![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/f2/17f5587a543ab1a4eba6b4ea0688e675.jpg)
夏(か)王朝は、伝説上であったそうだが、最近ほぼ特定されたらしい。
河南省二里頭村(にりとうむら)で発掘された遺跡が夏王朝の中心である
宮殿跡と大規模集落跡とされたらしい。
4000年の昔のお話しだ。
冒頭の映像は、そこで発掘された“龍”である。
(番組では、そのスケール・大きさがわかりませんでした)
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NHKは、今の中国をここまで遡って解明しようと構えている。
このあたりは、お得意なんでしょうね。
夏(か、紀元前2070年頃 - 紀元前1600年頃)(B.C.2000頃~B,C.1600とされている
意見もある)は、中国最古と伝承される王朝。夏后ともいう。夏・殷・周を三代という。
『史記』『竹書紀年』など中国の史書には初代の禹から末代の桀まで14世17代、
471年間続いたと記録されている。
殷に滅ぼされた。
従来、伝説とされてきたが、近年、考古学資料の発掘により実在可能性が見直されて
きている。
全体をなぞっても致し方ないので、興味部分のみで。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/3a/6b0ec888b9ffc216334e23444f5eec25.jpg)
トルコ石のモザイクタイルで表現された「龍」です。
宮殿の構造、「礼器(れいき)」と呼ばれる儀式の小道具、厚さの薄い青銅製品の
「銅爵(どうしゃく)」、龍の文様の入った「玉璋(ぎょくしょう)」など。
これらは、「宮廷儀礼」というシステムに集束する。
武力も当然あるが、ソフトパワーである文化のシステムがこの時期に成立した
という。それらは、最終的にはなんと「清王朝」にまで引き継がれていると
いうのだ。
すべては、“夏”にはじまるという位置づけなんですね。
「宮廷儀礼」は、神ではなく、皇帝にひれ伏すという形態であって、人間対人間なのです。
ほかの文明では、王・皇帝のうしろに神がいるわけです。
このシステムは、秩序を、また身分を固定させるシステムであるわけです。
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これは、「玉璋(ぎょくしょう)」です。
玉璋は東の山岳地域で神の祈りに使われていたもので、
「龍」は中国東北部で信仰されていた精霊で、この時代の時に文化として取り込んで
王の権威として使用し、宮廷儀礼で使用され始めた。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/7c/475362d6dfaacbea0f79d4bb3a41ee31.jpg)
この王の権威としての玉璋であり、「龍」でありました。
その拡がりは、つぎの範囲です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/1c/80c207ac679666d40f91cc90384e9269.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/69/4e1deded29e78e72415704573fb0b916.jpg)
上の先生は香港の大学の研究者です。
「龍」という存在が、これから展開されるのでありましょう。
つづく。