憩う、楽しむ 広島・湯来通信 

広島市中心部から1時間。新たな交流・体験エリアである湯来地区の最新情報。天然温泉と豊かな自然が皆様をお待ちしています。

湯来に伝わる民話「清水の神さん」

2008年01月11日 08時45分28秒 | イベント
1/11(金)4℃

 空一面に霞がかかり、今日遅くには雨が降り出すという天気予報になっています。

 おはようございます。空が曇っているせいか、暖かい朝になりました。昨日、所用があって湯来へ出かけたんですが、北斜面の山や田んぼにはまだ年末に降った雪が残ってました。とは言え、道路にはまったく無かったので安心して運転することができましたので、この週末連休に「本物の温泉」へお出かけになってみてはいかがでしょうか。

湯来に伝わる民話「清水の神さん」
 江戸時代から伝わる民話です。

 水内の川でとれる木材は、藤づるでつなぎ合わせて筏を作り、水内川から大田川に流し、広島の城下に運んでいました。
 筏は、前の者が大きな櫂で舵を取り、後ろの者が全体の調子をとって運んでいました。帰りは、櫂を二人で担いで水内に帰っていました。この人たちのことを「筏師」と呼んでいたそうです。また、炭や薪は川舟を使って同じように水内川を使って、同じように川を下って城下に下り、帰りは塩や布などを積んで、一人が川岸から綱で引っ張り、船の中の船頭が舵を取って川を上がって帰っていました。
 川は、筏師や川舟の船頭たちにとっては、大事な生活を支える大切な働きをしていました。
 当時の湯来町麦谷に、三郎左衛門という力が強く元気者の大男がいました。
 夏の終わりから秋の初めにかけて、水内川や太田川では川を下る落ち鮎を捕るためにヤナを仕掛けていました。ヤナは筏や川舟のため、わずかな期間だけに決められていました。
 ある年の秋のはじめ、可部の河戸という所に広島藩が直轄の御用ヤナを仕掛け、厳しい決まりを作って、筏や河舟の通行を一切させませんでした。しかも、長い期間行われるのでみんなが困っていました。
 落ち鮎が多く取れるので御用ヤナは毎年行われるようになり、「いつまで待てばええんかいのお」「お上のされることは、ご無理でも、ごもっとも」「ご無理、ごもっとも。ご無理ごもっとも」と、人々はあきらめて、御用ヤナの川上の川岸に筏をつないで、水門が開くまで幾日も待たねばなりませんでした。しかし、一向に開く気配はありません。
 みんなの困った様子を見かねた三郎左衛門は、考えるところがあってある朝早く起きて、鍛冶屋さんに作ってもらっていた刃渡り3尺(約90Cm)、柄の長さ6尺(180Cm)の大鉈を引っさげて川下に走り出しました。刑罰覚悟の上で、夜明け前の八つ刻半(午前3時)、可部の河戸御用ヤナを目指しました。ヤナの見張り役人は夜明け前であり、何事も無くすっかり安心して居眠りをしています。そのスキを見て御用ヤナの土台を大鉈でぶった切りました。役人たちが気づいたときにはヤナは停め綱を切られて流れ出ていました。
「御用ヤナがなくなった」と知らせを受けた筏師や船頭は喜び勇んで川下に向かって筏や川船を出しました。
 三郎左衛門は役人に捕まり、厳しい取調べを受けました。
 「お上を恐れぬ、ふとどき者」
 「しかし、筏師や船頭たちのことを思ってのこと」
 役人たちにも三郎左衛門の気持ちが分かり、軽いムチ打ちの刑で放免になりました。それから後は、無理な御用ヤナは無くなったそうです。筏師たちは三郎左衛門のことを「清水の神さん」と崇めて語り伝えています。
 こうした民話からも、昔はどんな習慣があったのか地域の産物などがあったのかを知ることができます。
 ところで、可部に河戸という場所はほんとにあるんでしょうか。ちょっと気になり始めました。気になることがある夜は寝られないかも・・・・。

ちょっと寄り道
 広島市佐伯区湯来出張所の近くにある橋の下川の護岸壁面に何かの絵がセメントで描かれています。
 さて、何だか分かりましたか。結構デカイし、よく書けてると思います。もしも分からなければ、温泉に行く途中に車を安全な場所に停めて探してみてください。
 
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