憩う、楽しむ 広島・湯来通信 

広島市中心部から1時間。新たな交流・体験エリアである湯来地区の最新情報。天然温泉と豊かな自然が皆様をお待ちしています。

湯来の民話「場所はどこ?」

2007年12月05日 08時30分53秒 | 雑談
12/5(水)1℃

 午前7時19分。朝焼けに雲が染まってとってもキレイです。
 おはようございます。お目覚めはいかがでしょうか。
 今朝の湯来は屋外に駐車している車のフロントガラスが”凍結”するほど寒い朝でした。車を運転する前に、こうした状況を観察しながら出勤するようにはしているんですが、いつタイヤ交換をしようか、思案中です。

湯来に伝わる民話「大原長者」物語

 ○○谷を登って行くと大原の里あり。昔々、ここに広い土地を持った長者が住んでいたので別名を長者原とも言う。
 長者の大きな蔵の中には米俵が山と積まれ、「蔵の中の米俵を並べたら、大原から一里(約4㌔)もある日室の里まで続くそうな」「土地は広いし、おとこし(男性)おなごし(女性)をえっと(沢山)やとうとりんさるけえ、仕事もせずに毎日遊んでいなさるそうな」「広い屋敷じゃけぇ、めったに旦那さんやおかみさんにはお目にかかれんそうじゃ」等と村人は噂をしていたそうな。
 屋敷では、村人の噂どおり、長者一家は毎日いろいろな遊びにふけっており、中でも「はま射(い)」という、藁(わら)で作った丸いドーナッツ型の物を転がして弓矢で射る遊びをよくやっていたそうな。
 ある年の正月、藁で作ったはま射に飽きた息子は、神棚にある大きな鏡餅に目をつけ、「おい、あの鏡餅を持って来い。」とおとこしに言いつけました。言われたとおり神棚から下ろして持って来ると「よし、はま射と同じように餅を転がせ。」と命令され、おとこしは言われたとおり餅を転がしました。
 長者の息子はすかさず弓矢を射ますが当たりません。一回目、二回目、三回目と転がした時、矢餅の真ん中に命中しました。ところが不思議なことに、矢の当たった所から真っ赤な血が流れ始め、あたりの雪も赤く染めました。これを見た長者の息子もさすがに気味悪くなり、以来、はま射をすることを止めました。
 ある年の春、「こぶしの花はまだ咲かんが、木の芽はよう出たしボツボツ苗代をせにゃあいかん」そんなことを言いながら日室の里の様子を見に出かけました。途中土手の丘から打尾の里を見てビックリ。長者は驚いて飛んで帰り、おとこし達に苗代作りを急がせました。
 田植えが遅れ、秋風が吹く頃にようやく稲の穂が出ましたが実ることなく米は取れず、あれやこれやの出来事で、長者の家運も次第に傾き、遂に途絶えてしまったそうな。

 「物」を大切にしないといけない。湯来に伝わる民話にもそんな意味が込められているような気がしますが皆さんはどう思われたでしょうか。今回の民話「「大原の里」はどこでしょう。」が問題です。さて、わかりますかねぇ。
 ちなみに、私が就職して間もなく、日室・赤谷・中倉・豆栃・楠谷という集落跡に行ったことがあります。石垣や風呂釜、便所跡など、廃屋が杉木立の中に静かに眠っていたような記憶があります。昔の繁栄を知る住民も少なくなって、現地へ行ったこともこうした民話を聞いているときにしか思い出せないようになってきました。自分が出かけたことのある集落跡の記録が残せたらいいんでしょうが・・・・。
 まだ、行った事のない「穴坊城」跡地にも行ってみたいし、どなたか行ってみようと思われる方ありませんでしょうか。ちなみに、山道は無く、「藪こぎ」になるとは思うんですが、連絡をお待ちしております。


今日は何の日
○バミューダトライアングルの日
 1945(昭和20)年、大西洋上で、アメリカ軍機が突然消息をたち、その救援機も同じ海域で行方不明になりました。以来フロリダ・バミューダ・プエルトリコの三点を結ぶ三角形の海域は魔の三角海域「バミューダトライアングル」と呼ばれるようになりました。身近な不思議スポットがあればお教えください。
コメント
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