海上保安資料館横浜館のお話しの前に、別のお話しをひとつ入れます。
2つになるかもしれません。お許しを。


横浜に着くまでに、いくつかのテーマの見学がありました。
そのひとつが「日本で最初のジェットエンジン《ネ20》(1945年、“橘花”に搭載)」
の見学です。ジェットエンジンというものを観るのです。
それは、ある大きな企業の資料館とでもいうところに陳列されていました。
2つしか残っていません。もうひとつはスミソニアン航空宇宙博物館です。
そこには“橘花”(きっか)自体もあるようです。


アメリカ軍に接収された“橘花”。上はスミソニアンかどうか不明です。
試作機“橘花”は1945年(昭和20年)6月に完成し、エンジンの耐久試験もパスしたあと、
飛行試験を行うため木更津基地に運ばれ、エンジンと機体が組み合わされた。
8月7日に松根油を含有する低質油を16分間分だけ積んだ軽荷重状態で飛行を行い、
12分間の飛行に成功する。
これが日本で初めてジェット機が空を飛んだ瞬間であった。


ちょうどこのころアメリカでは、同国初のジェット戦闘機であるロッキード社の
P80Aジェット戦闘機の軍への引き渡しが始まっており、ようやく月産30機に達しようと
していたが、まだ実戦配備は進んでいない状況であった。なお連合国のイギリスは、
1944年(昭和19年)7月にグロスター ミーティアの実戦配備をすでに行っていた。

同時期に登場したP-80ジェット戦闘機の試作機XP-80A。機体形状は低翼。

グロスター ミーティア。イギリスの航空機メーカー、グロスター・エアクラフト社が開発した
連合国軍側初の実用ジェット戦闘機。
ドイツ空軍の世界初の実用ジェット戦闘機メッサーシュミット Me262 に遅れること数週間で
実戦配備された。
そうなんです。ドイツがもっとも早かったんですね。
《 メッサーシュミットMe 262 A 》が、それです。
日本はそのエンジンが欲しかった。
かろうじて1枚か、2枚の図面を手に入れるのですが、ここにも
過酷なドラマがあります。

メッサーシュミットMe 262 A です。

資料館に置かれていたメッサーシュミットの額です。敬意あり。

その図面のようです。
ドイツから得たMe262に関する情報は、潜水艦が撃沈されたためにシンガポールで
零式輸送機に乗り換えて帰国した巌谷中佐が持ち出したごく一部の資料を除いて
失われてしまいます。
「資料の肝心な機体部分やエンジンの心臓部分の設計図が存在せず、
結果的に大部分が日本独自の開発になった」。
これは、日本にとって結果的にはラッキーというべきかも知れません。
戦後に行われた各国のエンジンの検証で、かなりの評価を得たといいます。
しかし、大戦でジェット機は目立った成果を上げてはいません。
間に合わなかったということですね。
日本に到っては、昭和20年8月7日の初飛行で12分東京湾上空を飛んで
それで終わりました。
朝鮮戦争では、もはやジェット戦闘機の時代でしたね。