印度ヒマラヤは崖っぷち

非人情的、破壊的、創造的。又崇高、峻嶮。

張子のストーリー

2011-11-06 21:20:34 | cpu


たつの張子少しばかり動きが早いですね。静止画像はこんなです。
指でおすと、大きく右に、そして大きく左に揺れ…とこんな具合です。揺れが少なくなって止まる。
endlessだから、サイクル(繰り返す)ストーリーですね。

⇒キャラクターとは別にwardを新規作成する。→page設定から余白をall5㎜に設定する。(余白を有効に使うため)→文字の折り返しを前面にしておく。(動かしやすいように)→一コマの基本の大きさをきめる。A4用紙に並べてみて決める。グリッド線を利用して。必要なのは一コマだけ。

⇒表示→印刷レイアウト→配置→グリッド線、と余白に合わせてに☑を入れて置く。枠の中にもグリッド線がみえたほうがいいので、塗りつぶしなしにしておくと、グリッド線が見えてくる。

先につくっておいたキャラクターをここに入れ込む。(copy、paste)
⇒枠とたつをグループ化して、copyして、さらに4コマまとめて、copyして…12コマ作成する(全てcopy)1コメ目以外はすべてグループ化を解除しておく。
 (function としてF4を繰り返し使うと早い)

枠の中のたつにストーリーを決めて動かす。(枠からはみだして作ると動きが大きくて良い)

⇒出来上がったらbackに色をつける。(このときも、functionとしてF4をつかうと、早い)

あとはいつものように、「Snipping Tool」 と 「giam」 でアニメを作製して、出来上がり。完成したアニメーションは保存しておく。

Morocco

2011-11-06 11:32:04 | 日記
友人が昨日土曜日から来週月曜日まで、モロッコの旅9日間にでかけた。パリから入ると言っていた。大変すばらしいものでしょう。
天候はおおむね晴れていて、大変過ごしやすいことを祈っています。カサブランカの舞台ですね。

マラケシュの町は、赤い色が本当に印象的でしょう。
スークの雰囲気も、日本では見られないようなものばかりで、非常に楽しめるでしょう。

お土産の値引き交渉も得意のかた。ネパールのカトマンズの店どうりでも値引き上手。自分では何も買わなかったけどね。相手の計算機をとって、これと、これ買うからと、これね、と数字を打ち込む。他の店では、財布のなかみ全部だす。

ジャマ・エル・フナ(フナ広場)には、派手な大道芸が見られるでしょう、モロッコの音楽の力強さや、モロッコの人の明るさを感じることができるでしょう。

リヤドもたいへん静かな町の中にあり、ここは落ち着いた良い雰囲気のところときいています。

砂漠ツアーもよく晴れて、夕日、星空、朝日、すべて見ることができる!これがメインといっていた。
ラクダの1時間半の大砂丘。

フェズは、近代的でいい。

今度その話をゆっくりきけるのが楽しみです。しかし彼女の友人が5年前トルコで行方不明になって、いまだにわからないそうです。実際帰ってくるまでは心配ですね。

以前この国に旅した別の友人がベドウイン族の方とツ-ショットで写っていた写真をみせてもらいました。とても親切で気さくなかただったようです。思う充分ラクダと遊んで帰国するでしょうね。

移動するときは親戚一同

2011-11-06 00:24:21 | 日記
どういうわけか移動するときは親類縁者一同でする。結婚式にいったときも、ハイエース1台に大人10人のりこんで、運転手さんをやとって、いっているあいだ、5日間がたがた道をいどうする。観光なんだけれど。バンコックからチェンマイまで。何時間もかけて。気持ち悪くなった、さすがに帰りは飛行機にしたといっていた。

そのグループがまたそろって、日本にたずねてきて、大変だったようだ。一日目は日光にいった。二日目は鎌倉がいいとなって。日本人なら、列車をつかうけれど。気の毒だから車でいった。

何故か。かれらは薄い草履のような物しか履かない習慣らしく、歩かせるのがかわいそうなくらい。といっていた。スニーカーを貸したりするけれど、何しろ人数がおおくて、大変だったようだ。民族の大移動みたいだね。きっと、ラオス、ミャンマーもそうやって旅行にいっているのかしら?

メーサイの位置

2011-11-06 00:13:45 | 日記
1970年代には麻薬栽培地、集散地として栄えた。メーサイは当時のゴールデントライアングルの南端付近にあったわけです。

タイ、ミャンマー、ラオスの国境辺り。Mae Saiの街が現れます。北緯26.01度、東経99.5度近辺にあるのが市役所らしい。旅行者にとって重要な国境ゲート(Google earthでみると国境ゲートはミャンマー領内にある。きっとこの一帯は緩衝地帯扱いなのだろう。市役所はタイ領内にあるわけだ。形式上はどうなっているかは定かではないが、実質上はそういうことでしょう。)は北緯26.40度、東経99.52度にあります。ああメーサイねときがるに言葉にでるけれど。橋でわたって国境にいけるようだ。

だから土地の人は緊張している。一人で行動しないよう、スクラムを組まされている。

チェンマイ/チェンライ間の距離とチェンライ/ケントウン(kengtung)間の距離がほぼ同じ。(そして更にケントウン/景洪(チンホン)間もまたほぼ同じというのは興味深い。ちなみにチェントンはミャンマーのシャン州都。景洪は中国の雲南省(シーサパンナ(四双版納)・タイ族自治州)にある。友人の義理の兄弟の居住地はチェンマイにある。そして、お婿さんの実家はチェンライにある。

チェンライは山岳部で高床式の家にすんでいて、農作物などをつくっている。この地方の青年が日本に農業の研修に来た話しを以前聞いたことがある。チェンライに昔宮殿があって、それがチェンマイにうつされて、さらに南のアユタヤに移されたとその人がおしえてくれた。にほんでいえば、平城京とか平安京などのことかな。さらには山田長政まで話にでてきたから。ここいらへんはいずれまた、整理して聞いてみることにしよう。