宮さん、などとなれなれしいか。
宮崎駿監督の『崖の上のポニョ』を観ました。
やっぱり、宮崎さんの“ファンタジー力(りょく)”というか“パワー”に
圧倒されました。
宮崎が「紙に描いて動かすのがアニメーションの根源。そこに戻ろうと思う。もう一遍、
自分たちでオールを漕ぎ、風に帆を上げて海を渡る。とにかく鉛筆で描く」という意向を固め、
コンピューター(CG)を一切使わず、手書きによって作画されることとなった(ただし作画以降の彩色・
撮影はデジタル)。作画にコンテを使うなど、絵のタッチは素朴なものになり、
これまでのジブリと違った新しい試みになっていると鈴木敏夫は話している。
特に海(波)の描写に力を入れているという。
わたくしも当時、CG全盛の中で「鉛筆での手描き」ののろしを上げたことに
注目していた。
それは、優しく、のどかに思われます。
少年は5歳の宗介くん。
ポニョは、「人間になりたい」と願うさかなの子という。
物語りは、かなり乱暴にファンタジーの世界を展開していく。
魅力的なキャラクターが配置されているが。
25歳のお母さん・リサ 、
トキ・ヨシエ・カヨ(「ひまわりの家」の利用者たち)、
クミコ ・カレン(「ひまわり園」の園児で、宗介の女友達)、
フジモト(ポニョの父。嘗ては人間だったが、現在は海の眷属(けんぞく)として生きる魔法使い)、
グランマンマーレ(ポニョの母。フジモトの妻でもある。公式設定では海なる母とされており、海全体の女神のような存在)、
ポニョの妹達(百匹近くもの数がいる)、
水魚(フジモトが操る魔物。一見するとただの波のようだが、目が2つあり自分の意思を持つ)、などであるが、これらは観たあとネットで知ったものだ。
乱暴さ加減を見ていきます。
あの崖の上にある宗介のウチが、海に埋まっている。
おそらく、地上50mくらいあるんじゃないかな。もっとか?!
宗介は、オモチャの自分の船をポニョの魔法で大きくしてもらう。
さて、これからは好きな人は好きですね。
宮崎さんの飛行機好きの空間感覚が面白く、愉しい。
それこそ、自由に羽ばたいていらっしゃる。
海岸沿いの街がご覧の通り。
宗介とポニョのおもちゃの船もご覧の通り。
なぜか、古代魚が回遊する。タコくんもからむ。
古代魚はこんなにも大きいのかな。
このドームの中で人たちは呼吸していて、物語りはつづく。
魔法を使うとポニョは眠くなってしまうのだそうだ。
誰もが意識下深くに持つ内なる海と、波立つ外なる海洋が通じあう。
そのために、空間をデフォルメし、絵柄を大胆にデフォルメして、
海を背景ではなく主要な登場人物としてアニメートする。
少年と少女、愛と責任、海と生命、これ等初源に属するものをためらわずに描いて、
神経症と不安の時代に立ち向かおうというものである。
宮崎 駿
と、ホームページにありました。
ここで取り上げますと、終わりになってしまうと
思わなくもありませんが、
健在でいらっしゃる。
ちょっと前、細田守監督(44)知ってしまいました。
にぎやかになって、いいなと思いましたが、
ある危惧も感じました。
宮崎の作品としては2004年の『ハウルの動く城』に続く4年ぶりの作品で、
原作・脚本・監督の3つすべてを担当するのは、2001年公開の『千と千尋の神隠し』以来7年ぶり。
2008年7月19日、公開。
海を舞台にした作品は、宮崎がいつか描きたいと長年夢見てきたが、「波を描くのが大変」という理由で、
今まで踏み切れずにいた。2004年11月にスタジオジブリの社員旅行で訪れた瀬戸内海の港町である
広島県福山市の鞆の浦(とものうら)を非常に気に入り、準備として2005年の春、
鞆の浦の海に隣した崖の上の一軒家に2ヶ月間滞在し、さらに2006年夏、単身でこもった。
本作の構想もこの時に練り自身を追いつめる姿がNHKで放送された。
この宮崎の行動に対し、妻の出した条件は「生きてる証拠として、毎日絵手紙を出すこと」だった
という。