憩う、楽しむ 広島・湯来通信 

広島市中心部から1時間。新たな交流・体験エリアである湯来地区の最新情報。天然温泉と豊かな自然が皆様をお待ちしています。

インストラクター養成講座受講参加者の募集です。

2008年12月09日 08時16分08秒 | お知らせ
12/9(火)4℃

 よく雨が降ります。

 おはようございます。
 昨日から降る雨がやむことなく、今も降っています。いつ雪に変わるかもしれないと眠りに付くんですが、国道を走る車がバシャバシャと音をたてて通る音で目覚めるとチョッとホッとしてしまうから不思議です。


 昨日のブログ、「温泉」について詳しく書き過ぎでお堅い話に結局なってしまってて、今朝読み直して全~然面白くない(まぁ、文才がないので仕方ないところでしょう。お許しください。)
 もうチョッと旬な話題か読んでいて楽しい話題をと考えるんですが、なかなか閃かないんです。結局、思いついたのが食べ物の話題「おでん」。こだわりの出汁のとり方から、具財の数々。

 もし、よろしければご自慢のおでんについて書き込みがしていただければと思いますが・・・・、よろしくお願いします。

 我が家のおでんは、市販されている出汁の素に昆布を入れ、コンニャク・はんぺん・卵・大根・ちくわ・ガンモ・スジ肉・団子・巾着・あげ豆腐等が入ってます。ただ、煮込んだ1時間後には食卓に出てしまうので出汁が出てないんです。

 湯来の砂谷という所にある個人ラーメン店「へ○くつ」。ここのラーメンが醤油味ベースでとても美味しいのは結構有名なんですが、個人的には、ここのおでんがもっと好きなんです。いつから注ぎ足された出し汁か判らないくらい真っ黒。具財が出しの中に隠れててお玉で探り出すまで”何が出てくるんだろう?”みたいな、チョッと怖いシュチュエーションに初めての方はなると思います。
 でも、これが美味いんだ。いい味がしみこんでいて「おでん」を食べた気になるから不思議と大満足。
 味がしみこんだコンニャク・・・・、あ~、食・べ・た・い-。


交流体験型観光 インストラクター養成講習会(初級コース)

 近年、「ほんものに触れたい。」「その土地や人との交流がしたい。」という
交流・体験などの新たな観光ニーズが高まっています。『本物の体験』は感動を与え、生きるための知恵を提供し、私たちの生活を支える産業への理解を深めることにつながり、地域の活気も生まれてきます。
 広島市では交流・体験型観光を推進するため、インストラクター養成講習会を下記の日程で計画されてます。募集のチラシを区役所や公民館の窓口に配布されていますので、お友達をお誘い合わせの上、お早めにお申し込みください。

 ◆実施日 平成20年12月20日(土) 10:00~16:00 
 ◆会 場 湯来西公民館(広島市佐伯区湯来町大字多田2712)
  TEL:0829-85-0087   (駐車場有:30台)
 ◆主 催 広島市都市活性化局観光交流部交流課
 ◆定 員 20名(先着順:申込期限 平成20年12月18日まで)
 ◆参加料 500円(飲み物とお菓子を準備します。)
 ◆内 容
   9:00 受付開始
  10:00 開講式
・オリエンテーリング(研修の趣旨、スケジュール説明)
10:20 カリキュラム①
・体験型観光とは
・活力あるまちづくりとは-小国ツーリズム協会の設立
・悠木の里づくり
12:00 昼食
13:00 カリキュラム②
・旅行者のニーズと地域でできること
・小国ニューシナリオについて
14:00 カリキュラム③
・湯来地区では何が提案できるか
15:00 カリキュラム④
・まず、何からはじめるべきか
・人材確保と育成
15:30 質疑応答
16:00 研修終了
◆講 師  宮崎 暢俊 氏
1941年 熊本県小国町生まれ
1971年 小国町議会議員(3期)
1983年 小国町長(6期)
2003年 第1回 観光カリスマ認定
現在  熊本県農業会議会長
小国ツーリズム協会会長
熊本県立大学客員


 今日は何の日?「太平洋戦争開戦記念日(対米英開戦記念日)」

 1941(昭和16)年12月8日午前3時19分(現地時間7日午前7時49分)、日本軍がハワイ・オアフ島・真珠湾のアメリカ軍基地を奇襲攻撃し、3年6箇月に及ぶ大東亜戦争対米英戦(太平洋戦争)が勃発した日です。
 「12月8日午前零時を期して戦闘行動を開始せよ」という意味の暗号電報「ニイタカヤマノボレ1208」が船橋海軍無線電信所から送信され、戦艦アリゾナ等戦艦11隻を撃沈、400機近くの航空機を破壊して、攻撃の成功を告げる「トラトラトラ」という暗号文が打電されました。

 もちろん、私が生まれている時代でもないので詳しい事は知りませんが、映画にもなった「トラトラトラ」という映画だけはよく知っていたので、”今日だったんだ”みたいな感覚で今日の日を迎えています。

 「奇襲」と言われている事の真相ですが、元々は、ワシントンで交渉していた野村・来栖両大使がアメリカ側に最後通牒を手渡してから攻撃を開始することになっていたそうです。しかし、最後通牒の文書の作成に時間がかかったため、事実上奇襲攻撃となってしまったとのこと。
 正々堂々、真正面から取り組まないといけませんよね?なんか、だまし討ちのような感がするのは私だけでしょうか?
コメント
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