しているのですね。
     “第九”を冷やかしたり、からかったりしているつもりはありません。
     ある種のドキュメントではありますが。
     拍手です。



     






「 アサルトライフル 」 について。     12.26.

2013-12-26 22:37:34 | Weblog


   そうです。
   ロシアのミハイル・カラシニコフ氏が23日、病気で亡くなったことからでした。94歳。
   


   



      AK47は設計者にちなんで「カラシニコフ」とも呼ばれ、耐久性にすぐれて扱いやすく、
      設備が整わない工場でも安い価格で簡単に製造できることから、旧ソビエトだけでなく、
      かつての共産圏などを中心に広く普及しました。
      一方で、AK47は取り引きや所持がほとんど管理されなかったために拡散し、
      アフガニスタンなど世界中のテロや内戦で使われるようになり、紛争を長期化させているとして、
      国際的な人権団体「アムネスティ・インターナショナル」は、
      「世界で最も好んで使われる殺人兵器」と位置づけています。

   当然ながら、そういうことでありましょう。


      カラシニコフ氏は第2次大戦でソ連の戦車部隊に所属し、ナチスドイツとの戦いに従軍。
      自動化された小火器で武装されたドイツ軍に衝撃を受け、新しい銃器の設計を決意しました。
      戦後間もなく、使いやすくて壊れにくい自動小銃「AK47」の開発に成功します。



      
      StG44
   


       第二次世界大戦末期ナチスドイツがStG44を投入して以降、小銃としての要求を満たしながら
      連射よって手数を圧倒的に増やすことができ、軽・重機関銃のようにかさばらず一兵卒単位で
      運用できる新兵器「アサルトライフル」に各国各軍が注目し、戦後になって
      アメリカ軍ではM14が採用されます。



      
      上がM16。中がAK47。下はわかりません。



      M16とは、アーマーライト社、ユージン・ストーナーが開発した突撃銃です。
      M16は米軍の制式名であり、コルト社を始め各メーカーでの製品名は「AR-15」といいました。
      採用当初は従来の歩兵銃と異なるプラスチックとアルミ合金製の外観から「マテル(玩具メーカー)の銃」
      「ブラックライフル」などとも呼ばれました。(悪口ですね)
      実戦で様々な不具合や欠陥を露呈しつつも様々な改修を経て、現在も米軍制式銃です。

   この上なく、現場での評判が悪かったこの小銃M16も珍しい。AK47の実用性は
   高まるばかりだったようです。



      
      イズマッシュ社(旧イジェフスク機械製作工場)で点検作業中のロシアの太っちょおばさん達。
      イジェフスクはウラル山脈の西に位置する。


      
      銃器設計者ミハイル・カラシニコフ氏。日時は不明。


      リトフキン氏はこう指摘しています。
      「カラシニコフは、理想的で極めて効果的な自動小銃を創り出した。それは第一に、
      生産が容易で、第二にコストが安く、第三に、あまり訓練しなくても使えるということだ」。
      「この武器は、多くの使用者を見出し、大量生産された。水中に落としても、泥まみれにしても、
      長い間掃除しなくても、撃つことができる。イラクとアフガニスタンの米軍兵士でさえ、
      そのような必要と可能性があれば、いつでもAKを使った。実際、М16より効果的だからだ」と。


      
            
      イズマッシュ・サイガ12。イズマッシュ社が開発したボックスマガジンタイプの
      セミオート式散弾銃。AK-47をベースに開発されているため耐久性や信頼性が高く、
      その上SVDのスコープを装着して使用することもできる。
      さらに低価格で、AK-47と同じくボックスマガジンを使用して銃弾の装填ができるため、
      ショットガンのマッチレースなどにも注目を浴びていたそうです。

   これも、カラシニコフ氏のその後の設計開発したものだそうです。



       アサルトライフル(Assault rifle)は、実用的な全自動射撃能力を持つ自動小銃の総称である。
      一般に、それまでの小銃より反動の弱い弾薬を使用することで全自動射撃を容易にしている。
      それは拳銃弾とフルサイズの小銃弾の中間に位置する。
      一方で従来のフルサイズの小銃弾を使用するものは区別上バトルライフルなどと呼ばれる。


      日本語では突撃銃と訳されるが、自衛隊や警察では小銃と呼称しており、
      自衛隊が配備している火器の中では89式5.56mm小銃がアサルトライフルに該当する。


      
      89式5.56mm小銃


      
      64式7.62mm小銃
      1964年に、この64式7.62mm小銃が採用されている。



   現在の状況はというと、


      
      H&K G36
      
      FN FAL


      弾薬のサイズが近似した5.56mm NATO弾と6.8mm×43SPC弾の共通化は多くのメーカで達成できたものの、
      大きくサイズが異なり、発射時の衝撃も大きな7.62mm NATO弾との共通化は既存のアサルトライフルでは
      困難であり、7.62mm NATO弾用には別サイズのプラットフォームで対応したM16をベースとする
      H&K416/417と、独自設計のFN SCAR-L/Hが提出された。

   ということらしいが、よくわからない。
   上の2つは採用はされていないそうです。
   ヨーロッパ各国で共同開発したり、独自だったりしているようですね。
   時代推移の中で、「アサルトライフル」の使用場所・使用時、編制の中での
   機能性、価値観の変化など、いろいろあるようです。


   しかし、アフリカ、中東では「AK47・カラシニコフ」が現在も使用され
   続けています。
   「あらゆる紛争の責任は問題を平和的に解決できない政治家にある。銃は国を守るためのもので、
   本当は紛争に使ってほしくない」
   カラシニコフ氏は2007年に述べている。




      

「世界で最も美しい顔100人」 日本から6人が選らばれていたが!?    12.26.

2013-12-26 14:44:04 | Weblog

     米映画サイト・TC Candlerが選ぶ「世界で最も美しい顔100人」が24日発表されました。
     第24回を数える、というのだが知らなかった。
     日本の6人とは、
     石原さとみ(32位)、佐々木希(41位)、桐谷美玲(46位)、AKB48の島崎遥香(56位)、
     浜崎あゆみ(60位)、上戸彩(99位)の計6人。
     桐谷美玲は昨年12位に選ばれていて、佐々木希は4度目のランクインだという。
     初登場で54位だった黒木メイサ(25)は圏外に、ということらしい。


     



     アメリカの映画関係者が選出にあたっているのだろうが、日本の“美しい顔”とは
     こういうことになるのか。

     佐々木、桐谷のふたりには、常々、さびしいものを感じていた。孤独感というか、足らない背景を
     感じておりましたね。浜崎あゆみにいたっては、なんじゃいなというところです。
     石原さとみ、32位はかなり好ましく思うのですが。
     しかし、アメリカでも“子ども”志向なのかなと思ってしまったが、
     1位の顔はこういうことでありました。


     


     この絵ではわかりにくいでしょう。
     

     


     第1位 『エディット・ピアフ~愛の讃歌~』のマリオン・コティヤールさん。
     マリオン・コティヤール:1975年9月30日生まれ(38歳)、フランス・パリ出身の女優。
     主な出演作品、『TAXi』シリーズ、『ロング・エンゲージメント』、『エディット・ピアフ〜愛の讃歌〜』など。

     うんうん、やはり大人だね。


     第2位は、K-POPグループ・AFTERSCHOOLのナナさん。


     


     ナナ (나나:娜娜:Nana) 1991年9月14日(22歳) 忠清北道清州市出身。
     AFTERSCHOOLでのキャリア:2009年11月 -  ポジション: ボーカル / ラップ
     スーパーモデル大会に出場し、本選まで選ばれた経歴がある。
     キャッチフレーズ:「セクシーきつね」。

     韓国美人も健在。

     第3位は、『キック・アス』のクロエ・グレース・モレッツさん。


     


     クロエ・グレース・モレッツ 1997年2月10日(16歳)アメリカ合衆国 ジョージア州アトランタ出身。
     子役女優。活動、2004年 -。

     ななんと16歳。ま、アメリカでの注目され具合がわかりませんが。


     
     4位に海外ドラマ「ゲーム・オブ・スローンズ」のエミリア・クラークさん。

     
     5位に『紀元前1万年』のカミーラ・ベルさん。



     どうでしょうか。
     5位のカミーラ・ベルさんは、まさに古典的美人ですね。
     日本勢はどんなもんでしょう。
     黒木メイサ(結婚前ですね)さんが入っていたのはいいと思うけど。
     結局、好き嫌いなのか。

     「美しい顔」という選出基準がどんなものなのか、わかりません。






最近、気に入っている“ チイサメくん ”です。    12.25.

2013-12-25 01:19:46 | Weblog


          




          コメントいりませんね。
          エイサンくんより、チイサメくんがお気に入りです。
          忽那 汐里(くつな しおり)くんももちろんお気に入りです。

          平和であります。






“ 1914年のクリスマス休戦 ”    12.24.

2013-12-24 19:49:19 | Weblog

     クリスマスがどうこうと言うつもりはありません。
     戦争をどうこう言いたくはもちろんありません。
     ましてや、GOODなどと言うつもりもありません。

     第一次世界大戦の西部戦線を調べました。
     1914年8月から、1918年11月までにおそらく1千万人以上の兵士が亡くなった
     のでありましょう。
     連合国側、4,800,000人(推定)。中央同盟国側、不明。
     とデータにはありますが。




     

     



     
        1914年、ドイツ軍によるベルギー・フランス侵攻。
        ゲーベン追跡戦 - リエージュの戦い - タンネンベルクの戦い - 第一次マズーリ湖攻勢
        - マルヌ会戦 - 第一次イーペル会戦 - 青島の戦い - クリスマス休戦

     1914年・データの最後に『クリスマス休戦』と載っています。
     これがそれでありました。
     新聞で軍上層部は知ることになったらしい。




     

     



        1914年、(略)この後、スイスからイギリス海峡にいたるまで戦線が構築され、
        前線の両側では塹壕が掘り進められた。この戦線は第一次世界大戦の
        ほとんどの期間を通じて大きく変化することはなかった。

        1915年から1917年にかけて、西部戦線においては、両軍とも大規模な攻勢を
        数回行っている。それらの攻勢計画では、まず大量の砲弾をもって砲撃が行われ、
        その後に歩兵による突撃が続く。しかし巧妙に構築された塹壕線に配置された
        側防機関銃、有刺鉄線などによって防御側の優勢が確立しており、攻撃側には
        大量の犠牲者が続出し、攻勢は失敗することが多かった。
        この結果として攻勢による前線位置の変化はほとんど生じなかった。

     ということは、塹壕と塹壕の間で、際限なく兵士の命が消耗されたのです。          


     
     
     
     

     
     サッカー(?)にも興じたという。


     


     この話者がだれかはわかりません。
     


     



     1915年、16、17、18年11月と戦争は過酷を極めます。
     “クリスマス休戦”は1度だけで終わりました。

     実写はやはり勘弁していただきたいと思います。
     当ブログのテーマは“いい・しらせ”でありますが。
     (2013.12.23.4ch.)





細田 守 に期待する。 『おおかみこどもの雨と雪』    12.23.

2013-12-23 13:02:20 | Weblog

       

       
       




       
       ゴルフから帰った夜で、心地よいカラダの疲れとアルコールで緩んだ気分だったが
       見入ってしまう。
       『おおかみこどもの雨と雪』 細田 守(ほそだ まもる)監督・46歳だった。

       宮崎ワールドとは違う。
       キャラクターの表情を較べてみる。

  
       

       
       ナウシカ

       
       もののけ姫

       
       かぐや姫

       
       のんのんびより


       「のんのんびより」はアニメというより漫画ですね。ここに並べるのが違うかな。



       

       

       



       日常世界の設定であるけれども、情感というのか、描き方が新鮮で魅力を感じる。
       "おおかみ"に変身するという、精神の高揚・激昂状態という非日常、
       そのドラマチックな、アクション的な描写になるのだが、それも素晴らしい。



       
       


       姉は、人間世界にとどまる。



       
       
       


       弟は、自然に戻る。

       母は、必死にもがくが、すべてを見届ける。



       
       
       
       



       
       

       細田守と宮崎駿にはふたつの接点があったようです。

   スタジオジブリの研修生採用試験では絵を2枚以上描いて提出する一次試験で150枚以上提出。
   宮崎駿から「君のような人間を(ジブリに)入れると、かえって君の才能を削ぐと考えて、
   入れるのをやめた」と書いた手紙を貰ったが、「雑用係でもいいから入れてください」とジブリに
   電話をすると「今回の試験で宮崎さんが手紙を出したのは、全受験者中二人しかいない。その一人が君で、
   これは光栄なことだから、おとなしく諦めなさい」と言われた。

   2000年、次代を担う若手監督を探していた宮崎駿により『ハウルの動く城』の監督に選ばれて、
   スタジオジブリに出向。しかし細田版『ハウルの動く城』は制作途中で企画そのものが中止となった。
   のち監督・脚本が宮崎駿へと変更されて公開されたが、細田にとってこれは「これでアニメ業界で
   生きていくのは終わった」と思ったほどの一大事件であった。



   細田は「ポスト宮崎駿」と言われることがあるが、『週プレNEWS』によれば、このことについて尋ねられた際に、
   「あくまで自分の「面白い映画」を作りたい」「宮崎駿的なものだったら、宮崎さんが作ればいい」と
   答えている。






グラマン・ヘルキャット物語 ( 零戦、最大の敵 )    12.22.

2013-12-22 17:33:41 | Weblog

   映画「永遠の0(ゼロ)」(山貴監督)がきのう・21日公開されました。
   興行収入見込み60億円の好スタートで、今年の公開実写作ではダントツ
   であったそう。
   原作の百田尚樹さんは「(試写から見るのは)7回目です!山貴監督
   は日本一!」と大絶賛されたと。

   わたくしの感激は、戦後68年にしてようやっと日本人が真っ向からあの
   戦争を(零戦を)描いたということです。
   山貴監督は49歳、昭和39年生まれです。主役たちはさらに、お若い。
   NHKでも、零戦を搭乗者の視点からドキュメントしておりました。
   しかし、
   “零戦”、その搭乗員のことをわたくしとても触れることはできません。
   ということで、飛行機のお話しをいたします。
   お好きな方はどうぞ。


   


   これが“グラマンF6Fヘルキャット”です。
   零戦対策として開発対応されたと聞いていましたが、そうではなかったという
   のです。

      F6Fは、一般的に零戦に対抗するために急遽開発された機体であるように紹介される事があるが、
      開発時期からいっても、元々F4Uコルセアの開発が失敗した場合の保険的な開発であった事からも、
      これは誤りである。これも上述のように、機体設計からして零戦とは正反対の性格の機体である。

      アメリカ海軍の本命は1940年に初飛行したF4Uであったが、実際には開発時期が遅い
      F6Fが艦上戦闘機の主力となった。


   


   これが“F4Uコルセア”です。
   角度のある低主翼がカッコイイ。美形ですよね。

      グラマンの愛称“ヘルキャット”は、直訳すると「地獄の猫」であるが、「性悪女」
      「意地の悪い女」という意味がある。

   のだそうです。

      癖がなく未熟なパイロットにも扱いやすい操縦性と、生残率を高めるパイロット背面の
      堅牢な装甲板、自動防漏タンクなどの装備に加え、良好な運動性能があり、格闘戦を得意とする
      日本の戦闘機を撃破するには最適の機体で、折畳み式の主翼を備え一隻の航空母艦に多数が
      搭載可能であったこともあって大戦中盤以降、機動部隊の主力戦闘機として活躍し、
      日本の航空兵力殲滅に最も貢献した戦闘機となった。
      無難で堅実な設計が、期せずして対日本機に最適の性能を発揮する事になったのである。


   

   


      弱点は2,000馬力級の戦闘機としては低速だった事であるが、それでも零戦や隼など、
      日本の1,000馬力級戦闘機よりは優速であり、必要にして十分であった。
      限られた出力の発動機で最大限の性能を発揮するため極力まで軽量化された零戦に対し、
      大出力の発動機を得て余裕のある設計がなされたF6Fは全く正反対の性格の戦闘機であり、
      日米の戦闘機設計に対する思想の差を象徴しているとも言える。


   

   


      F6Fは大柄ながら2,000馬力級のエンジンを搭載していたため、軽量ゆえに海面上昇率に優れる
      零戦と比較して、ほぼ同じ海面上昇率であった。また、ズーム上昇は急降下で速度を稼げる
      F6Fの方が零戦よりも優れていた。さらに、急降下性能、武装、防弾性能、横転性能、旋回性能も、
      時速400km以下の速度域以外では零戦より優れていた。

   あの零戦の凋落が始まった。

      一撃離脱戦法に徹することの多いP-38やF4U、P-47などに比べ、横転が素早くある程度格闘戦も
      こなしてみせたF6Fを「もっとも嫌な相手」に挙げる日本軍搭乗員は多い。
      坂井三郎は、零戦でF6Fと戦った体験を「ここまで零戦の旋回に付いて来られる奴は今までなかった」
      「他の奴ならとっくに撃墜している」と回想している。

      1944年6月の硫黄島における第三〇一海軍航空隊との戦いでは、経験を積んで自信をつけたためか、
      積極的に格闘戦を挑むF6Fの姿が目撃されている。

      また、零戦とF6Fが1対1の格闘戦を行い、双方弾薬を射ち尽くして引き分けた事例もある。


      


   このパワフルだが、ずんぐりとした機体をパイロットたちは嫌ったのだろうか。
   零戦などに対抗した倍の出力エンジンである。

   日本も零戦などの後継機を開発するのだが、間に合わない。
   国力の差は歴然であった。


      前述の通りF4Uの「保険機」であったため、太平洋戦争終盤になってF4Uが艦載機として
      配備されるようになると徐々に第一線からは引き揚げられ、第二次大戦が終結すると急速に退役した。
      終戦の報を受け、搭載していたF6Fを海に投棄して帰投した護衛空母もいたことが
      当時の搭乗員のインタビューとして記録されている。
      戦後は後述のF6F-5Kが朝鮮戦争で実戦使用されたのみである。


   海に投棄されたF6Fとは、あまりにクール過ぎるし、ドラスティック過ぎる。
   “ヘルキャット”(「性悪女」「意地の悪い女」)は嫌われてしまったのか。

   「日本の航空兵力殲滅に最も貢献した戦闘機・グラマンF6Fヘルキャット」は
   あっという間に通り過ぎてしまったのか。

      初飛行:1942年6月26日
      生産数:12,275機
      生産開始:1942年
      退役:1954年(USN)

   零式艦上戦闘機のデータは
      初飛行:1939年(昭和14年)4月
      生産数:10,430機
      運用開始:1940年(昭和15年)7月
      退役:1945年(昭和20年)8月

   生産数を見ていただきたい。
   この差にはあ然としてしまいました。


   



ゴルフ日記(2013年12月20日)    12.21.

2013-12-21 15:55:54 | Weblog
       

       20日・金曜日にゴルフをしました。ことしの"打ち納め"です。

       デジカメしませんでしたから、絵はなにも関係ありません。





       



       19日がプレー予定日だったのですが、低気圧と前線と寒気で大荒れになるということで
       前日の夕方に中止と決めました。
       バッグを送ってあるのだから、翌日やっちゃおうよと声をかけたら、4名OKとなりました。
       が、その翌日(20日のこと)も天気はたいへんに不安定であると予報がかたまっていき、
       1名脱落しました。

       結果、20日の早朝まで雨が降っており、わたくし達がプレーを上がった14時半を過ぎると
       しばらく土砂降りがありました。
       そう、そうなんです。わたし達は風もなく、後半には太陽が顔を出したり、暑くも寒くもない
       という
       ほぼベストな状態の中で愉しむことができたのであります。
       最後の2、3ホールは少し風を感じるようになり、少し寒い大気を感じるようになりました。
       そのくらいです。

       3名は同い年の男で、脱落者は女性でした。
       わたくしとひとりの男は、よくこのコースでプレーしていますが、もうひとりは初めて。
       ふたりの男は、たいへんな"飛ばし屋"で、ひとりはうまい。
       わたくしは単なる"好きもの"ですね。





       
       この絵のまん真ん中、雲の上にジェット機が飛んでいます。



       ふたりの男はほぼ満足したようです。うまい方はショットが絶好調で、ゼッタイの満足ですよ。
       このコースで一番だと思うよ、と言ってました。
       初めての男は、こんないい感じでプレーできたのが素晴らしいとロッジで申しておりました。
       3回くらい言ったと思うな。

       わたくしは、ショットはほぼ安定していましたが、パットがまるでダメ。後半少し感覚が戻る
       ように思いましたが、やはりだめ。でも、ティー・ショットのテークバックのタイミングが
       わかったように感じて、それなりにまあ満足でした。

       うまい男と某JR駅の駅前の"三州屋"でもう一度飲みましたが、これも愉しかった。
       開始時刻17時ちょうど。あとで調べたら"三州屋本店"でしたよ。
       おしまい。