15日は私の寺のお施餓鬼で、本当に暑い一日になりました。汗を拭けども拭けども汗が流れ落ち、めがねはくもるし、大変なお施餓鬼でした。自分の寺が終わると一安心。明日からは、来てくれたお寺のお施餓鬼にお手伝いにいきますが、今はホットしております。
ブログも今日は忙しくて朝書けずに、夕方になり書いています。日航ジャンボが御巣鷹山に墜落して20年に当たり、520人のの犠牲者に供養を続けいるお坊さんを紹介します。その名は、山梨県塩山市にある秀森山清水寺の須山邦明(72)住職です。
【PJニュース 08月14日】- 520人の犠牲者を出した日航ジャンボ機墜落事故20回忌の慰霊祭が12日、群馬県上野村の御巣鷹(おすたか)の尾根で数多くの遺族の人たちが集まって行われた。20年の歳月の中で、悲嘆にくれた遺族を静かに支えている人たちがいた。
御巣鷹の尾根、墜落地点に建てられた「昇魂之碑」の前ご焼香をする人たちの脇で、一心にお経を唱えるお坊さんがいた。マスコミ報道陣が騒がしい中、午前9時から読経がはじまり、2時間近く黙々とその祈りは続けられた。「延命十句観音経」というお経を1回唱え終えるたびに、108ある数珠を指で押さえ数えていく。520回の読経を事故犠牲者520人一人一人のためにささげられた。
お坊さんの名は、山梨県塩山市にある秀森山清水寺の須山邦明(72)住職。13回忌と17回忌にも犠牲者供養のために御巣鷹山に登った。年々、足腰が弱くなってきているので、「今回が最後になるかもしれない」という思いを胸に秘め、祈りを込めながら一歩一歩登ってきた。「死を覚悟するということは高齢になってもなかなかできるものではありません。事故犠牲者の墜落までの数十分間に、覚悟を決めて逝かれた死を思うと、とてもいたたまれません」と思いを語り、「17回忌の供養では、読経中締めつけられる感じが強かったのですが、今回はお経を300回くらい唱えたころから、すぅーと軽く、明るい感じを受けました。故人の方々が観音様の御力で救われていることを願います」と話した。
日本航空職員は9日から、山中のプレハブ小屋に6人が泊まり込み、登山道の修復や墓標の補修をした。12日は11人が遺族者のために奉仕した。ある職員は「弊社の最近の事故などについて、私どもに直接苦言を呈する遺族の方はいらっしゃいませんが、思いは肌に伝わってきます。反対に『ご苦労様です』との暖かい声をかけられ、差し入れまで頂くことがあるほどです」と話した。前年に慰霊祭に参加したある遺族が亡くなったのを聞いて、さびしいとともに時間の経過を感じるという。【了】
パブリック・ジャーナリスト (PJ)コーディネーター 佐藤学【東京都】
ブログも今日は忙しくて朝書けずに、夕方になり書いています。日航ジャンボが御巣鷹山に墜落して20年に当たり、520人のの犠牲者に供養を続けいるお坊さんを紹介します。その名は、山梨県塩山市にある秀森山清水寺の須山邦明(72)住職です。
【PJニュース 08月14日】- 520人の犠牲者を出した日航ジャンボ機墜落事故20回忌の慰霊祭が12日、群馬県上野村の御巣鷹(おすたか)の尾根で数多くの遺族の人たちが集まって行われた。20年の歳月の中で、悲嘆にくれた遺族を静かに支えている人たちがいた。
御巣鷹の尾根、墜落地点に建てられた「昇魂之碑」の前ご焼香をする人たちの脇で、一心にお経を唱えるお坊さんがいた。マスコミ報道陣が騒がしい中、午前9時から読経がはじまり、2時間近く黙々とその祈りは続けられた。「延命十句観音経」というお経を1回唱え終えるたびに、108ある数珠を指で押さえ数えていく。520回の読経を事故犠牲者520人一人一人のためにささげられた。
お坊さんの名は、山梨県塩山市にある秀森山清水寺の須山邦明(72)住職。13回忌と17回忌にも犠牲者供養のために御巣鷹山に登った。年々、足腰が弱くなってきているので、「今回が最後になるかもしれない」という思いを胸に秘め、祈りを込めながら一歩一歩登ってきた。「死を覚悟するということは高齢になってもなかなかできるものではありません。事故犠牲者の墜落までの数十分間に、覚悟を決めて逝かれた死を思うと、とてもいたたまれません」と思いを語り、「17回忌の供養では、読経中締めつけられる感じが強かったのですが、今回はお経を300回くらい唱えたころから、すぅーと軽く、明るい感じを受けました。故人の方々が観音様の御力で救われていることを願います」と話した。
日本航空職員は9日から、山中のプレハブ小屋に6人が泊まり込み、登山道の修復や墓標の補修をした。12日は11人が遺族者のために奉仕した。ある職員は「弊社の最近の事故などについて、私どもに直接苦言を呈する遺族の方はいらっしゃいませんが、思いは肌に伝わってきます。反対に『ご苦労様です』との暖かい声をかけられ、差し入れまで頂くことがあるほどです」と話した。前年に慰霊祭に参加したある遺族が亡くなったのを聞いて、さびしいとともに時間の経過を感じるという。【了】
パブリック・ジャーナリスト (PJ)コーディネーター 佐藤学【東京都】
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