うべプラネタリアン

プラネタリウム解説の活動を通じ、いろいろ感じたことをさまざまに語りたく....

宇宙人....(810)

2008年01月16日 10時54分33秒 | うべプラネタリアン
私が「あの人は宇宙人だ」と言うときは、最大の賛辞の“つもり”である。
たとえば、あの人は国際人だねと言われると、スケールの大きさ、視野の広さ、
礼儀正しさ、教養の深さや語学力まで、高評価された感があるだろう。
宇宙人はその高次元化というわけだ。
しかし「宇宙人」は、訳のわからない、話の通じない侵略者的な意味に取られるから、言われた方は気に入らない。
そこがおもしろくて、わざといい訳をしない。

3年前の星空観察会で、当時5年生の女の子が「宇宙人ってテレビでも物語でも意地悪なのが多いけど、
実際そうなんですか?」と聞いてきた。
「そうだね、ドラマではあまり友好的な宇宙人はいないようだね。
私はほんものの宇宙人に会ったことないから、何とも言えないけど、これだけは想像してみてね、
例えば、将来文明が発達して、私たち地球人がどこかの星に行ったとする、
そこの星に生物がいたとする、となると、その星の生物から見たら、私たちはまさしく宇宙人だよね、
宇宙人がやってきた!と大騒ぎになるかもしれないね」
「ええ、わかります」
「さあ、そのとき、私たちはいい宇宙人だろうか、いい宇宙人でありたいよねぇ」
とっさだったけど、私はこの答えに自分で満足した。
地球人も宇宙人なんだ。
宇宙人としての視点を持つと、地球を愛おしく見守ることもできるし、
地球を守る大切さがわかりやすく理解できるのではないか。
多くの人が『かぐや』が写した宇宙に浮かぶ地球を見ただろう。
涙の出るくらい美しい星だったではないか。あれが宇宙からの、宇宙人としての視点だ。
私たちは良き宇宙人であらねばならないと思う。

それ以来、折に触れて、そんな話をするようにしている。
宇宙人たり得る能力を持った生物は、否応なく人類だろう。
そして、地球以外にいま一片の生命体すら見つけられていない中で、
人類は宇宙人として責任があるのだ。覚悟しなければならないことがあるのだ。
決して勝手な無体なことをしてはならないのだ。