三重県熊野市五郷町桃崎
記事のタイトルからすると、どこかの渓谷歩きでもしたのかと思われそうだがそうではなく、高尾谷にある三か所の場所を纏めて掲載するのでこのタイトルとした。
ことのきっかけは、グーグルマップで熊野市五郷町辺りを見ていたときのことである。
地図上に、「水神」と書かれた場所があって、クリックすると、道路脇の小さな池のようなところに、綺麗な水が湛えられた写真が表示された。
湧水池のように見えるし、ちょっと興味をそそられたが、「クチコミ」は無かった。
最近のグーグルマップはこんな風に、相当辺鄙な場所にある名所とも言えないところにも、誰かのクチコミや写真が投稿されていて、情報収集には大いに役立つし、びっくりするくらい小さな神社にも書き込みがあったりする。
ただ、もう少しちゃんとした記事や写真が見てみたいと思ったので検索をしてみると、出てきたのはその水神ではなく、少し離れたところにある別の水神であった。
それがこの高尾谷にあるものだったのだが、これに紐付いて他に二ヶ所の場所の記事を目にすることになり、これは行ってみたいとなったのである。
いつものようにT君の車で出掛ける。
三回連続の南紀行きであるが、彼は行き先の希望を口にすることはあっても、不平や不満を言うことはない。
どこへ行っても、それはそれで楽しいと思っているようであるし、そもそも、私と出掛けるような場所は、他の友人と出掛ける場合には、まず行かないようなところらしいので(まあ当然そうだろうと思う)、私に任せるといった感じになる。
七色ダム湖に沿った国道から外れ、高尾谷の林道に入る。
しばらくで道路の右側が広場になっているところがあるので、そこに駐車。
道路の左側は何となく荒れた雰囲気があって、何やら門柱のようなものが立っている。
そこには「高尾遊園地」と書かれており、ここがかつてレジャー施設であったことを教えてくれる。
三か所のうちの一つが、この「高尾遊園地」跡で、廃墟マニアの間では知っている人も多いようだ。
それはともかく、ここは一般的な遊園地の概念からは程遠いし、そもそもこんな山奥の谷間に作ること自体、理解しがたいのであるが、マス釣り場や天然プールといったものがあったらしい。
林道から谷川へと降りていく小道を辿り、橋を渡るとこんな場所に出る。
いったいどれほど賑わったのかは判らないが、山中には意外なほどの施設が、どこか虚ろな空気を湛えていた。
いつ閉園になったかなどの情報は見つからなかった。
放置された車の屋根は、錆びて完全に抜け落ちており、鉄がここまで朽ちるのかと驚く。
春の終わりの、やや強い日差しのせいか、不気味さはあまり感じなかったが、侘しさみたいなものは感じる。
現役だった頃の写真はネットでは見つからないが、熊野市周辺に住む人の中には、当時の写真を持っている人がいるかも知れないと思うと、見てみたい気がした。
実は水神はこの園内にあって、先ほどまでの写真のすぐ近くにあるのだが、まずは上流に進む。
天然プールというのはこの辺りにあったのだろうか。
新緑が眩しく、夏ならば気持ち良さそうだ。
ここより上流には、一、二軒の民家があるようだが、水は清く、新緑を映して輝く。
下流へと戻って、水神の鳥居へ。
流れの向こうに祠がある。
やどかし水神と呼ばれているらしく、最初は「やどかし」とは何のことだろうと思った。
祠のそば、岩の上には大木があって、かつては熊野市の天然記念物であったらしい。
岩の上には二十種類ほどの植物が生育しているらしく、なるほど、それで「宿貸し」か、と合点がいった。
ただ、なぜ天然記念物の指定が取り消されたのかは判らない。
判らないけれど、私はこの木と岩が気に入ってしまった。
命の宿る場所。
そんな風に思えたのだ。
高尾遊園地を後にして、林道の終点まで進む。
終点は広場になっており、そこから先に続く小道の奥には鳥居が見える。
五郷町桃崎集落にある桃源寺の奥の宮、太郎坊権現である。
鳥居の先には驚くほど深い参道が続いている。
日差しのせいでコントラストが強く、その深さを写真で撮ることは出来ないが、早朝や曇りの日であれば、幽玄とも思える気配が感じられる場所であろうことは判る。
藤であろうか?
捩じれた幹には注連縄が掛かっており、どういうわけか、鈴が幾つもぶら下がっている。
参道の脇の地面には沢山の長い楊枝が突き刺されており、白い紙に「18歳男」などと書かれている。
千本幟と言われているらしく、まだ新しいものも多くあって、信仰の篤さが窺える。
長い石段の先には小さな広場があって、新緑が空を覆っていた。
ここが太郎坊権現で、瑞垣の内側は女人禁制となっている。
緑深く、木漏れ日が戯れるようなところで、またしても熊野の信仰の奥深さを感じる場所であった。
撮影日時 190502 10時20分~11時45分
地図 やどかし水神 太郎坊権現