三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「屋根裏のラジャー」

2023年12月17日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「屋根裏のラジャー」を観た。
『屋根裏のラジャー』公式サイト

『屋根裏のラジャー』公式サイト

スタジオポノック最新作『屋根裏のラジャー』12月15日(金)劇場公開!『メアリと魔女の花』以来、6年ぶりとなる全世界待望の長編アニメーション映画。誰にも見えない少年...

『屋根裏のラジャー』公式サイト

 原作小説のタイトルは「The Imaginary」である。中学生の英語で習ったように、the+形容詞ということで直訳すると「◯◯な人々」で、imaginaryは想像上のという意味だから、「想像上の人々」というのが原作小説の直訳だ。本作品では「想像上の存在」だろう。
 Rogerは人名のロジャーだが、米兵が通信で了解のときにも使う。そちらの発音はラジャーである。アマンダは元気よく返事をしてくれる友だちを想像して、ラジャーという名前をつけたに違いない。想像というよりも、妄想に近い。
 妄想するのは子どもだけとは限らない。大人でもよく妄想する。大抵の場合は被害妄想で、受けてもいない被害で怒ったり、悩んだりする。しかし前向きな妄想もある。空を飛ぶ、地球の裏側にいる人と通信する、月に行くなど、多分最初は妄想から始まったはずだ。それを否定しない豊かな心の持ち主が、科学者となって妄想を現実に変えたのだ。

 子どもの妄想は、普通はその子どもの心の中だけで完結する。他人には話さない。縦だけの関係だ。しかし本作品は、妄想同士が触れ合い、コミュニケーションを取り合えば、面白いファンタジーになるだろうという妄想で作られている。横の関係である。妄想たちはコミュニティを作ることもあるかもしれない。猫の会議みたいなものだ。野良猫と飼い猫が一堂に会して、情報交換をする場である。猫たちは、飼い主の噂をしたり、じゃれ合ったり、悩みを話したりするのかもしれない。妄想たちも同じようにしていると考えれば、世界が広がっていく。

 妄想は現実には勝てないと、Mr.バンティングは言う。そうだろうか。現実を辛く感じている子どもは、妄想にこそ、生きる意味を見出していることもあるだろう。妄想が現実を支えているのだ。人間の無意識の世界は広大である。精神世界の大半は無意識で、意識は広大な海に浮かぶ小さな島のようなものだという脳科学者もいる。夢を見る脳の働きを担っているのは、殆どが無意識の領域だ。
 悪魔の物語をするときに、悪魔がどういう理由で存在しているのかを説明することはない。Mr.バンディングは悪魔のようなものだろう。想像するから、存在するのだ。説明不要の絶対悪の存在である。ファンタジーには必要な要素のひとつだ。

 そんなことを前提にして、本作品の物語は様々な方向に展開していく。空も飛べるし海にも潜れる。自由自在なのが妄想だが、必ずしも自分にだけ都合がいいとは限らない。そこが潜在意識の面白いところで、都合が悪くなる状況も同時に想像する。ファンタジーはどこまでも広がっていくのだ。
 どういうふうに収拾をつけるのか、作者次第であるが、どんな結末でも、子どもたちは受け入れるだろう。子どもたちの想像力は意外と複雑で、必ずしもハッピーエンドを求めている訳ではない。不幸な結末でも、それなりに受け入れるのだ。

 寺田心くんはやっぱり上手い。安藤サクラ、山田孝之、杉咲花といった大人たちが脇を固める中で、微妙な立場にあるラジャーの心を繊細に表現していた。演出も音楽もアニメーションもとてもよくて、大人も楽しめる上質なファンタジーに仕上がっていると思う。

映画「Le pot-au-feu de Dodin Bouffant」(邦題「ポトフ 美食家と料理人」)

2023年12月17日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「Le pot-au-feu de Dodin Bouffant」(邦題「ポトフ 美食家と料理人」)を観た。
映画『ポトフ 美食家と料理人』公式サイト

映画『ポトフ 美食家と料理人』公式サイト

第76回カンヌ国際映画祭監督賞受賞 12月15日(金)Bunkamura ル・シネマ渋谷宮下、シネスイッチ銀座、新宿武蔵野館ほか全国順次ロードショー

映画『ポトフ 美食家と料理人』公式サイト

 冒頭から延々と料理のシーンが続き、終わったと思いきや、今度は食事会が始まり、またしても料理のシーンが続く。これがとても楽しいから不思議だ。食べることはほとんどの人が好きだから、大抵の人は私と同様に、美味しそうに作る料理と、美味しそうに食べる食事のシーンを楽しく感じると思う。

 原題は映画サイトでは「Le pot-au-feu de Dodin Bouffant」(ドダン・ブウファンのポトフ)となっているが、オープニングに出るタイトルは「La Passion de Dodin Bouffant」(ドダン・ブウファンの情熱)である。多分こちらが正式のタイトルなのだろう。ポトフはドダンの挑戦のひとつではあるが、主なテーマはドダンの料理に対する情熱だ。それに愛。

 ジュリエット・ビノシュが料理人のウージェニーを演じているのだが、映画「Winter Boy」で演じた愚かな母親とは打って変わって、ウージェニーは、知恵と料理人としてのポテンシャル、それに優しさに満ちた、人間的に深みのある女性である。素晴らしいお尻の曲線も含めて、満点の演技だった。
 相手役のドダンを演じたブノワ・マジメルもよかった。いっときは一緒に暮らして子供も出来たジュリエット・ビノシュと恋人役で共演するのは、心の整理が大変だっただろうと思うが、映画ではそんなことは微塵も感じさせず、ひたすらドダンに徹している。プロの俳優の矜持を感じた。

 オーギュスト・エスコフィエの名前が話の中で出て、38歳と紹介されていたから、本作品の時代は1884年か1885年だと推測される。打ち出しの銅鍋や銅のボウルが使われていて、ステンレスが普及した今となっては、逆に高級な調理器具となっている。ソースをきちんと作る時代だから、残滓を濾すシノワが大活躍している。そういった調理器具のひとつひとつや、燃える炭を使うコンロやオーブンなど、時代を感じさせるものがたくさん登場するのもいい感じだ。この時代はこの時代なりに工夫して調理をしていた訳だ。素材をやっつけすぎた料理の次は、ただ焼いただけの丸鶏を堪能したりしているところに、登場人物たちの食通らしさが浮かび上がる。彼らの気持ちが凄く分かる。

 アメリカ映画みたいな華々しい展開はないが、四季の食材を使って料理を作る喜び、食べる喜びと食べてもらう喜びが存分に感じられる。食を通じて、生きることを力強く肯定した傑作だと思う。