三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「ハンターキラー」

2019年04月22日 | 映画・舞台・コンサート

 映画「ハンターキラー」を観た。
 https://gaga.ne.jp/hunterkiller/

 アーカンソーというと、ウィリアム・クリントンが知事を務めていた州を思い出すが、ここでは攻撃型原子力潜水艦(ハンターキラー)のひとつである。艦長がいなくなっていたために、急に任命された新しい艦長が、行方不明になっている原潜を探す任務に出る。
 その最中にロシアで政変が勃発し、新しい任務が命ぜられて、高高度ヘイロー降下で地上に潜入した特殊舞台のバックアップに向かうというストーリーである。ロシアの軍港にアメリカの原潜が侵入するのは如何にも荒唐無稽で、そして如何にも映画向けである。
 かなり前に第二次世界大戦のドイツ軍の潜水艦を舞台にした「Uボート」という映画を観たことがある。潜水艦はその構造上から視界が効かないから、音が頼りである。それは敵も同じで、音波の跳ね返りを受信することで相手の物体の位置や大きさ、質量などを判断する。しかし音を発信しすぎると、発信源を突き止められる場合がある。そこで駆逐艦などではパッシブソナーといって、受信するだけのソナーを使って海中の潜水艦の場所を探索する。駆逐艦は潜水艦にとって天敵で、Uボートの乗組員は駆逐艦だと知っただけで恐怖におののき、じっと息を殺す。
 潜水艦は原潜であっても基本的に昔と変わらず、駆逐艦には敵わない。通常の魚雷では速度が遅すぎて船体に穴を開けることもできないし、核弾頭を搭載している原潜でも、近くの敵にSLBMを発射する訳にはいかない。駆逐艦が近づいたら息を潜めて通り過ぎるのを待つしかないのだ。映画「Uボート」はその緊迫感が半端ではなかった。
 本作品も潜水艦の王道に従って、ソナー員の後ろに構える艦長が主役である。息を殺す場面では、観客も一緒になって息を殺す。通り過ぎてホッとするのも同じである。潜水艦の中のシーンがかなりの割合を占める作品だが、継続する緊迫感でスクリーンから目を離すことができない。よく考えられたプロットである。
 最初から最後まで、次はどうなるんだろうとワクワクしながら観ることができる。娯楽作品としてはレベルが高い作品である。国家間の駆け引きに政治家同士の駆け引きがあって、多重構造になっているのも面白い。にもかかわらず、アメリカでは評価が低いようだ。
 イギリス映画だから、ハリウッドみたいに家族愛を持ち出して白けさせることもないだろうと思っていた。期待に違わず、国家主義も家族第一主義も登場しない。敵であっても無防備の者は殺さないというヒューマニズムさえ登場する。そしてその点こそがアメリカでの低評価に違いない。