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outdoor life by mizota

ヨットでのクルージング日本の名山に登るキャンピングカー旅ダイビング野鳥撮影ジギング等溝田正行がした事する事を報告します

何故ヨットなのか等について

2007年01月13日 15時03分30秒 | 長期のヨット生活
ホロホロの台所ですここでどれ程調理したか・・僕は殆どしてませんが 左端の上に蓋が付いているところが冷蔵庫です。200リッ
トルほどありますが深いので底のほうに入れてしまうと取り出すのが大変になるのでカゴを入れています。 冷凍できる部分は10リット
ルほどしかありませんが最長航海だった日本からハワイまでの三十七日間、到着した時にはまだ肉が残っていました

大きな釜が見えてますがこれは圧力釜です。前の圧力釜は航海中何度も落ちて取っ手が壊れてしまい二つ目のものですが大きすぎて困って
ます 蛇口が見えてますがこれは清水用で湯と水がレバーの位置をかえると切り替わります。もう一つ釜の後ろに海水が出る蛇口があり
ます。 洗い場は小さいですが二つに分かれていて今マナイタが乗っている側は主に清水を、見えている側では海水をよく使っています

その右に二口コンロがあってヨットが航海中傾いても鍋釜が落ちないような設計になっています その下はオーブンです。以前はよくパ
ンを焼いていましたが最近は物置になっています 両側の袋戸の中には皿や椀、コップなどが入っています。 普通の家庭のキッチンと
違うのは布巾をを掛けているところから垂れているベルトです。 航海中ヨットはかなり揺れますので料理する時にはこのベルトを腰の後
ろを回して左側にフックで止めます。また航海中キャビン内を移動する時はこの手摺に掴まって動きます

荒れている海の上で料理するのも移動するのも「死に物狂い」。食べる時にはアグラかいて足の裏で皿を挟み込んで一番揺れが少ない床に
座り食べることもあります 二人が皿を挟んで必死で食べてる姿想像してみてください。ほんまに荒れていると味など感じる余裕は無く、
生きるために口に入れるだけとなります。 多分日本までの航海で何度かはそんなこともあるだろうな~・・・


走っているヨットを遠くで見ると「気持ち良さそう」ですが内情は良くても快適からは程遠く殆どが地獄です。


それ程乗り心地が悪いヨットに何故乗るのかと言えばヨットが「世の中で一番自由な乗り物」だからです一人や二人で動かせて世界中の
何処にでも好きなように行ける乗り物は他にありません 同じ位の大きさでも漁船やモーターボートには推進力がエンジンしかないから
大洋を渡ろうと思えば殆どが燃料タンクになってしまいます。またエンジンが壊れると「お手上げ」になります。ヨットは大洋を渡る場合
殆ど風で走ります。エンジンが壊れても帆だけで港に入ることも出来ます。二つの推進力があるから「倍以上安全」なのです

殆どの船は「お金儲け」を目的に造られています。タンカーは油が多く載る様に、コンテナ船はコンテナが、漁船は漁業がし易く獲物が乗
るように・・・それらと違いヨットは「形の無いもの」を載せる目的で造られているとおもいます。 他の船が「品物」を載せるスペースを
可能な限り持っているようにヨットのキャビンの中はがらんどうに見えますが「夢と思い出」をイッパイ載せる為のスペースなのです

ホロホロも世界一周に出たころは「溢れるほどの夢」が載っていましたそれが寄港するごとに現実となり、現実となった分の「夢」は下
ろし、変わって「思い出」を積み込みました 今のホロホロは出航以来15年近くなり「夢」の殆どは荷下ろししてしまったけれど「思い出」
を「満載」しています 


今も昔も多分今後もですが「形の無い物」を大事にしたいと思っています僕が持っているヨットもキャンピングカーもオープンカーも実用
性の無い乗り物ばかり。形がありますが「形が無い物を求める」為に必要な道具だと思っています。 形あるものは必ずいつか壊れます。盗ま
れる事もあります。  トヨタ自動車も松下電器も必ずいつか潰れます   余り後ろを見ない僕だけれど「思い出」は生きている限る確
実に持ち続ける事が出来ます。盗まれる心配もありません。戦争が起きても、どんな天災があっても・・・・。  漂流しても飢饉でも飢え
て死ぬ人は殆どおらず、夢を無くした人から死ぬと言われています。人はいつか自分の体が思うように動けない時を迎えます。 元気なとき
は「夢」を食べ、動けなくなると「思い出」を食べて生きたいと思うから次々と計画を立て動き続けているのです まあ人間どう生きたの
が一番良いかは死の直前までわかりませんが・・・  


こんな事ばかりを考えて「夢」を追いかけている僕を陰日向なく支えてくれる大勢の友達のお陰で出来ているんですが・・・


写真をクリックすると大きく見えます。 
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船内の様子を・・

2007年01月12日 13時06分11秒 | 長期のヨット生活
久しぶりに24時間雨が降っていません(大体夜に降る)と言っても全天雲が覆っていますが・・
風だ、雨だと言っていますがこんな快適な気温はありがたいです日中で25度くらい夜は21度位で風があるから雨でも船内は乾いています 夜は薄い布団を被って良く眠れます

いつも僕はTシャツにショートパンツ美由紀はTシャツに長めの薄いスカートを穿いて過ごしています

今日もキャビンの紹介ですこの写真はマストの下から後ろを写したものです
写真の右側手前に昨日紹介したメインキャビンのテーブルが見えています。
正面の階段を上がるとコクピットになります 階段を外すとエンジンルームになっています。

階段の左右に部屋があって右側の部屋は二人部屋ですが木材、ベニヤ板、旅行カバン、飲料水の4リットルボトルが10本余り、衣料品などで完全に倉庫です

その手前、メインキャビンとの間にトイレとシャワールームがありますが使っていません。雨具、靴の他行った先々でプレゼントする衣料品を入れる倉庫になっています。

左側の部屋は三人部屋ですが、潜水機材、撮影機材、予備の無線機、折りたたみ自転車、海図、各国の旗などここも完全に倉庫です

その手前、美由紀が短波放送の周波数を合わせていますが、ここはチャートテーブルで航海中海図を見たり、本を読んだりしていますその横に各種スイッチやGPS、天気図をとる機械があり、後ろに3種類の無線機があります
一つはVHFと呼ばれ各国に入港した時「入港を知らせる」のに使いますが無くても困ることはありません。 もう一つは遠距離用の無線機でこれは強力で世界中から日本と話をすることが出来ました地中海西部から大西洋、パナマまでは直接話せることは稀でその時はテキサスの人や海外を航海中の船に中継してもらいました 他のところでは直接北海道から九州までの人たちと毎日一時間くらい話していました

その手前に台所の端が見えていますがこれは又次回に写真と共に説明します


ごらんの通り部屋は殆どが倉庫なんです

写真をクリックすると大きく見えます
胃の調子は随分良くなり昨日の夜は自慢の「オックステール風」スープで肉とピーナツを沢山食べました 薬はまだ飲んでますが
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これがメインキャビンです!

2007年01月11日 14時04分22秒 | 長期のヨット生活
誰もが驚くような改造をしてしまったメインキャビンですが実に使い勝手が良く気に入っています

もともとこのテーブルには長い脚があって床から立ち上がっていました。そのテーブルを取り囲むようにゆっくり9人が掛けられるソファーもありました。現在のテーブルの脚は折りたたみ式で夜は奥の地図を貼り付けている壁に立てかけて止めます。そしてここに布団を二組敷いて寝ています

昼間パソコンを使ったり食事をしたり、本を読んだりはこの状態でしています写真に写っていないけどこの右側に台所があって料理して居る時は出来たものをすぐ乗せれるように、このテーブルを少し動かしたりもします
この白い床は周りの床より30センチ余り高く、8つに区切って物入れに使っています


今までに17回引越しをし、殆どが遊びのために水陸含め約3千の違った場所で朝を迎えている僕の人生は
旅ばかり 基本にあるのは「立って半畳寝て一畳、天下取っても二合半」です


だから普通の家にある、普通のものに無いものが沢山あります
しかし実際生活してみると、鍋、釜、皿、箸と寝具、多少の衣料品以外でどうしても必要なものと言うのは無いのが解ります

ではヨットの中は空っぽかと言うと「娯楽品」でイッパイです
釣り道具だけで100㌔は超えています。ダイビングの道具は重く300キロ以上はあるでしょう 本も200キロはあるでしょう。ビデオテープとCDも50キロはあります。とにかく荷物の合計は水や油も含め7トン以上あります  ヨットの場合大洋を渡る途中で故障した場合(実際には殆ど故障は無いけど)その場所で全て自分で修理しなければなりませんから「予備品」が多く要ります。
また世界を周るわけですから海図(海の地図)も千枚以上多分200キロほどあると思います。  こんな具合でなかなか理想のように「少ない荷物」で航海するのは難しいのです

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これが新兵器です

2007年01月10日 12時30分50秒 | 長期のヨット生活
これが一月二日にセブ市まで買いに行った「エアーカード」と呼ばれている携帯電話の電波を受ける器械です。これがあれば携帯電話の繋がるところなら何処に居てもヨットの中からインターネットが出来ます金額は10860ペソでした 使い放題で一ヶ月の使用料は1200ペソ。日本から比べると安いけど「能力」も違います。大体10キロバイト少々のスピードで動画は絶対に見えないし、スカイプも出来ません

フィリピンの一般家庭で電話がある家は殆ど無いのだけれど、携帯電話が普及したから若い人の居る家なら必ず「携帯電話」があり、日本人の我々以上に「携帯電話」と言う文明の機器が暮らしを変えています

僕が始めて携帯電話を持ったのは20年も前でした。まだ弁当箱のように大きな形の時で、使っている人もそれほど居ませんでした。 それが今は小さくなって、電池の寿命、ディスプレー、使用料など随分変わり、日本でも時代を変えてしまった「機器」なのですが・・・ この変化で世の中が明るくなったかと言えば・・・なってませんよね~・・


フィリピンで街を歩いてもバスに乗っても若い人たちは携帯を離すことなくメールを打ち続けています 特に女性に多く見られます。日本でもそうですが・・収入の殆どがこれに消えて「生活が苦しい」状況がここでは顕著に現れています。 フィリピンは日本と違い、このエアーカードも携帯電話も全て前払いのプリペイド方式です 残金がなくなると受けることは出来ますが送ることが出来ません。 プリペイドカードは最低が300ペソしますが、それを
買えない人は小額でも取扱店に払えば少しだけ使える仕組みになっています。


このカードを買いたくて「売春」をする女学生が沢山いるそうです僕は買ったことありませんが・・・ カード一枚分が高いの安いのか?何てことも考えたことはありません


1993年に日本を出てから時代は大きく変わりました。それが「インターネット」の普及。ウインドーが誰もが使えるパソコンにしてくれたお陰でこれは便利になりました ボタンを押すだけで見たいものが見え、知りたいことが知れる

でもインターネットや携帯電話が無かった時代と比べて「豊か」になったといえばこれもあまりそうは思えない・・  ホロホロは現代でも電気が無い地域に良く行きます。たしかに不便だとは思いますが変わりに「人と交わる文化」があります パソコンに向かうのも一つの文化ですし、インターネットを利用しないで今の日本で生きるのは難しいですが「もっと人と交わって」生きたいと思うこの頃です


風は相変わらず強く、雨も良く降りヨットの清水タンクは満タンです。その代わり電気は足りず毎日一時間ほどエンジンを掛けています。 エンジンを掛けると排気ガスが出て「環境悪化」となりますが・・文明に毒されている精神はなかなか治りません 


こんな事を書くと「年寄り」丸出し そう昔なら完全に老人数日で58歳の誕生日です  

明日から数日はホロホロ3世の船内などの様子を写真と文で紹介しますね  ヨットと思えないような改造をしてますが・・・
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思わぬ事件発生!

2007年01月08日 12時41分08秒 | 長期のヨット生活
乾季なのに毎日のように雨が降るから「水の心配が無くていいな~」と話しつつ、ここ数日安心して暮らしていましたホロホロはコク
ピット全体に日除けテントを張っています。極めてヨットらしくない造りでどちらかと言えば漁船の感じなのですが・・広さが約12平
方メートル程あり、その端に塩ビ管を割って作ったトイが付けてあり、そのトイに溜まった水をホースで船内のタンクに送りこむように
しています船内のタンクに溜まった水は湯沸かし器側と冷水側に別れて電動ポンプでいつも圧力がかかっているので蛇口を開けると水
道と変わらない状態で出て来ます途中に5ミクロンの大きなフィルターを入れているのでゴミはほぼ完全に濾過できます。生水で呑む
以外の水はこれを利用しています。 出航当時は海水から真水にする装置をつけていたのですが壊れてしまい、その後雨水が採れない時は近くの井戸や水道などからポリ缶に入れて運んでいます


船内の清水タンクは220リットル、184リットル、93リットルの三つに分かれているのですが、どれにも残量計が付いていません
おまけにイッパイになっても、入れる口に溢れず船内に漏れ出す欠陥を揃って持っています「最近船が傾いてるな~・・」とも言って
いたのですが・・・今朝使っていない左舷船尾の部屋のソファーを外してみると・・水がイッパイ!! と言うことはその後ろのベットの
下もイッパイ漏れている・・・まさかタンクにイッパイになっているとは思いもして無かったから・・まだ入れていた・・


こうなるとヨットの船底は水面よりかなり低いからバケツにとって捨てるしかないのですが、限られたスペースで物を移動してベットの
下の板も外し掃除をするのは結構な仕事になります  と言う訳で今日の午後はそれで終ります。 ヨットの生活は家賃も要らず、自由
に何処にでも移動できるけど・・普通陸上で暮らしている人には想像できない、こんな事も起きるのです でも船が沈むようなことは
まず無いし、特別これが起きたからと言って何かが変わるわけでもなく、予想外ながら想定の範囲と言えます


写真はバイス市内中心部で旧市場と呼ばれているメディナのように入り組んだ商店がイッパイある地域の前の通りです。ヨットに戻る時のトライスクル乗り場も夜にイッパイ屋台が出る広場もこの道路脇にあります
この写真の右側、旧市場の中は食堂から食料品屋、金物、衣料品、散髪、などなど小さな店が数え切れないほど詰まっています 写真の後方に国道がありヨットを置いているバイスベイには国道を横切って公園の横の道を戻ることになります


じゃあ昼飯食べて溢れ出た水の始末をしますね

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ヨッティとは・・

2006年12月14日 12時08分15秒 | 長期のヨット生活
ヨッティ(ヨットで長期にクルージングしている人)全体なのですが・・ホロホロは特別ちゃうか?? 予定と心は日毎に変化しそのたびに公表するから「ヨッティの言うことは・・・」と非難を浴びるのだが昨夜寝ていて「やはり向かい風のパラワン島北上は厳しいぞ!」と考えだしたのです  それではアンカーチェーンはどうするの? と自問自答し極めて質が悪いフィリピン製の出来が悪いところを電気溶接してそれでとりあえず日本まで帰ろうか? なんてな事を思いついて悩んでおります

そうなると5月初めにルソン島の北を出発でその前に場合によってはフィリピンで上架。出来なければ日本までそのまま帰って日本で上架。

バイスを3月末に出て北上すれば上架してペンキを塗ったり新しいレーダーを取り付けたりも出来るのでは・・とそのように考えが進みます。

んんん~ん!! 悩んでいます


話しは変わりますが最近「英語」を話すのが面倒になって・・困っています ずっとクルージングを続けていた時は別にそう意識もせず話してたのですがこのところ日本での生活が多くなったからか話すのに「疲れるのです」 これも日本に帰ろうと思ったきっかけだったのかもしれません。 しかし2010年からの計画はまた英語が必要なのに・・・



そう言えば昨日訪ねてくるかと思っていた日本人は何故かきませんでした。どうしたんでしょう??? まあそれで良かったのですが・・

日本人といえばフィリピンに住んでいる日本人でリンクにもある横田氏にはこちらに来てから何度も連絡をとっています 横田氏は間違いなく「金持ち」ですが(フィリピンのほか日本や中国などに工場がある優良企業の社長です)実にいい人で僕は常に面倒をかけています。 その横田氏は数台の飛行機のほかクルーザーやヨットも持っていてそれをスービックヨットクラブに停めています  そんなことから今回最初の計画がスービックでホロホロを上架して修理やペンキ塗りをすることだったのです 今日電話をくれたのでとりあえずアメリカから取り寄せるレーダーを受け取って欲しいと頼みました。 海外で知り合うと同じ言葉が話せ理解し易い日本人と友達になりやすいですが最近「いろんな人」が居てうっかり友達になると思わぬ結果が待っていると言う話しもアチコチで聞きます

その例として一緒にご飯を食べに行ったらいつの間にか居なくなって「その人の前のツケまで払わされた」とか持っているものをちょっと貸してと言って戻ってこなかったり、強盗に変身したりとなかなか油断できないのです。 まあ最近の日本も僕が出航した13年あまり前から比べると随分物騒な国になっていましたが・・


写真はこのところ毎日通っているインターネットカフェの前の通りです。一応分離帯があって、そこにはブーゲンビリアやプルメリアの木が植わり花を沢山つけています。 写真では見難いですがこちらのトライスクルには二種類あって150CCのオートバイが動力のものと「脚漕ぎの自転車」が動力のものがあります。どちらも同じ値段で乗れますが「人」が動力のトライスクルに乗ると坂道で「はぁはぁ」息をするから乗ってるほうも疲れてしまいます この写真では手前はオートバイのトライスクルで向こうを走っているのが「自転車」のトライスクルです。 またもっと解り易い写真を次回アップします。 クリックすると大きく見えます
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バイスの事

2006年12月13日 11時58分40秒 | 長期のヨット生活
今日もいい天気のフィリピン、ネグロス島バイス市です。 写真はホロホロを停めているサウスバイスベイで、いつもここから上陸しています詳しく言えば写真右の方の突き出た石積みのところです。

この辺りは小さな山の裾で平らな土地は少ししかないのでどの家も海にせり出して建てられています。 極めて簡単に海に伸ばした杭の上に建てた家もあり、台風が来たらどうなるんだろうと思うのですが・・いざ台風が発生しても心配している人は見ません 多分長い間そんな被害を受けるような台風の進路に当たってないのだろうと思いますが・・ニュースが入っていないと言うことも考えられなくはありません

昨日書き忘れたことですがヨットの周りで網を仕掛けて小舟のヘリを叩いたり、お椀ののようなモノを棒の先につけて「音を出し」慌てて逃げる魚を網にかける漁法をする漁師は朝の3時ごろから夜中まで入れ替わり次々とやってきて「ドボンドボン」とやっています。

夕方、山に陽が沈み夕焼けになるころ晩飯なのですが、そのとき山のほうに住んでいる人たちが夕ご飯の支度か煙があちこちから立ち昇っています街の一部ではプロパンガスも使われていますが主流は炭です。山では薪が一般的なので煙が立ち昇るのでしょう 他に煙は風が弱い日にサトウキビ畑の屑を焼く大きな火が空を染めるほどに見えることもあります。 それらは「のどか」で「だる~っと」した熱帯の夕暮れに似合い、「ぼけ~っと」周りが暗くなるまで過ごします

今朝インターネットカフェに来たらすぐ「会いたい人が居る」と伝言がきました。日本人らしいのですが・・「ここに一日居る」と言ってあるんですがまだ顔を見せません  それにしても誰から聞いたのか?? どんな人が来るのか少々  何しろフィリピンには日本で退職してからこちらに来て若い女性と暮らしている老人が一番多いとはいえ、明らかに「組」の人もマニラ周辺では結構見たり聞いたりしたのです


 

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