三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「ファミリー・ディナー」

2023年12月11日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「ファミリー・ディナー」を観た。
映画『ファミリー・ディナー』公式サイト|12月8日(金)公開

映画『ファミリー・ディナー』公式サイト|12月8日(金)公開

映画『ファミリー・ディナー』公式サイト|12月8日(金)公開

https://klockworx-v.com/dinner/

 料理と食事のシーンが何度も出てくる。香草がふんだんに使われるが、主役は肉だ。ホラー映画で肉料理のシーンが登場するとなれば、結末も見えてくるというものである。

 人が痩せたい動機は、主にふたつある。ひとつは、自分の見た目をよくしたいという願望だ。思春期以降は、殆どの太っている人は痩せたいと考えると思う。もうひとつは、健康のためである。生活習慣病の大きな原因のひとつに肥満があるのもあるが、太っていると、落としたものを取るのにひと苦労だったり、階段をちょっと登っただけでひどく息切れしたりする。もうちょっとスムーズな日常生活を送りたいというのが、健康のために痩せたい動機である。そして両方が目的というのが一番多い。本作品のシミーもそうだろう。

 一方で、食欲は人間の根源的な欲望である。できれば美味しいものを食べたい。日本人の中には、水族館で魚を見ると美味しそうだと思う人もいる。当方もそのひとりである。知り合いの中国人は、牛を見ると美味しそうだと思うそうだ。吉林省出身の彼は、犬も美味しそうに見えるときがあると言っていた。人食い族には、美味しそうに見える人間のタイプがありそうだ。
 食欲と並ぶ二大欲望が性欲である。ホラー映画には、このふたつの欲望が欠かせない。本作品は食欲寄りで、性欲の場面が少なかった気がするが、捕食される側には性欲の発散は似合わないから、これでよかったのだろう。
 食用の家畜を太らせることを肥育と呼ぶ。あれは肥育なのかと思わせるシーンがある。食べさせないでデトックスさせるシーンもある。本作品でおばさんが使うデトックスという言葉には、アサリに砂を吐かせるみたいなニュアンスがあって、やられるのがどちらかなのか、気になり始める。

 オーストリアのホラー映画では、ジェラルド・カーゲル監督の映画「アングスト/不安」を思い出す。理不尽な暴力を振るう男が主人公の不条理ホラーだった。本作品にも似たところがあるが、こちらは宗教絡みの黒魔術風味の作品だ。主人公が怖がらないところが似ていて、ドイツ語を話す人々の特徴かもしれない。そういえば、昭和の頃に、インド人は驚かないという都市伝説があった。

 終始、不穏な雰囲気なのがいい。登場人物は4人だけだが、それぞれが典型的で、まるで舞台の芝居を観ているかのような、不思議な臨場感がある。出てくる料理は、美味しそうなのにどことなく気持ち悪い。家族の態度は受け入れているようで拒んでいるし、親切なようで冷酷だ。シミーは不安なようで胆が据わっている。矛盾を内包した各人の関係性はとてもスリリングで、次に何が起きるかわからない。
 動物は殺したり傷つけたりできないから、どこかでVFXが使われていたのだと思う。とても上手だ。映像も音楽も控えめで、それが逆に人間の恐ろしさを浮かび上がらせる。とてもよかった。

映画「Winter boy」

2023年12月11日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「Winter boy」を観た。
映画『Winter boy』公式サイト

映画『Winter boy』公式サイト

永遠に忘れることのない、17歳の冬の出来事。父の死、そして、はじめてのパリ。年上の青年との出会いが、少年を光へと導く─ 12月8日(金)より、シネスイッチ銀座、新宿武蔵...

映画『Winter boy』公式サイト

 暴力シーンが多いところが気になった。兄のカンタンと母親である。カンタンの暴力癖は、母親から伝染したのだろうか。それとも、弟のリュカは殴られても仕方がないほど、酷い発言をしたのだろうか。
 殴られても仕方がないという思考回路は、殺されても仕方がないという思考回路に繋がる。暴力を正当化する論理だ。フランス映画で感情にまかせた暴力シーンが描かれるというのは、国全体の右傾化が影響しているのかもしれない。
 リュカは母親を殴り返すことはしない。ただ悲しむだけだ。母親が夫の悪口を面と向かって言われたかのようにヒステリックにさせてしまったことで、逆に自分を責める。LGBTは実際にはまだ、人権を得ているとは言い難いところがある。リュカ本人は、社会に対して負い目や引け目のようなものを感じているはずだ。

 ジュリエット・ビノシュは、愚かで浅はかな母親を上手に演じた。ゲイを自覚して心が傷ついている息子に暴力を振るえば、どんな結果になるのかを想像する能力がなく、感情を抑制する理性もない。自殺は悪いことだというパラダイムに精神が蹂躙されていることを自覚しておらず、息子の発言の真意を考える能力もない。
 カンタンとリュカの兄弟は、母親がそういう人間であることを知っていて、ずっといい息子を演じてきた。それは陰日向で応援してくれた父親の理解があったからだ。しかしその父親が亡くなると、無理解な母親だけが残る。カンタンは自立しているから死を受け止めるが、リュカの心は揺れに揺れる。パリの彷徨は、リュカにとって精神的な流浪だった。短くて、長い旅だ。そしてリュカは母を許し、自分を許す。

 ヴァンサン・ラコストは映画「アマンダと僕」の主演がとてもよく、本作品でもやや暴力的ではあるが、繊細で優しい兄を表情豊かに演じている。我の強さを前面に出したのは、芸術家の役柄だからだろう。今回もとてもよかった。