三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「違国日記」

2024年06月22日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「違国日記」を観た。
映画『違国日記』|大ヒット上映中

映画『違国日記』|大ヒット上映中

映画『違国日記』公式サイト

映画『違国日記』|大ヒット上映中

 人間関係におけるパターナリズムは、立場の強い人間が、お前のためだと言って立場の弱い人間に強制したり介入したりすることだ。かつてのスポ根ドラマで、指導教官や監督が生徒を殴ったり、丸坊主にしたりするのは、独善と権威主義のハイブリッドで、非常にたちの悪い精神性である。「その口の利き方はなんだ」と怒鳴るのは、自分が上で相手が下だという上下関係の意識、つまり権威主義が根底にある。

 ただ、親子の関係は、もっと複雑になる。親には子供の安全や健康を守る義務、成長させる義務、教育を受けさせる義務などが課せられている。過保護からネグレクトまで、親の態度の振り幅はかなり広い。
 つまり親は、パターナリズムに陥らないように自省しながら、子供の行動を制限したり、ときには強制しつつ、一方では親としての義務を果たさなければならず、そのバランスが難しい。

 パターナリズムの被害に遭った人は、たくさんいると思う。被害を与えた側は忘れてしまうことがあっても、受けた側は決して忘れない。パターナリズムに遭った経験は、人格の危機である。決して許すことはできない。
 新垣結衣が演じたマキオがパターナリズムの被害を忘れず、決して許さないのは当然だ。独善主義の権威主義者は、自身の人格が破綻していることに気づかないまま、他人の人格を壊そうとする。ヒトラーも東條英機も安倍晋三もそうだった。なるべく関わらないほうがいい人物であり、決して共同体の指導者にしてはいけない人物だが、いかんせん、こういう人物は世に溢れている。常に見極めることが大事で、マキオが嫌悪し続けたように、我々もそういう人物を嫌悪しつづける必要がある。いちばん大事な教育は、パターナリズムに負けない精神性を教えることだ。

 マキオはアサに上手に伝えることが出来たと思う。アサはまだ理解できないが、言葉は覚えているだろう。いつかパターナリズムの被害に遭いそうになったとき、マキオの言葉を思い出して、危機を回避できるかもしれない。

 アサの子供っぽいこだわりを聞いて、マキオは「面倒くさ」と吐き捨てる。子供ながらの独善を本人に気づかせると同時に、ひと言で否定してみせる。アサは他人の人権を意識しはじめる。別の言い方をすれば、思いやりを知ることができた。パターナリズムの母親から自由人のマキオに保護者が変わったことで、アサの人生が変わったのである。
 では、マキオの方はどうか。夏帆が演じた友人は「エポックだね」と言う。フランス語で時代とか、変わり目を意味する言葉だ。ベル・エポックというと、いい時代ということになる。同じ名前の美味しいシャンパンがある。ヘミングウェイとダリがパリにいた時代も、そう呼ばれる。アサとの暮らしは、マキオにとってもベル・エポックとなったはずだ。

 ところで、新垣結衣の箸の使い方がとても美しいことに気づいた人は多いと思う。箸は正しい持ち方をすることで、効率よく使うことができる。言葉も同じだ。マキオの言葉からは独善が排除され、思いやりと率直さがある。晴れやかな映画だった。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。