印度ヒマラヤは崖っぷち

非人情的、破壊的、創造的。又崇高、峻嶮。

増上寺三解脱門(三門)

2011-11-26 21:58:09 | 日記
11月30日(水)まで芝・増上寺で開催中の戦後初の一般公開「三解脱門(三門)」。行った人より聞く。

浜松町駅北口より降りる。

通称「大門(だいもん)」。三解脱門(三門)の手前にある増上寺の表門です。

上がらせていただく増上寺の中門「三解脱門(三門)」の正面へ。
朱漆塗りの威風堂々たる外観は、寺格百万石と謳(うた)われた増上寺の面影を今に伝えています。
明治期に入って境内地が狭まり、
現在ではこの朱塗りの三門が増上寺の入口の門=表の顔として広く知られるようになりました。

増上寺はまえにいったことがあるのですが、この楼上から外を眺めてみたい。江戸時代の面影が浮かぶであろう。三門は入口が三つある。長崎にこのようなのをみたことがある。それぞれ意味がある。

三解脱門(三門)の正面から見て右側の山廊の急な階段を上って楼上へ。山廊は平屋の建物で中に階段がある。(拝観後は左側の山廊のやはり急な階段を下って地上に下ります)
拝観料は500円(中の自販機で購入)で、増上寺の素敵な竹栞が記念についているようだ。

高層の建築物がなかった江戸時代は、いまのJR浜松町の駅の先にあった海が見えた。ブラタモリに以前でていたかな。

増上寺は浄土宗の学問所・修行道場であり、将軍家の菩提寺でもあったので、当時の庶民が自由に入ることができないが。
四月八日の潅仏会、春秋のお彼岸、七月十八日の開山忌などには三門へ上ることが許されました。
人々は楼上に上って、お釈迦様に手を合わせ、そして、背後に広がる江戸の町並みを見渡し、
江戸湾と遥か先の房総の山々を眺めて楽しんだのでしょう。
江戸庶民にとって三門が格好の展望台でもあったことでしょう。