AKB48の旅

AKB48の旅

NHKBS「乃木坂46 SHOW!」

2014年03月03日 | AKB
正直、取扱注意な感じなんだけど、おそるおそる書いてみよう。3月1日の「AKB48 SHOW!」が「乃木坂46 SHOW!」だった、という言い方をするとなんか変な気もするけど、まあ良いか。テレビ番組としては、この「AKB48 SHOW!」が今一番の楽しみなんで、その乃木坂バージョンがどうなるのか、興味津々だった・・・んだけど。

まず前提として、乃木坂については最低限の知識しかないことは、エクスキューズとして断っておかないといけない。名前と顔が一致するメンバーは、白石麻衣、松村沙友理、橋本奈々未、桜井玲香、生田絵梨花、生駒里奈、西野七瀬、高山一実、秋元真夏、堀未央奈(敬称略)くらいまでの、いわゆる八副神±αまで。なんで、エラソにもの申す資格はないのかも知れない。

冒頭の桜井さん、生駒さんのコントは、素直に見れた。この辺りはずいぶん昔に書いた切りになってるけど、生駒さんには好印象というか、なんでAKBじゃなくて乃木坂なの、みたいな感想を持ってたし、桜井さんについても、特に悪い印象とかはなかった。けれども、「制服のマネキン」になったところで違和感というか、強いて言うなら微妙な嫌悪感のようなものが湧いてきてしまった。

この嫌悪感のようなものの正体は何なのか、それにはっきり自覚的になれたのは、ラストの「君の名は希望」を見たときだった。この曲については、亡くなられた佐久間氏との絡みで何度か扱わせていただいたけど、当然のように、そんな思いとの対比という、そんな羽目に陥ってしまわざるを得なかった。

比較の危険性というか、妥当な枠組みの設定とかに留意しないと、いろいろ誤解とか偏見とかに囚われてしまうもんなんで、そこら辺が我ながらに口ごもるべき所なのかも知れないけど、それでも書いてしまえ。グループとしての乃木坂が纏う、なんだろう、この虚構感、地に足が着かない浮遊感、個々のメンバーのリアルが隠蔽されてるかのような不透明感。プラスしての、表情とかからも醸し出される作り物感。

うまく表現できてないのは分かってるんだけど、雑な言い方に落ちてしまえば、上っ面の作り物な感触からの、その向こう側にあるはずの人としての個の存在のあやふやさとでも言って見ようか。誤認であることは分かってるつもりでも、それでもこの乃木坂に漂う嘘っぽさが、なんかいろいろ邪魔をする。とりわけ「君の名は希望」がきつくなる。どっか「やめてくれ」な感情が湧いてきて、それが嫌悪感へと繋がって行く。

うまく説明できてる自信はないし、たぶん私の一方的な偏見なんだろうとは思う。それでも、たまたま続けて「COUNT DOWN TV」のAKB選抜のフルメンバーを見てしまうと、それは否が応でも確信となってしまう。AKB選抜のあまりの凄さ、素晴らしさ。全員が攻めの姿勢で外に向かってて、表情や立ち居振る舞いが溌剌としてて自由で、それぞれの個が浮き立つ。存在感が際立つ。それでいて統率が取れていて、全員がそれぞれの役割を自覚し、引き受けてる。

典型的な「比較」視点というか、「対立厨」な物言いだけど、乃木坂がそんなAKB選抜の真逆に見えてしまう。だから、とりわけ「君の名は希望」が纏う佐久間氏との物語、人の生死が絡むまでの重い物語、ある種の「聖性」との齟齬が、不愉快な不協和音と感じられてしまうんだろう。

なんか纏まらないけど、乃木坂の明日はどっちだ、とか言ってみようか。今回の「交換留学」が、その答を見つけ出すきっかけになるんだろうか。生駒さんは「分かる」として、松井Rさんは、どんな化学変化を、とりわけ乃木坂にもたらすことになるんだろう。

あとは、アイドルと「聖性」の関係性だけど、この件については、また気が向いたらと言うことで。

1 コメント

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Unknown (通りすがりのぽんこつ)
2014-03-04 18:35:16
”グループとしての乃木坂が纏う、
なんだろう、この虚構感、
地に足が着かない浮遊感、
個々のメンバーのリアルが隠蔽されてるかのような不透明感。
プラスしての、表情とかからも醸し出される作り物感”

以上、引用しましたw

・・・のように乃木坂は作られていると考えています。
48G以前の虚構のアイドルの在り様を正確に。
劇場を持たない以上、そうならざるを得ないのかもしれません。

それにしても「乃木坂46show」、
大組閣へのアレルギー反応には呆れたかな・・・。
何の努力も無しに勝手に向こうから転がり込んできた凄まじい好機なのに。

今の48Gと比較するのはあまりにも酷というものでしょう。
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