健康楽園。

健康に関する情報・提案を主にする。

日本の夏。

2005-11-10 | ヘルスsoothing.
昨日から大日本除虫菊株式会社創業120周年、セルビアモンテネグロ総領事館解説記念式典に出席していました。
大日本除虫菊というと耳慣れなく、馴染みが薄いけれど「金鳥」蚊取り線香というと誰もが、あーーあの会社化か!と思い出すのではないでしょうか。
和歌山県有田市にある蜜柑農家の7人兄弟の末っ子に育った上山英一郎は慶応義塾大学に学んだが、身体を壊し、22歳・故郷に帰り上山商店を設立したのが明治18年(1885年)のことでした。いまでも、私のところには毎年上山商店の屋号が付いた蜜柑が送られてきます。
この社史を式典では、浜口さんが講談風に語ってくれた。
ただ蜜柑農家で終わるのを良しとしない上山さんは、蜜柑を全世界に輸出しようと考えていました。そして、恩師・福澤諭吉先生の紹介で、アメリカ植物会社社長アモア氏に蜜柑の苗を送ったのでした。翌年、その御礼にアメリカから、珍しい苗や種を送られた中にビューハク(除虫菊)の種があったのでした。
ユーゴスラビアではこの、ビューハクを当時大量に栽培していて、その効用は14世紀からわかっていたと伝えられています。枯れてしまった除虫菊の周りに沢山の虫が死んでいるのを発見したのがキッカケです。18世紀にアメリカに渡り、乾燥した除虫菊を粉末にして蚤取粉として使っていました。
19世紀に日本に伝わり、当時、上山商店でも乾燥した除虫菊をおが屑と混ぜて燃やして、蚊を退治していました。
上山社長が出張で東京本郷の旅館に泊まっていたときに、同宿した仏壇線香屋の息子と話をしたのが、線香に練り込むきっかけとなりました。明治23年のことです。
しかし、棒状ですと、どうしても40分で燃え尽きてしまいます。持ち運ぶときにもよく折れてしうことが多かったのです。
明治28年には、なんと妻・ゆきさんのアイデアで、渦巻状の蚊取り線香が生まれました。もうそれからは、金鳥蚊取りの独占状態へとシェアーを伸ばし続けます。
金鳥の由来は・中国史記の一節「鶏口となるも牛後となるなかれ。」からで、品質・信用・経営でトップの存在であり続けたいという願いが込められていて1910年に商標登録されています。
1935年社名を大日本除虫菊としたときは、日本の除虫菊生産高が世界の90%以上を占めるまでになっていて、生産高の80%が輸出されて多くの外貨を稼ぎ出しています。輸出品番付も20位で経済の発展にも大きく貢献しています。
1967年には、かって絶対にコマーシャルに出なかった・美空ひばりを起用。「日本の夏・金鳥の夏」のキャッチコピーは夏の風物詩となりました。
その後、小柳るみ子・石川さゆり・桜井センリの「ルーキンチョ」、常に話題の先端を行くコマーシャルを生み出して行きました。
現在も山瀬マミのキンチョール、沢口靖子のたんすにゴン・ゴン・など泥臭く、浪速らしいパンチの効いた映像で楽しませてくれます。
祝賀会披露宴の音楽は、当然・今年の金鳥のコマーシャル出演者・ジャズ・バイオリニスト寺井尚子さん。
テネシーワルツ・ビゼーのカルメン・ピアソラのグランタンゴなどを一気に弾いてくれた。5年前に聴いたときよりも数段・上手く・楽しく弾いている!
除虫菊の故郷、セルビアモンテネグロの大使はじめ皆さんも大いに楽しんだ祝賀会でした。
会社に歴史ありです。
コメント
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