以下、コメント欄からコピペ
今回の総選挙の騒ぎは、AKBビジネスや秋元康さんの特殊な手法が内包していた様々な問題点、矛盾、限界が、これまではある程度抑えられていた内部の焦りと不満の鬱積とともに、AKBの人気が下降線を辿るとことによって、1人のメンバーの変則的な言動という形で現れたのでは
Unknownさん、コメントありがとうございます。
正に「抑えられていた」という視点が重要というか、なんであれ「問題点、矛盾、限界」は存在するわけで、それが表面化する、実際に「問題点、矛盾、限界」として実効性を現すかどうかが、重要なんだろうと思います。
誤解を招かないように繰り返しになりますが、「問題点、矛盾、限界」は常に存在し続けてきたわけで、AKBGの規模の拡大とともに、「問題点、矛盾、限界」もまた、拡大し続けてきた。けれども重要なのは、それが露出し実害をもたらすに至るのかどうかです。
議論を思いっきり単純化してしまいますが、AKBGという巨大組織には、誰でもわかりやすいような政治的な意味での権力機構が、少なくとも表立っては見えません。秋元氏が、あるいは「運営」が、権力者だと考える向きもあるのでしょうが、少なくとも私は、必ずしもそのようには考えていないというのは、既述の通りです。
このあたり、かつての高橋総監督時代がむしろわかりやすかったのですが、AKBGとは自律的な運動体なんであり、自己組織化共同体だった。高橋さんはインサイダーにしてある種の触媒、あるいは多次元の結節点として機能していたのであって、そこに「権力」はなかったと考えます。それでも「自治」は成立してた。
けれどもAKBGの拡大に伴って、自己組織化共同体の成立要件としての散逸構造というアスペクトが決定的になっていく。未知の外部性の侵入と、組織としての再構成の連続が必須となる。インサイダーによるコントロール(自治)から、アウトサイダーによるコントロール(外乱)の顕在化という過程をたどる。そこを見事にグラスプして見せたのが、指原さんなんだと考えられます。
議論が雑なのをご容赦いただきたいのですが、かくして、外部性という決定的要素をあたかも把持してるかのように、比喩としてはサーフィンしてみせる指原さんが、AKBGという巨大組織の、擬似的ではあっても「権力」として機能するようになってしまった。
それが前回の選抜総選挙までの大枠の流れとして、捉えられることができるかと考えます。総選挙は、そんな「構造」の表面的な現れ、誤解を恐れつつ書いてしまいますが、ある種のマウンティングの場として機能することになってしまった。実態とはまったく異なる、けれども指原さんは、疑似「権力」を獲得するに至ってしまったと考えます。
もちろんここで言う「権力」とは、ポリティカルパワーなんかではありません。むしろ「権威」という比喩の方が、より実態に近いのかも知れない。けれども、それが行使されなくても、実効性を持つことは自明なんであり、やはりそれは「権力」として機能したと考えても、あながち間違いとは言えないと思います。
その指原さんの総選挙における不在が、「権力」の不在を惹起せざるを得なかった。いや、ここでは現実世界の抑止力の比喩がより有効でしょう。抑止力という「力」の空白は、権力闘争を、紛争を、軍事衝突を、必然的に引き起こしてしまう。その上で、次なる支配者を、権力者を悪魔のように希求してしまう。当人達にその意思がなくても、そうなってしまう。ならざるを得ない。
「AKBの人気が下降線を辿る」という要素もあったかも知れませんが、それは「問題点、矛盾、限界」の露出のハードルを下げる働きをしたかも知れませんが、今回の「事態」に際しては、必ずしも決定的とはならなかったようにも思います。
今回の総選挙の騒ぎは、AKBビジネスや秋元康さんの特殊な手法が内包していた様々な問題点、矛盾、限界が、これまではある程度抑えられていた内部の焦りと不満の鬱積とともに、AKBの人気が下降線を辿るとことによって、1人のメンバーの変則的な言動という形で現れたのでは
Unknownさん、コメントありがとうございます。
正に「抑えられていた」という視点が重要というか、なんであれ「問題点、矛盾、限界」は存在するわけで、それが表面化する、実際に「問題点、矛盾、限界」として実効性を現すかどうかが、重要なんだろうと思います。
誤解を招かないように繰り返しになりますが、「問題点、矛盾、限界」は常に存在し続けてきたわけで、AKBGの規模の拡大とともに、「問題点、矛盾、限界」もまた、拡大し続けてきた。けれども重要なのは、それが露出し実害をもたらすに至るのかどうかです。
議論を思いっきり単純化してしまいますが、AKBGという巨大組織には、誰でもわかりやすいような政治的な意味での権力機構が、少なくとも表立っては見えません。秋元氏が、あるいは「運営」が、権力者だと考える向きもあるのでしょうが、少なくとも私は、必ずしもそのようには考えていないというのは、既述の通りです。
このあたり、かつての高橋総監督時代がむしろわかりやすかったのですが、AKBGとは自律的な運動体なんであり、自己組織化共同体だった。高橋さんはインサイダーにしてある種の触媒、あるいは多次元の結節点として機能していたのであって、そこに「権力」はなかったと考えます。それでも「自治」は成立してた。
けれどもAKBGの拡大に伴って、自己組織化共同体の成立要件としての散逸構造というアスペクトが決定的になっていく。未知の外部性の侵入と、組織としての再構成の連続が必須となる。インサイダーによるコントロール(自治)から、アウトサイダーによるコントロール(外乱)の顕在化という過程をたどる。そこを見事にグラスプして見せたのが、指原さんなんだと考えられます。
議論が雑なのをご容赦いただきたいのですが、かくして、外部性という決定的要素をあたかも把持してるかのように、比喩としてはサーフィンしてみせる指原さんが、AKBGという巨大組織の、擬似的ではあっても「権力」として機能するようになってしまった。
それが前回の選抜総選挙までの大枠の流れとして、捉えられることができるかと考えます。総選挙は、そんな「構造」の表面的な現れ、誤解を恐れつつ書いてしまいますが、ある種のマウンティングの場として機能することになってしまった。実態とはまったく異なる、けれども指原さんは、疑似「権力」を獲得するに至ってしまったと考えます。
もちろんここで言う「権力」とは、ポリティカルパワーなんかではありません。むしろ「権威」という比喩の方が、より実態に近いのかも知れない。けれども、それが行使されなくても、実効性を持つことは自明なんであり、やはりそれは「権力」として機能したと考えても、あながち間違いとは言えないと思います。
その指原さんの総選挙における不在が、「権力」の不在を惹起せざるを得なかった。いや、ここでは現実世界の抑止力の比喩がより有効でしょう。抑止力という「力」の空白は、権力闘争を、紛争を、軍事衝突を、必然的に引き起こしてしまう。その上で、次なる支配者を、権力者を悪魔のように希求してしまう。当人達にその意思がなくても、そうなってしまう。ならざるを得ない。
「AKBの人気が下降線を辿る」という要素もあったかも知れませんが、それは「問題点、矛盾、限界」の露出のハードルを下げる働きをしたかも知れませんが、今回の「事態」に際しては、必ずしも決定的とはならなかったようにも思います。
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