憩う、楽しむ 広島・湯来通信 

広島市中心部から1時間。新たな交流・体験エリアである湯来地区の最新情報。天然温泉と豊かな自然が皆様をお待ちしています。

心配なことです。

2008年02月05日 07時51分14秒 | イベント
2/5(火)0℃

 おはようございます。
 暦の上では昨日が「立春」だったらしく、チョッとづつ暖かい話題が出てこなくちゃいけないんですが、相変わらず暖かくなるような話題もなく、今朝も寒い朝になりました。

 昨日で丸二日間行方不明になっている7人のスキー客等の安否も気がかりなことで、私も消防団活動で人探しを何度か経験したことがあり、関係者の心中お察し申し上げます。昨日は、現場が吹雪いて視界不良だったらしく、今日の捜索に期待が寄せられています。今日は大勢の捜索になるように聞いていますが、無事の生還、期待しています。
                          

今日は、「プロ野球の日」
 1936年(昭和11年)に全日本職業野球連盟が結成され、プロ野球が誕生しました。当時の加盟チームは「東京ジャイアンツ」「大坂タイガース」「名古屋」阪急」「東京セネタース」「大東京」「名古屋金鯱」の7球団だったようで、広島カープがセントラルリーグに加盟したのは、1949年の設立当初から。当初、球団経営は、広島県、広島市民たちの出資によって賄われていましたが、親会社を持たないため、たちまち経営に行き詰まってしまいました。選手の補強もままならず、二度も存続の危機に直面、地元財界の有志のテコ入れで、ナイター設備を持つ広島市民球場ができたものの、それでも赤字経営が続きました。
 1970年、前オーナーの松田耕平(当時、東洋工業社長=現マツダの前身)が就任。その後、球団経営の合理化をはじめ、若い選手を育てるため、他球団にさきがけて、米大リーグの教育リーグに選手を派遣しました。また、科学的なトレーニングをはじめ、医学的な面からも慶応大学医学部の協力を得て、選手の健康管理にも積極的に取り組むなどにプロ球界でも注目を集めました。
 1975年、セントラルリーグで初優勝して以来、6度のリーグ優勝。日本一にも3度の栄光を勝ち取り、コウジ・サチオ・ギャレット・ホプキンス・ヨシヒコ・・・、外木場・江夏・金城・山根・北別府・大野・佐々岡・・・・、数々の名選手が誕生しました。
 (各ポジションごとで考えると結構名前が出てくるものですが、ゴメンナサイ、よく忘れるんですよ、最近。)
 広島は巨人、阪神など首都圏の都市と違い、人口は110万の地方都市ながら、地域的なハンディにもかかわらず、松田オーナーは時代のさきどりを絶えず考えて球団経営を継続しているように見て取れます。それが、野球アカデミー「広島東洋カープアカデミーオブベースボール」の建設し、開校(1990年11月)であったり、暗に他球団から高額の引抜をせず自球団で選手を育てる姿勢にもなっているんじゃないでしょうか。この点が好きなんですよ。こよなくカープファンでいられる根源じゃないかと思っています。
 ただ、最近ではシーズン終わりにAクラスに絡むことが少なくなってきているのも事実。現球場でのゲームが見れなくなるので「今年こそは(開幕ダッシュ、先行逃げ切りに期待)」に期待したいところデス。

 あぁ、あの初優勝、日本一のあの瞬間が懐かしいなぁ~。

※広島市湯来ニューツーリズム推進実行委員会主催の2-3月体験型プログラムのご案内は昨日のブログをご覧ください。
コメント
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