11月1日 編集手帳 読売新聞
{藤本義一さんの出世作、小説『ちりめんじゃこ』はスリの話である。主人公にはモデルがいた。その人が刑務所で肝臓を患ったと聞き、藤本さんは見舞金を送った◆礼状が来た。文面に、〈私も務めを果たして真人間になりますから、どうぞ藤本先生も真人間になってください〉。藤本さんがある対談で回想している。おそらくは取材を受ける過程でスリ氏は、その人に同胞にも似た親しみを感じていたのだろう◆藤本さんはかつて本紙の取材に、「人生は石ころ」と語っている。転がって人生をつくる。斜面だと転がり落ちる。石ころの人生、優しさを欠いてはいけない。「みんな死ぬためではなく、生きるために生きているんだから」と◆スリ氏に伝わったのも、その優しさだろう。人生通、世間通の作家として、タレントとして活躍し、ダンディーな容姿と歯切れのいい語り口でも親しまれた藤本さんが79歳で亡くなった◆思春期の遠い昔、藤本さんの『11PM』で“大人の世界”をのぞき見ては胸をドキドキさせた一人である。課外授業でお世話になった恩師の訃報に接したような、なんだかそんな気がする。}
「11PM」の顔、直木賞作家で脚本家として活躍した、藤本義一さんが30日、79歳で亡くなった。日本テレビ系の深夜番組「11PM」火曜日と木曜日の司会者を65年の開始時から90年の終了時まで務め、大橋巨泉らとともに番組の顔として活躍。歯切れのいい語り口で関西を代表するタレント文化人としても人気を得た。その一方、大阪の芸人や商売人らをテーマにした小説を執筆。74年、破滅型の落語家を描いた「鬼の 詩 ( うた ) 」で直木賞、87年には「蛍の宿」で日本文芸大賞を受賞した。心よりお悔やみ申し上げます。
{藤本義一さんの出世作、小説『ちりめんじゃこ』はスリの話である。主人公にはモデルがいた。その人が刑務所で肝臓を患ったと聞き、藤本さんは見舞金を送った◆礼状が来た。文面に、〈私も務めを果たして真人間になりますから、どうぞ藤本先生も真人間になってください〉。藤本さんがある対談で回想している。おそらくは取材を受ける過程でスリ氏は、その人に同胞にも似た親しみを感じていたのだろう◆藤本さんはかつて本紙の取材に、「人生は石ころ」と語っている。転がって人生をつくる。斜面だと転がり落ちる。石ころの人生、優しさを欠いてはいけない。「みんな死ぬためではなく、生きるために生きているんだから」と◆スリ氏に伝わったのも、その優しさだろう。人生通、世間通の作家として、タレントとして活躍し、ダンディーな容姿と歯切れのいい語り口でも親しまれた藤本さんが79歳で亡くなった◆思春期の遠い昔、藤本さんの『11PM』で“大人の世界”をのぞき見ては胸をドキドキさせた一人である。課外授業でお世話になった恩師の訃報に接したような、なんだかそんな気がする。}
「11PM」の顔、直木賞作家で脚本家として活躍した、藤本義一さんが30日、79歳で亡くなった。日本テレビ系の深夜番組「11PM」火曜日と木曜日の司会者を65年の開始時から90年の終了時まで務め、大橋巨泉らとともに番組の顔として活躍。歯切れのいい語り口で関西を代表するタレント文化人としても人気を得た。その一方、大阪の芸人や商売人らをテーマにした小説を執筆。74年、破滅型の落語家を描いた「鬼の 詩 ( うた ) 」で直木賞、87年には「蛍の宿」で日本文芸大賞を受賞した。心よりお悔やみ申し上げます。
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